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忍術漫遊 戸澤雪姫 その14 『裏の裏』

源「先生、何か御用で……」

庄「源六、又今日も巡礼が来たぞ。気の毒だがあの巡礼の住処を見届けて呉れまいか。少し考える事が有るから……」

源「ヘエ、然んな事はなんの造作もございません」

翌日、源六巡礼の来る時刻を窺って居ると、やがて巡礼はまたやって来た。武者窓から二三度内部を除いて見て、暫く経つと向こうへ行くから、源六は道場を出て、だんだん其の後を見え隠れに尾けて行くと、城下の楠屋と云う宿へ這入った。夫れを確かと見届けて帰った源六、

源「先生、十分に突き止めて参りました」

庄「夫れは大儀で有った。何所へ這入った」

源「ヘエ、楠屋と言う宿に居ります」

庄「ハア楠屋へ這入ったか。宜しい。其処で御身に一つ頼みがある。どうだ聞いて呉れるか。巧く行けば百両、手数料を二十両出す。百二十両と言う訳だ。聞いて呉れるか」

篠原源六、欲張って居るから、百二十両と聞いて目を細くして喜んだ。

源「先生、夫りゃ有り難い事でございます。夫れだけの金を私に下さると言うのですか、一体何(ど)う言(い)う訳でございます」

庄「夫れでは乃公の身の上を話す。実は拙者は越中富山城主佐々陸奥守成政の家来で有ったが、斯様斯様、だから乃公は敵持(かたきも)ちの身の上だが、廻(まわ)り廻(まわ)ってこの筑前に来て、小早家の師範をいたし、大きに身も落ち着いたと思ったが、彼奴が居ては枕を高く寝られない。夫れ故、貴様に頼むのだ。どうだろう、斯様斯様にして呉れぬか」

と、スッカリ話すと、

源「委細承知を仕りました。先生の御贔屓を受けて居る我々でござるから、十分に遣付(やっつ)けましょう」

篠原源六快く引き受ける。夫れより篠原源六、楠屋へやって来て、泊り客のように見せ掛け奥へ通り、間毎間毎(まごとまごと)をチャンと見定め、主人の居間も突き止めて置いて、不意に用が出来たから、出立すると言い立て、直ぐに飛び出し夜に入るを待って、覆面頭巾に面体を隠し、ノシノシ楠屋へやって来た。もう遅いから戸を閉めて居る。

源「コリャコリャ開けろ開けろ、泊り客だ泊り客だ」

若「ヘイ今開けます」

若い者がガラリ戸を開ける。源六剣術は下手でも町人には負けない。入り込み様、足を上げてヤッと若い奴の陰嚢を蹴り上げた。急所を遣られては堪らない。ドスーン、目を廻して引っくり返る。素早く高手(たかて)小手(こて)に縛り上げ、猿轡をはめて傍えの柱に縛り付け、四辺を見ると誰も気付かぬ様子、僥倖(さいわい)よしと抜き足差し足、奥へ忍び込み、亭主の元に突っ立ち、刀をズラリ抜き放し、

源「起きろッ……」

言い様、バッと枕を蹴る。亭主はハッと驚いて、顔を上げて見ると頬被りをして刀を鼻の先へグイと突きつけた篠原源六は、

源「ヤイ騒ぐな此奴……」

亭「フム、これはなんとされます」

源「乃公は人殺しではない。小早川家の師範をいたす坂田庄蔵の門人篠原源六と言うものだ。若気の至りで遊女狂いをしたり、師匠の金を三十両を使い込んで、なんとも詮方なく、夫れ故当家に於て借用いたそうと思って参った。三十両借して呉れ。貸さないと叩き斬るがどうだ」

すると亭主はブルブル震えながら、

亭「お安い御用でございますが、只今持ち合せの金子十両しかございません。どうかこれだけお持ちになって御帰りなすって……」

源「駄れッ、金を貸さないと言うと、一寸も此の場を動かんぞ。サァどうだ。叩き斬るぞッ」

小さい声であるが、隣の間に寝て居るのが、雪姫始め小光とお道の三人だ。小光とお道はすやすやと寝入って居るのが、雪姫は忍術の心得が有るからなかなか目がさとい。早くも目を覚まして聞いて居ると小光の仇と尋ぬる坂田庄蔵の門人と聞いて、何か肯首(うなず)きながら、起き上がって、スッと唐紙を開け、

雪「御待ちなされ。其の金子は妾がお借し申すに依り、どうか刀をお引き下さいますよう。然し妾は一言申し上げる事がございます。どうか聞いて下さいまし……」

言われて源六奴バッと飛び退がり、

源「これは初めて追めにかかる。拙者三十両の金子が借り為め、斯様な卑劣な真似をいたす。金さえ貸して下さらば速やかに立ち去る」

雪「宜しゅうございます。金子は三十両お貸し申しまする。私のお頼みを聞いて下さいましょうか」

源「腑甲斐(ふがい)なき拙者に頼みとは何事でござる。委細話して下さい。生命に代えても引き受け申す」

雪「夫れは忝けのう存じます。夫れでは一通り申し上げます。実は斯様斯様、貴公の師匠坂田庄蔵と仰有(おっしゃ)るは、元越中富山の家来坂田庄左衛門と言うのではございませんか」

源「イヤよく御存じ、どうして夫れをご承知でござる」

雪「ハイ実は斯様斯様でございます」

と物語った上、

雪「夫れでたしかに坂田庄左衛門と分って居れど、不意に踏み込んで討取れば、門人衆も見て居られず、必ず手出しするに相違なく、手を出せば恨みのないものを斬って捨てねばならず、夫れでは面白くございません故、どうか御身が我々の味方になって手引きをした上、敵の討てる様にしては下さるまいか。其の代りお礼として、只今三十両は耳を揃えて差し上げ、首尾よく事成就の上は後金として二十両を差し上げましょう……」

源六、真面目な顔をして、

源「イヤどうも師匠庄蔵は不都合な奴でござる。宜ろしい。手引きをして御討たせ申そう。然う言う不埒な人物とは、今の今迄知らなんだ。必ず共に仇討ちの手引きをいたしましょう。某も実はあまり師匠が無情故、恨んでいた所でござった。たった三十両の使い込みで、身共を斬るの殺すの役所へ引き出すのと申して、イヤどうも無慈悲千萬の人物でござる。必ず承知をいたした。御安心下さる様、イヤ女で仇討とは感服の外はござらぬ」

と、源六は無闇と坂田庄蔵を悪く言って居る。雪姫は源六に三十両与える。源六は喜んで夫れを貰い受け、夫れでは師匠庄蔵を手引きして御討たせ申す。万事は是れより立帰り篤(とく)と様子を見た上、御通知申す事にいたしますと程よく言って置いて、其のまま道場へ立ち帰って来た。夫れより師匠庄蔵に巧く事成就いたし女が計略に陥って来たと言う事を詳しく物語った。

庄「夫れはご苦労で有った。然らば明日参って斯様斯様伝えて呉れ。ソレ二十両の手数料だ」

源六は喜んだ。二十両と三十両、チョイと五十両儲けてホクホクものだ。

源「イヤ承知いたしました。必ず共に御心配下さいますない」

と、堅く誓い翌日を待って、源六今度は表向きに楠屋へ来たり、雪姫に遭った上、

源「昨夜は失礼仕りました。実は今朝巧く瞞着(まんちゃく)して明日の正午から太宰府天満宮に参詣する事に勧めました故、どうか途中で御待受けを願いたい」

雪「夫れは有難う存じます。何分宜しく御願い申します」

源「承知しました。そこで私の考えですが、御待受けなさる場所は博多と名嶋の間の松並木、此所は仇討ちには屈強の場所と存じますが……」

雪「これはお心付け有難う存じます」

礼を述べて源六を返した跡で、

道「お嬢様、巧く行きました」

雪「乳母や油断は出来ぬよ。これは必ず敵に計略が有るに相違はない。あの篠原源六と申す奴、表面は此方の味方らしく見せ掛けてはいるが、あれは敵方のものだ。巧く此方を騙したと思っているだろうが、然うは行かない。妾は今夜出掛けて様子を窺って来よう」

道「夫れならお嬢様、金子なぞおやり遊ばさないが宜しゅうございますのに……」

雪「あれは此方の計略だよ。安心させてマンマと相手の計略に乗ったと見せ掛けて置いて帰って敵の裏をかいてやるのだよ。これぞ兵法で反間(はんかん)苦肉(くにく)の計略と言うのだよ。妾はあの坂田庄蔵が尋ねる庄左衛門かどうかと言う事が知れれば宜しいので、あの源六とやらの口振りでは、たしかに夫れと極った。マア今夜出掛けて見よう」

と、三人は示し合し夜に入るを待ち受けて、雪姫は宿を立ち出で、ソッと坂田庄蔵の道場へ来て、パッと忍術で内部へ忍び込み奥の座敷へ来て見ると、果して坂田庄左衛門は、源六を相手に酒を飲ん居る。雪姫はヂッと立聞きをすると、

庄「どうだ源六、五十両をチョイと儲け又事成就の暁には百両になるのだ、こんなボロイ儲けが有るものか」

源「けれども先生、命がけでございますよ。一つ間違ったら首は胴について居りません」

坂「ナーニ、強いと言っても高の知れたものだ。欺くに道を以ってすれば豪傑と言えども仕方がない。明日は三人の奴を討ち取って枕を高く寝んければならない。所で門人五十人をあの名嶋と博多の川の松並木に伏せ、別に三十人に鉄砲を持たせて木の上の彼処此所に忍ばして置いて、スワと言ったら一度に起ってやっ付ける。五十人が最初に飛び出して危い様で有ったら、三十人が鉄砲を放す。夫れでも不可なかったら、三ケ所に陥穴を儲けて、斯様斯様にて討取るのだ。どうだこれなら幾ら天狗魔人の勇有りとても、ヨモや討ち取れぬ事は有るまい」

源「成程、宜しい計略でございます。して先生、陥穴の所へはなにか目印を付けて置かないと不可ますまい。味方が落ち込んでは大変ですもの」

庄「フム陥穴の上には小さい石と木切れを立てて置く事にする。夫れは今夜出掛けて拵える心算(つもり)だ」

源「宜しゅうございます」

と聞く者がないと思って色々と話して居る。なお細々と何かの事を相談した上、庄左衛門は手を鳴らした。

ちょっとした解説:計略の裏の裏を突くという物語は、読むのが面倒くさいため明治の初頭にはあまり人気がなかった。江戸にはこんな物語があったぞとおっしゃられる方が出てきそうだが、明治に入ると印刷や流通、教育等の技術が発達し、読者数が増加する。様々な人が本を読むようになり、多くの人が読むことができる文体や物語が求められるようになる。新聞の文体も、発生当所は難解なものが多かったが、徐々に簡易で分り易いものへと移り変り、ついには口語文になってしまっている。文章が簡単になる一方で、時代とともに読者は成長し、やがて複雑なストーリが受け入れられるようになる。大正時代には敵の策略を見抜き、反撃するといった物語を少女を含めた数多くの読者が理解できるようになっていく。こうして現在の日本の娯楽文化が成立していった……というのは単純化しすぎだが、とにかく読者と書籍は互いに助け合いながら、成長してきたことは確かである。

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