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だいたいのことに応用できる明治の上達法

大正時代にジイさん(かなり偉い人)が書いた自伝を読んでいたら、少年時代のジイさんが漢詩の作り方を先生に質問するというエピソードが出てきた。先生は善教寺で私塾を開いて義導(天外)という人で、その解答は次のようなものであった。

先生の前に出でて、先生詩を稽古するにはどうすれば宜しいか教えて下さいと願った。スルト先生日く、詩を作らんと欲せばまづ「唐詩選」の五絶と七絶とを暗唱するやうになれ、さうしてどんな詩でもよいから、とにかく一千首を作れ、そうすると熟字韻字、平字仄字(高低抑揚)が登えられ、また詩の趣味が分つてくる。それからでなくばホントウの詩が作れるものでないと申された。
六十一年 一名 赤裸裸 村上専精著 丙午出版社 大正三(一九一四)年

最初にダーっと覚えてしまい、覚えた知識を実際に使いながら感覚をつかんで実践に活かすってのは、実際になにか出来るようになった人ならば、納得できる感じだと思う。そういう人は別のものを始める際にも、同じような方法で習得しようとするはずだ。

新しい外国語なら最初に簡単な文法と単語を2000個覚えてしまい、単語が出てくるようなものを読んでみたり話したりして、慣れてきたら自分が必要なだけ使えるように仕上げていく。プログラムなら最初に考え方やルールを覚えてしまい、覚えた範囲ないで作ってみて、慣れてきたら自分が必要なだけ技術を習得する。こういうふうに書くと私が外国語やプログラムできる人みたいだけど、そういうわけではなくて、だいたいこういう感じで使えるようになるよなっていう話でしかない。

今の私がこの方法でなにやってるのかっていうと、明治中期の若者による旅行について知ろうとしている。どうするのかっていうと、まずは目についた明治の旅行関係の本を読みまくり、読んだ範囲内で考えてみる。そうすると別の分野に必要な情報があるなと思いつくので、その分野についてさらに調べる。あとはこれの繰り返しなんだけど、このようにだいたいのことに応用できる上達法で、身に付けておくとなにか新しいことを習得しないといけない時にすごく便利だと思う。

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