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忍術漫遊 戸澤雪姫 その17 『遊女寿』

丸山の廓の大吉楼という遊女屋に寿(ことぶき)という遊女が有る。何所かの武士の娘と見え、又身に大望でも有るのか、美人の上に心掛けが第一違う。茶を立てる。琴を引く、花も生ける。糸竹の道にも暗くない。第一行儀の宜い事、女の道一つとして知らぬ事はない。これが評判になって男は鼻の下の長いものだ。是非一度は買って置くべしと言うのでゾロゾロ登楼する。酒を飲み肴を食い、イザお引けとなると、寿という遊女は床の側へ来て、ピタリ三指を支え、

寿「今日は御遊興に御越し下されて有難う存じます。妾は親の為に斯様に遊女を勤めて居ります。どうか御遊興を遊ばして下さるのは有難う存じますが、枕を並べて寝ます事だけは、御断り申し上げます。お情けを以ってこれだけはどうか……」

と、頻りに頼み込む。客は案に相違、

甲「オーヤオヤ、こんな詰らねぇ事はァねえ。斯う女にいわれて見ると、真逆(まさか)不承知だともいわれない……エー仕様がねぇ……エエ宜しいよ、どうか御勝手に……」

斯ういう風に誰が来たって同じ事、みな振られてしまうんだ。「女郎買い、振られて帰える 果報者」というが、女郎買いに行って振られるものは宜い気持のものじゃァ有るまい。けれども寿はこれが為に余計に評判が高くなった。普通の女がこんな事をいったら、客は怒って仕舞うけれども、寿は気品が高く、行儀作法すべてが慎しやかな、一種犯すべからざる所が有って立派な女だから、客も其の権式に討たれて仕舞って、なんにもいわない。却ってどうも感心な奴だ。親の為に遊女になったが、其の操を守り通すとは感心なものだと大変な評判で、流行る事、流行る事、大繁盛だ。どうも人間は能く生れたいもの、ところが長崎の町に道場を開いている元龍造寺の指南役であった下村弥五郎というものが、この大吉楼の寿の事を聞いて、物好きにも一夜遊びに行った。酒宴が果てると、例の如く、寿は両手を支え、

寿「恐れながら少々心願の筋が有りまして……」

と、断りを言った。ニッコリ笑った弥五郎は、

弥「ヤアお前が然ういうのは、乃公も聞いている。如何にも承知した。心願の筋有って遊女をいたして居る以上は、夫れ位の事は有るだろう。女の操というものは大切なものだ。決して心配をするな。拙者は当町内で大勢の弟子を取り立てて居る下村弥五郎というものだ。ヤッ気の毒な事じゃ。随分身を大切にせよ……」

平気で其の夜は帰ったが、弥五郎、どうも寿の事が忘れられない。忘れようとするが、其の目の前に美しい寿の姿が浮ぶ。寿の可愛いらしい声音が囁く様に聞えて来る。弥五郎、なんにも手が着かない。どういったって彼の女だけは駄目だと思うけれども、禁断の木の実は食べて見たいものだ。駄目だと知ると尚更(なおさ)ら其の女を自分の手に入れたいと思うが人情、夫れに弥五郎は寿の為に全く魂を奪われて仕舞って居る。弥五郎は腕を組んで考えた。

弥「どうも残念だな。宜い女だ。誰れにも身を任した事はないという。どういう心願があるか知らぬが、是非手折(てお)って見たいものだ」

と、思い込んで仕舞った。然し表面は左有(さあ)らぬ体(てい)、夫れからと言うものは、毎夜毎夜登楼して、義理に纏め様と考えて居た。恋に迷った男ほど馬鹿なものはない。近頃では武芸なんて其方(そっち)除(の)けで、弥五郎、寿をどうして手に入れたものかと、夫ればっかりを考えて居った。

ところで或る日の事、大吉楼へさして、四十才ばかりの色の黒い大兵肥満の浪人体の武士がやって来た。寿を相手に遊興をした。酒肴をドンドン取りよせ、陽気に一騒ぎ、イヨイヨ引けとなる。例の通り寿は、その客の前に両手を支え、

寿「恐れながら少々心願の筋有って……」

と、言いかけると、

男「黙れ、なんだ、どんな心願があるか知らんが、遊女ではないか白痴者(たわけもの)、我が心に従え。左もなければ斬って捨てる。武士をなんと心得る。怪しからん奴だ。こうしてくれん」

と立ち上がり、徳利を投げる。皿を割り、果ては刀を引き抜いて、家中を暴れ廻っている。サアこうなると相手が武士だからどうも手の付け様がない。折柄(おりから)隣座敷へ来て居た下村弥五郎は、ポンポンと手を叩いて、

弥「オイ誰れかおらんか……大変な騒ぎではないか」

男「ヘイどうも困っております。何所かの浪人者が参っておりましたが、斯様斯様なんで……分らずやで困って仕舞ます。寿花魁(ことぶきおいらん)もいけませんのですがね……」

弥「ハハアそうか。どうも何所の浪人かは知らんが。どうも困った奴だ。ヨシヨシ、当家が迷惑であろう。俺がその浪人者を取り抑えてやろう」

と、下村弥五郎、立ち上がって次の座敷で来たった。

弥「アイヤ其処なお武家、失礼ながら遊女を買いに来たって乱暴を働くとは余り野暮の骨頂ではござらんか、遊女にも都合のある事であろう、マアマア」

浪「黙れなんだ貴様は無礼な奴だ。余計な事を申すな。愚図愚図吐かすと手は見せんぞ」

弥「ナニ手は見せぬ面白い。どうするのだ」

浪「ウム、無礼者奴ッ」

ヤッと斬り下して来る。その手をムッと掴んだ。エイッ、ドシーンと投げ付けた。

アッと叫んで起き上がろうとする奴をグイと押えつけて、

弥「ヤイ、勘定をして帰れ……オイ若い者、勘定書を持って来い」

若「ヘイ、有難う存じます」

弥「オヤオヤ大層喰らいおったな。刺身が三人前、椀守が四つ、塩焼が三人前に酒が三升、ホホホ飯が三人前……ヤイ浪人、貴様一体この間から食わずにいたのか、恐しく大食大酒をする奴だ。大方こんなに飲んで食った挙句の果ては、勘定を踏み倒して歩くのであろう。不埒な奴だ。貴様の様な奴があるから町人が迷惑をするのだ。サア勘定をして帰れ。モシ勘定をしないと首を叩き折るぞ」

浪「フーム、恐れ入ったカー勘定する、勘定する」

弥「早くしろ」

浪「フーム若い奴、これは余り高すぎるではないか、二両二分二朱……二両に負けろ……」

若「イエ貴女、高い所ではございません。精々勉強をしてございます」

弥「吝(けち)なことを言うな……若い者、若い者」

若「ヘイ」

弥「戸障子を破ったり、皿徳利を割ったりした勘定書を別に持って来い」

浪「ウーム、そこを一つ御勘弁を……」

弥「吝な奴だ。愚図愚図吐かすと首を捻じ斬るぞ……」

と威されて浪人は、渋々金を払って勘定を済ました。

弥「コリャコリャ、勘定をしたばかりで済むと思うか。謝罪(あやま)れ。誠に暴れてすまなかったと言って、若い者に手を支(つ)いて……」

浪「オーヤオヤ、サンザンの目に遭うものだなウーム仕方がない。若い衆、すまなかった」

若「ヘイヘイどういたしまして、モウ結構で……」

浪人はホウホウの体でかえろうとすると、

弥「待て待て浪人、モシ貴様口惜しいと思わば、当町内に道場を開いている下村弥五郎と言うものだ。何日(いつ)何時(なんどき)でも真剣勝負を申し込めい」

浪人は聞き流して、逃げてかえって仕舞う。

浪「アハハハハ、世の中には馬鹿な奴もあるものだ……」

と自分の座敷へかえって飲み直し、其のまま其の夜は下村弥五郎、自分の宅へ立ちかえった。然るに翌日になると、昨夜の浪人者は、友達五六人を語らって、下村弥五郎の道場へ真剣勝負を申し込んだ。弥五郎は道場で真剣勝負をするには狭いから、長崎の松並木に於て立合うと言う事になって一同は松並木へ出掛けて行った。下村弥五郎はどうも平気なもので落着き払っている。さて勝負となると、相手は真剣勝負を望んで来るに似合わん弱い奴ばかりだ。下村弥五郎は夫れ等を相手に闘ったが、殺すのも大人気ないと思ったか、皆、背打ちを喰らわせて、打ち懲して追っ払って仕舞った。真剣勝負だと言うので、見物は山をなすばかりだが、夫れ等はみな弥五郎の腕前に感心をして仕舞って、

△「どうだい下村先生は対した腕前ぢゃァないか」

○「豪いものだ。六人も掛って、何うする事も出来ないで、刀を擔いで逃げ出すなんてあんまり弱いよ」

△「ナアニ、相手も弱くないが、下村先生があんまり強すぎるのだよ」

と誉めないものはない。弥五郎は相も変らず其の後も寿の許へ通っては、宜い男事(おとこぶり)をして、アッサリ遊んで帰って来る。

ちょっとした解説:少女向けに書かれた娯楽物語に、『男は鼻の下の長いものだ』『恋に迷った男ほど馬鹿なものはない』といった男をこき降ろす文章が登場するのは、少女向けの作品だからだろうか? 寿のような芸は売っても身体は売らぬという遊女が出現し始めたのは、明治30年代に入ってからのことだ。江戸の物語でも花魁が客を拒否するという物語があるものの、明治の物語とは少しだけ意味合いが違う。病気の親の為、娘が自ら苦界に陥る……といった物語は、大昔からある一種の定番感動場面ではある。しかし明治に入ると、現実的世界で女性が少しだけ自由に行動することが可能となり、貞操観念が流通し始める。こうして苦界に入ってもなお汚れない女性が誕生する。

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