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忍術漫遊 戸澤雪姫 その19 『亡霊の頼み』

雪姫はなおも厳しく下村弥五郎に意見を加えて、寿の事は思い切らした。雨降って地固まる。弥五郎もここに全く改心いたしたから、雪姫も喜んで自分の宿へ引き取り、それより女郎寿のことを取調べてみると、これは島津の家来、忠海(ただみ)三左衛門(さんざえもん)と云う者の娘であったが、父三左衛門が讒者(ざんしゃ)のために主家を浪人せんければならず、両親につれられ薩摩を退身して、長崎へ出て来ている中、母は病死、父が続いて大病、その病気の介抱ができないため、その身を苦界に沈めて金子を調達、人手を使って父の病気を介抱手当に及んだが、これも先達て遂にこの世を去った。ところが父母の遺言には、千石取りの武士の娘であるから、どうか然るべき婿を迎えて、忠海の家を再興してくれと、くれぐれも云い残して世を去った。それゆえ寿は本名をそのまま源次名として遊女に出たが、なかなか肌身を許さないと云うのは、どうかいたして立派な勇士を良夫に持ち、忠海家を再興いたしたい。その良夫、自分の望む良夫を得るまで、女の大切な操を守り通すために、遊女とはなっていたが、何人にも肌身を許さなかったのである。寿が心願、心願と言っていたのは、この事なのだ。

雪姫もこの事を聞くと不憫に思って、お道と相談して、寿を身受けせんものと、大吉楼の主人にこの事を掛け合うと、大吉楼の主人と言うのも、よく事の分かった男であったから、雪姫の志に感じ、かつまた今迄寿のために大分儲けてもいる事だから、奇麗にすぐと証文を返してくれた。雪姫はただというのは気の毒だと思ったから、強(お)して五十両の金を渡し首尾よく寿を身請けして、一先ず宿へ連れ返り、寿には委細を申し付け、巡礼姿にして、これを摂州花隈へ出立させた。後にこの寿は戸澤家の豪傑鬼塚八郎と言うものを婿として立派に忠海家を立て、戸澤家に使えて、安楽に世を送ったと言う事である。

雪姫主従は長崎の町もすっかり見物をしてしまったものだから、この長崎の町を出立、それより九州の地を彼方(あちら)此方(こちら)を見物して廻り、見物を終った後、最早や九州に用事はないと、だんだん道を北に取り、再び中国地へ引っ返し、この度は山陰道うに路を取って、ブラブラと日を経てやって来たのが、石州津和野の城下、この時分にはモウ中国山陰あたりは、豊臣秀吉公の威勢に服し、その幕下となっている大名ばかりで、津和野(つわの)には亀井新十郎が武蔵守に任官して、四万石で領主になっている。この人は亀井流槍術の開祖で、戸澤山城守等とは親しい間柄であった。雪姫主従は今しも津和野の城下へ入り込む。二里ほど手前へ来ると、長崎境に野坂峠というのがある。その峠へ来ると、ズッブリ日が暮れた。男の修行者なら野宿も平気だが、お道は雪姫の身を案じて、雪姫が野宿をしようと言ってもなかなかこれを聞き入れない。

道「お嬢様、日が暮れました。何所かへ宿を取りましょう」

雪「乳母や、宿はあるかえ」

道「探して見ねば分かりませんが、向うに家がございます故、きっと宿はございましょう」

二人は山の裾を廻って五六丁来ると、田舎宿が一軒見付かった。主従はヤレ嬉しやと、これへ泊って夕食をすまし、田舎風呂ではあるが、湯にも入って、旅の疲れがあるから、

雪「乳母や、明日はこの峠を越して津和野へ入り込むのぢゃ。早く寝よう」

道「よろしゅうございます」

と、主従は枕を並べて寝た。すると夜の丑三つ時と覚しき頃、年頃五十才ばかりの半白の老人が枕許へ座って、

老「姫君、どうか私を助けて下さいませ。御頼み申します、御頼み申します」

と、言ったかと思うと、雪姫はハッと目が覚めた。枕をもたげて四辺(あたり)を見ると、これぞ南柯(なんか)の一夢、

雪「オヤッ、妙な夢を見たものじゃ」

と、又トロトロすると、同じ老人が枕許に現われ、

老「お姫様、お姫様、どうぞ私の怨みをお晴らし下さいますよう。私はこの麓(ふもと)の郷士佃(つくだ)重太夫(じゅうだゆう)と言うものでございます………」

と、アリアリと口を利いたから、雪姫を目を開いて四辺を見ると、何者もいない。総身にビッショリ冷や汗が流れている。

雪「ハテナ、可笑しな夢を見るものじゃ。一晩の中に同じ夢を二度も見るとは……可笑しなことじゃ。佃重太夫と言ったが、なんで私の夢枕に立ったのであろう。不思議な事もあるものぢゃ」

と、思い悩んでいる中(うち)に、東が白んできた。お道も目を覚ました。二人は起き出でて、顔を洗って庭前を散歩しながら、雪姫はお道に委細を話し、それより朝飯をすまして、亭主を呼び寄せ、

道「御亭主、お前に尋ねたいことがあります」

亭「ハイ」

雪「この村に郷士で佃重太夫と言う人がありますかえ」

亭「ヘイ、あのお方はもうこの世にはおられません」

雪「エッ、それでは病死でも」

亭「サーその事でございます。マァ病死と言えば病死でございますが……」

雪「エエ、病死と言えば病死とは……可笑しな話で……」

亭「全く可笑しな話でございます。その佃重太夫様と仰るお方は、至って工面の良い旦那様でございまして、この界隈ではお慈悲深い評判のお方、イヤモウ困っておる者があれば米を下さる。金を下さると言う貧乏人のお世話をよくなさいます」

雪「ハハァ」

亭「その佃重太夫様の御本妻と仰るのは、四年跡(あと)におなくなりなさいまして……間もなくお玉様と言う人が、お妾に上がりました」

雪「なるほど」

亭「ところで、旦那様はお情け深いから、どうか行き暮れて難渋のもの、お泊め下され、アア宜しい。拙者は武術修行だ、一夜厄介になりたいと、イロイロのお方が見えます。それを一々お世話なさいますと言う、至ってお世話好きの旦那様でございました。ところが丁度……エーット去年の事でございました。鬼塚権九郎という二十七八才の色男の剣術使いが佃様のお宅へ御厄介になっておりますうち、マア人の噂でございますが、お玉様というお妾と怪しい仲になったのでございます。町内で知らぬは亭主ばかりなりの例えの通り、旦那の重太夫様は一向にお気がつかない。女中や作男は鬼塚と言う浪人とお玉様が一緒に寝ていた所を見たとか見ないとか、マァ色々の噂が立ったのでございます」

雪「なるほど」

亭「スルト、今年の事、旦那様が不意に御病死をなすったのでございます」

雪「ハハア」

亭「病身で病人でいられたのが死んだのならようございますが、ピンピンシャンシャンしていた人が、血を吐いて不意に死んだのですから余程可笑しゅうございます。それでも常々お酒が好きだからと言う事になって、一切の物はお玉さんの名前にして、鬼塚と言う浪人が後見という事になって、その家は到頭乗っとられてしまいました」

雪「ハハァ、どうも悪い事をするものだ……」

亭「すると佃の旦那様の先妻のお子で重次郎と仰る今年一三才になる若旦那、このお方が跡を継がれるはずであったが、これをのけものにしてお家を横領してしまいました。子供心にも重次郎様も、たしかにお玉の親の藪医者の道庵(どうあん)という奴と権九郎という奴とが相談して、お父様の生命を縮めて、佃の家を横領したに違いないと言う事は知っていなさる様でございますが、迂闊な事を言うと殺されてしまいますから、何事も黙っていなさるようでございます。なかなか御利口なお坊ちゃんでございます」

雪「なるほど」

亭「そんな訳でございまして、イヤモウ村の者は歯痒がっておりますが、どうもいたし方ございません……ところであなたはどうして佃様の事をお尋ねなさいます。御縁者ででもございますか」

雪「イエ縁者でもなんでもないんです。これには訳のある事なんです。しかし乳母、世の中には酷い事をするものもあるものだねぇ」

道「ハイ、左様でございます」

雪「コレ、御亭主、私は昨夜その佃重太夫という御仁に会いまして」

亭「エ、重太夫様に御会いなさいましたって……」

雪「如何にも、夜前丑三つの頃、年頃五十才の半白の老人が私の枕許に座ってお姫様、どうぞ恨みを晴らして下され、恨みを晴らして下されと、丁度同じ夢を二度も見た故、それでお前に尋ねましたのです」

聞いて亭主はアッと吃驚、

亭「ヘエ、それではやっぱり毒殺したのに違いはないに定まった。酷い事をする奴等だな」

雪「そこで私は佃重太夫と言う人にこれまで一度も会ったこともなし、又縁者でもなし、依って亡霊に頼まれたとは言え先方の家へ怒鳴り込む事は出来ないが、一つその重次郎という人に会って、よく私が頼まれたなら、及ばずながら権九郎という武士は私が取り抑えてあげる」

ちょっとした解説:推測に過ぎないのだが、この物語は岩見重太郎関連の書籍を参考にして書かれている。岩見重太郎物語で寿に当るのが重太郎の妹お辻、枕元に立つのは重太郎の父親重左衛門だ。陥穴の策略についても先述したように、岩見重太郎そのままである。ところで明治時代は、夢枕に立った幽霊が登場する物語なんてものは、馬鹿にされがちな時代であった。江戸時代を克服するため、明治人は異常なまでに合理性を追及していたため、夢枕なんてものは拒否すべきものであり、幽霊なんて以ての外といった時代的な空気があったのである。そのため精神作用や千里眼、はたまたテレパシーなど、夢枕に合理的な解説が付くことが多い。ところが時代が進むにつれて読者は成長し、フィクションをフィクションとして楽しむ技術を身に付けていく。というわけで、少女向けの本作では、なんの解説もなしに佃重太夫が枕元に立っている。

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