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忍術漫遊 戸澤雪姫 その10 『果たし合い』

乳母のお道も平気なものだ。言わるるままに探し歩いて御飯を夫れへ持って来る。二人は一七人の前で悠悠と御飯を食べ出した。悪漢無頼の雲助共も、不動の金しばりに遭った上、身動きも出来ぬ様にしばり上げられてどうする事も出来ない。恐しい大胆な奴も有るものだと、度肝をぬかれて呆気に取られて居る。飯をすせて二人は夫れへ夜具を持ち出し、

雪「サア乳母や、蒲団が汚くって気に入らないが、我慢をして寝よう。間もなく夜が明けるであろう」

主従は蒲団の中へ横たわり、其のままスヤスヤと寝て仕舞った。一七人のやつは愈々(いよいよ)驚く。やがて夜が明けた。二人は起きて顔を洗い

雪「乳母や、足はどうだえ……」

道「ハイ、大分宜ろしゅうございます」

雪「けれども無理をすると不可ないから、駕籠に乗っておいでよ、コレ強そうな男二人、助けて上げる。只は使わないよ。今日一日だけ乳母を乗せてお行き」

強そうな男二人だけ、いましめを解いてやる。

甲「フーム、頭をこんなにされましては……」

雪「頭は頬被りをすれば宜いよ。今更泣き面をすると言う事があるものか。駕籠は一挺しかない様だから、一挺で我慢して上げるよ。サア支度をしてお呉れ」

駕籠屋も其の手並みを目のあたりに見て居るのと、戸澤山城守の息女で忍術使いと聞いて、大ビクビクものだ。ようようの事に支度が出来る。

雪「サア乳母やお乗りよ」

道「お嬢様、妾はモウ大丈夫で」

雪「イエ、今日無理をすると、また酷くなるから、今日だけは歩かない様にしたら宜いよ……」

お道は嬉し涙を流して乗る。雪姫は側について、

雪「サア駕籠屋しっかりおやり、今日は昨日の様な事をすると、首が飛ぶよ」

雲助二人はヘイヘイハイハイと言うがままに駕籠を擔いで走り出す。雪姫は今日は飛行の術を出して歩く。途中で姿が見えなくなった。

甲「オイ、相棒、見えねぇぜ。遅れたんだろうか」

乙「なんだか知らねぇが、世の中にはこわい女も有るものじゃァねえか、今の間に駕籠を打(う)つ捨(ちゃ)って逃げ出そうか」

甲「ウム、宜かろう。オヤッ重い。不意に重くなった……」

二人は雪姫がいないと思って逃げ出すつもりでドンと駕籠を降ろすと、駕籠の上に姿を現した雪姫は、

雪「逃げ出すと生命がなくなるが宜(よ)いかい」

甲「ウワッ、お嬢様は其所に……」

雪「ホホホホ、わたしは足が疲れたので駕籠の上にのっていたのだよ」

甲「エエ道理で重くなったと思った。ウーム恐れ入りました」

雪「恐れ入ったら早くやってお呉れ。お前等雲助に言葉を交す様なわたしではないが、旅へ出れば仕方がないから口を利くのだよ。横着な事を言っていると摘(つま)み潰(つぶ)すから其の心算でおいで……」

二人は大凹み、又駕籠を擔いで歩き出した。間もなく笠岡に着、此処で昼飯をすまし、また駕籠を急がし、福山より尾の道へ来て、宿を取り、此処で駕籠屋に五両づつ与えて返した。駕籠屋は五両を貰って大喜び、

駕「以来は、決して斯様な事はいたしません」

と改心を誓って立ち去る。二三日、尾の道を見物した雪姫主従は、尾の道を立って次第に中国地を下り、芸州広島の手前沼田と言う所に掛って来ると、チャチーンと太刀打ちの音が聞える。

雪「オヤッ、乳母や、何所かで斬り合って居るよ」

道「ヘーン、わたしは一向聞えません」

雪「お前には聞えないで有ろうが、わたしは術の威徳で三丁四方なら木の葉の落ちる音でも聞えるのだから……ハテナ……早くおいで……」

主従は足を早めて三丁ばかり坂道に掛って来ると、向うの曲り角の所で、五六人の武士が、一人の武士と妹と見え、十七八歳の娘を取り囲み、四方より隙間もなく斬り込んでいる。多勢に無勢、若武士は既に数ヶ所の傷を受けたと見え、血を浴びて足下もヨロめき勝ちだ。娘の方も二人の武士に左右より斬り込まれ、これまた浮き足となり、次第次第に斬りまくられて居る。義を見てせざるは勇なし、夫れを見ると雪姫はきっとなり、

雪「乳母や、あの武士と娘が難儀をしている様子、捨てて置いては大変じゃ。わたしが一人の武士の方を救けるから、お前は娘の方を助けておやり……」

道「畏りました……」

雪姫はバラバラと走ってきて、

雪「コレ其の方等は卑怯ではないか。只一人に大勢がかりとは何事ぞ。女ながらもわたしが加勢するから、サアわたしに掛かっておいで……」

と言い様、一人の刀を奪い取り、背打(みねう)ちにパンパンと叩く。乳母のお道は娘の方に走り、

道「コレ二人の武士、只一人の娘をどうするのだえ。わたしが相手になるからサアお出で……」

ヤッと飛びかかり、腕を伸ばして一人を引っ掴み、ヤッと投げると残りの一人がサッと斬り込んだ。お道は引外して小手をチョイと掴んで、エイと投げ出す。コロコロコロッと五六間向うへと転がって行き、木の根につまづいて倒れ、木の根に頭をコッーンと打っつけ、其のままウンと気絶する。

道「コレお前さん、心配おしでないよ。わたしが二人を打ち据えて上げたから」

娘「ハイ、誠に有難う存じます」

と、言っている折しも、雪姫も六人の武士を悉く叩き伏せて、若武士を助ける。この勢いに敵し兼ね、一同は気絶しているやつを引き担ぎ、生命からがらと逃げ出した。逃げるやつには目も呉れず、雪姫は若武士の側へよって、

雪「御難儀でございました。悪武士は逃げました故、気をたしかにお持ちなさいます様」

若「ウームウーム……」

大分手傷を受けているから、返事も出来ない。大地に両手を支えて、苦しき息をはきながら、頭を下げているが、口は利けない。雪姫は身体を調べて見ると、重傷を二三ヶ所受けて居るが、急所を外れているから、大したこともあるまいと安心して、

雪「お前さん、気をたしかに御持ちなさい。命にかかわる事はございますまい……」

言いつつ娘の方を見ると、これは乳母が介抱をして居る様子、

雪「乳母や、女中はどうだえ」

乳「ハイ、此の御方は二三ヶ所傷を受けていられますが、大した事は有りますまい」

雪「夫れは結構、コレ女中、確かりせぬと不可ませぬ」

女「ハ、ハイ、御介抱に預りまして有難う存じます。図らず大勢の狼藉者に遭いまして……して兄の身の上は大丈夫でございますか」

武「ウーム、イ、妹……ブブ無事か……」

妹「オオ兄上、お気をたしかに……」

妹は我が身を忘れて走り寄り、兄の身体を撫でさすって気遣って居る。雪姫と乳母のお道は二人を眺めて、

乳「コレ女中、これは貴女の兄上で……」

娘「ハイ兄でございます」

雪「夫れはお気の毒な事じゃ。大した傷では有るまいから、心配は有りません」

と、言ったが、若武士の方は大分手傷を受けているから、助かるかどうか分からん。其処で雪姫は目配せをして、

雪「コレお武家、わたしは斯様斯様の素性のもの、決して心配はございません。其の方素性は……」

と、尋ねられた若武士は、ようよう気が落ち着いたか、驚いた体にて、ピタリ両手を支えて、

武「ササ、さては予(かね)て承(うけたわま)る摂州花隈の城主戸澤山城守どのの御息女雪姫様でございましたか。危うき所をお助け下し置かれ、有難う存じますよる。セ、拙者事は越中富山城主佐々陸奥守成政の浪人にて、諏訪部大八郎と申すもの、又連れましたるは妹小光、父兵庫之助は先年同家中の坂田庄左衛門なる者に討たれましたる所より、妹と共に斯く仇討ちに罷り出ました。然るに途中にて種々の災難、尾羽(おは)打ち枯らして[みすぼらしい]此の有様、先達て以来病気となり、トボトボ当所まで参りし所、只今逃げた八人の奴、中に仇敵の坂田庄左衛門これ有り、依って斯く果たし合いに及びし所、大言には似たれども、病いだになくば斯(か)くムザムザとは負けはいたすまいに、殊に妹に気を取られ、思う存分の働きさえも出来兼ね、斯くの仕合(しあわ)せ[始末、なりゆき]、誠に残念至極に存じまする。然し幸い姫様の御助けにより、兄妹の生命が助かったのは何よりでございます」

と、涙に暮れて礼を述べる。雪姫とお道は不憫に思い、

雪「夫れはマアお気の毒な事、乳母やこのままに捨てて置く事は出来ぬ。お前この大八郎殿を背負って行ってお呉れ。小光どのの方は歩けるで有ろうから」

乳「畏りました。サア御越しなさいまし……」

大八郎が強いて辞退するのをお道は無理に背負い、雪姫は小光の手を取って助け、ソロソロ広島城下へ入り込み、宿に泊らんとしたが、何れへ行っても断わられる。夫れも其の筈、全身血塗れの今にも死にそうな浪人を背負っているんだから、泊らせては厄介だと思って、体よく断わる。

道「お嬢様困りましたね。これだけ有る宿屋で皆断わられて見ると、今宵は泊る事が出来ませんが、然うかと言って野宿は出来ず、モウ彼れ是れ六つ[一九時あたり]にも近いでございましょう」

雪「そうだよ乳母や、宿屋などは現金なものではないか……オオ向うにも宿屋が有る……」

と夫れへ出て斬て、

雪「どうか今宵一晩泊めて下さる事は出来ませんか。宿賃はいくらでも出しますが……」

亭「ヘエー誠にお気の毒ですが、今店を閉めようと言う所で、モウ何の座敷も、一杯のお客様で……お気の毒でございます。又どうぞ……」

雪「それでは御亭主、行灯部屋でも宜いから……」

亭「まさかお客様を物置の隅にお寝かし申すことは出来ませぬ……オイ岩吉、大戸を下しな……縁起でもねぇ、仏様見たいなものを担ぎ込んで来やァがって……」

無情にも大戸をガタガタ閉める。雪姫は腹を立てたが、怪我人を背負って居るのだから仕方ない。怒る訳にも行かず、其の中に小光がつかれ果て、一歩も歩けなくなった。これには雪姫主従も困って仕舞った。

ちょっとした解説:講談速記本において、仇討ちはかなり重要なコンテンツである。本作でも雪姫様は二度も仇討ちの手助けをしている。同じ事が繰り返されるとはいえ、武士と町民の助太刀とレパートリーもあり、飽きさせない仕上りになっている。明治と大正の作品で、最も異るのはスピード感だ。武「ササ、さては予て承る摂州花隈の城主戸澤山城守どのの御息女雪姫様でございましたか……」の後、明治の作品であれば、指南番の父親が御前試合をなしたところ、恨まれてしまい闇討ち、御家は断絶……といった物語が語られる。大正時代になると映画が流行し、物語にスピード感が求められるようになってくると、在り来りのストーリーはなんでもかんでも省略といった方向へと進んでいく。その結果、もともとは講談を速記して作られていた講談速記本が、本作のような面白さの断片が連続して描かれるなんとも珍妙な物語に転じてしまう。

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