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忍術漫遊 戸澤雪姫 その15 『仇討助成』

夫れに応じて門人の一人が出て来た。

庄「チョイと風呂焚三助を呼べ……」

やがて三助は来る。庄左衛門はこれに五両を与え、

庄「実は斯様斯様(こうこう)なんだ。貴様は一人では不可ない。誰か三人ほど連れて松並木へ行って、格好の所へ、陥穴を拵え、小石と木切とを立て、目印にして置いて呉れ」

三「畏まりました」

と、三助は出て行く。雪姫は一伍一什(いちぶしじゅう)を聞き取った上、

雪「ホホ馬鹿な奴じゃ。裏をかかれて明日は吃驚するのだ」

と言いながら、なおも聞いて居ると、源六は小便に立った。廊下へ出てヨロヨロ行く。雪姫はソッと尾けて来て、厠の横手に待ち受け、今用をすまして、手を洗おうとしている所を足を掴んでグイと引いたら堪らない。源六はアッと言う間もなくドシーン、庭に落ちて其のまま気絶した。イヤ落ちる時に雪姫が素早く脾腹に当てたのだ。源六が気絶すると雪姫は急いで懐中へ手を突っ込み、紙入れを引出して見ると五十両這入って有る。ニッコと笑った雪姫は、

雪「ホホホ、これは此方へ逆戻り」

と、三十両を取り戻し、其のまま懐中して座敷を立出で松並木へ来て見ると三助首(はじ)め五人の男が、セッセと陥穴を掘って居る。見ていると暫く経って出来上がった。

三「サアこれで宜い。竹のブヨブヨする奴を斯う十文字にして其の上へこの筵をのせてから夫れから斯う被(き)せて小石と木切を斯う立てて置くのだ。其方も宜いかい。出来たかい。ウム、これで分かりっこはねぇ。出来た出来た、サァ一人に一両づつやる。乃公は帰って旦那に貰うのだ」

と、都合六人の奴は鍬を擔いで立ち去る。跡に雪姫は陥穴を奇麗に埋めて仕舞って、

雪「ホホホ、斯うして置けばまず気遣いはない……」

と小石と木切れは立てて置いて、其のまま宿屋へ戻って来て二人に此の話をする。一方縁下へ落ちて気絶した篠原源六の奴、門弟一人に見出され、座敷へ連れられ色々と介抱されて、ようやく息吹き返した。

庄「源六、一体どうしたのだ……」

源「アイタウーム、イヤ先生、足を踏み外して庭に落る途端、脾腹を打ち、夫れからなにも分かりません」

庄「御身が酔って居って気を注けんから不可ん……」

小言を言われた。源六、まだ自分の紙入の中の金子が少なくなっていると言う事には気が付かない。其の夜は其のまま寝て仕舞った。イヨイヨ翌朝は来た。坂田庄蔵は愈々今日こそは奴等を返討ちにいたして呉れんと言うので、門弟百名を語らい、五十人には先廻りして松並木に伏せさせ、三十人には鉄砲を持たせて、これも先廻りさせて、松並木の木の上に隠れ忍ばせ、自分は二十人を引き連れ、正午に名嶋を起って博多の方へだんだんと遣って来る。丁度雪姫に於ては小光に十分身支度をいたせた上、なおも万事を打ち合わし、刻限を図って同じく博多と名嶋の境の松並木さして遣って来る。待受けて居る間に、雪姫は松の茂みの彼方此方に隠れて居る鉄砲組の火縄を消して廻る。忍術でやるのだから造作ない。夫れがすむと、木陰に隠れて昵(じ)っと相手の近寄るのを待ち受けて居る。一隊は次第次第に近寄って来る。

雪「小光どの、其方は坂田庄蔵に斬り掛って勝負をなさいよ。妾と乳母は大勢を相手に働くから……」

小「畏りました」

チャンと示し合して甲斐甲斐しく身支度をなしている所へ、坂田庄蔵等は間近かくやって来た。ソレッと声を掛けると、小光はバラリと夫れへ飛び出し、

小「ヤアヤア坂田庄左衛門、ヨモヤ見忘れはすまい。妾事は諏訪部兵庫之助の娘小光なるぞ。父の仇、兄の敵、此処で会ったは天の与え、サア尋常に勝負勝負」

と、名乗りを掛けると、兼ねて期したる事なれば庄左衛門はカラカラ冷笑(あざわら)い、

庄「アハ……小光よく参った。とんで火に入る夏の虫とは貴様の事だ。我が計略に掛かった事を知らぬか。今日只今此の所に於て、貴様の生命は貰ったから覚悟をしろ」

と、合図をすると、庄左衛門の四方を固めて居った二十人の門弟は、ソレッと言い様ズラリズラリ太刀引き抜き小光を目掛けて斬って掛かる。小光もこれに応じて懐剣を引き抜いた。ところへお道は飛んで出た。大勢を相手に闘った。小光は一所懸命父と兄の仇討ちだから、女ながらも勇気百倍して右と左に当り、前に後ろに千変万化に斬り捲る。お道は柔術の極意を現しこれまた掴んで投げる。取って投げる。見る見るうちに十五人は二人してやっつけた。この勢いに辟易(へきえき)して、余の者はチリヂリバラバラになる。すると坂田庄左衛門は、

庄「ソレッ」

と、又もや合図をすると、今度は隠れていた五十人の門弟が彼方(かなた)此方(こなた)バラバラと現われ、入り代って斬って掛かる。幾等(いくら)二人が懸命になった所で、大勢を相手にして次第に弱る一方、殊に相手は新手だ。けれども二人は懸命になって働いて居った。夫れと見て取った雪姫、木陰に隠れていたが、秘かに松の葉を掻き集め、口中に何か唱えながら、其の松葉を空中目掛けて投げ上げると、斯は如何に、松葉は忽ち大勢の人数となり、何れも甲冑に身を固め、各自に得物を打ち降り打ち降り、五十人の真ん中へ暴れ込む。

忍術戸沢雪姫 千代田文庫 キング出版社 無刊記 口絵

△「オヤッ、加勢が出たぞ、加勢が出たぞ、ソレッ……」

入り乱れての闘いになった。お道と小光は、此処を先途に斬り結ぶ。五十人は大勢に囲まれて、殊に一人で五十人相手にせねばならぬから、

△「ヤヤッ、恐しい加勢だ、恐しい加勢だ。此奴は敵わん。先生どうかして下さらないと不可ません……」

と、五十人は浮き足立って相見えた。坂田庄左衛門も仕方がないから、

庄「ヨーシ此の上は飛び道具を浴せ掛けい」

と、三度目の合図をすると、木上の所々に隠れて居った鉄砲組は咄嗟(あわや)火蓋を切らんとしてヒョイと見ると、斯は如何に、火縄が何時の間にか消えて居る。

△「オヤッ、サア大変、火縄が消えた、火縄が消えた」

木上だから騒ぐ事も出来ず、皆々大弱り、坂田庄左衛門は肝心の鉄砲を打ち出さないから、

庄「こりゃどうじゃ、ソーレ鉄砲組、鉄砲だ鉄砲だ。今だ今だ」

と幾等声を掛けてもなんの甲斐もない。鉄砲組は木の上で周章てて居る中、真っ逆様にドンドン落ちて来る。忍術で姿を隠して居る雪姫は、木の上から落ちる奴を、小口よりポンポン脾腹を当てて廻る。三十人は悉くやられて、肝心の計略も破れて仕舞った。

庄「フーム、門人共の意気地なきには呆れるわい。此の上は乃公が一番向ってやろう」

と、庄左衛門はズラリ太刀抜き放して、

庄「ヤア、小光参れ、返り討ちだ……」

と言いさま斬って掛かった。小光は父と兄の仇敵と思って精神を励まし、元気よく斬って掛かった。チャチーン火花を散らして斬結ぶ。この体を見ると雪姫はパッと姿を現わし、

雪「小光どの、大勢の者は乳母と二人で引き受ける故、其の方は一騎打ちの勝負をなさい」

小「心得ました」

と、小光は驀進(まっしぐら)に庄左衛門に斬って掛かる。大勢は其の方に向かわんとすると、雪姫は突っ立って口中に何か唱える。すると甲冑武者がワイワイ現われ、坂田庄左衛門の加勢を引き包んで犇(ひしめ)き立つ。別に打ってもかからないが、行手を食い止め、何うする事も出来ない。此方は小光、踏み込み踏み込み斬り掛る。女の一念刃先が鋭いから、庄左衛門も受け太刀となり、

庄「フム、此の上は陥穴にはめて呉れん」

と引っ外してバラバラと逃げる印の所へ来るとバッと飛ぶ。然し小光は其の上を平気で踏んでドンドン追っ掛ける。

庄「オヤ、あの印は陥穴の筈だが、一向はまらないとは不思議だ。一体どうしたので有ろう」

陥穴は三ケ所有るのだから今度は他の所へ誘きよせ、ヤッと飛ぶ。小光はドンドン踏んで来る。三ケ所ともなんともないから、庄左衛門怪しんで少々周章(あわて)気味になって来た所を小光は飛び掛り、ヤッとばかり肩口深く斬り込んだ。アッと叫んで庄左衛門は持ったる刀を取り落し、其の場へドスンと打ち倒れた。小光の続いて斬り落す二の太刀は、庄左衛門の右の腕(かいな)に斬り切りつけた。庄左衛門が斬り倒されると門人共は最早これまでと、右往左往に逃げ出した。雪姫は、

雪「早く絶息(とどめ)を……」

小「畏りました」

と、小光は絶息を刺し通す。此処に於て雪姫主従の加勢によって小光は首尾よく父、兄の仇を報じることが出来た。小光は二人の前に両手を支え、嬉し涙をこぼしながら、厚く礼を述べた。だが此のままに此の事を投(ほう)って置く事は出来ないから、小光同道にて此の事を雪姫は町奉行へ訴え出た。奉行は一応取調べると、戸澤山城守の息女雪姫と分かったから一言もない。女ながらも忍術の名人、然(そ)んな人間に小言を言った所で効き目の有ろう筈はない。また親孝道の仇討だと言うのだから、尚更以ってなんとも云う事は出来ない。

奉「イヤ承知仕った。親孝道の仇討であらば、別状もござらん。死骸は当所より取り方付けるでござろう」

と言う口上、其処で雪姫等も安心して宿へ引き上げた。

ちょっとした解説:3人 vs 100人という場面だが、講談速記本では珍しくもない状況、エスカレートしすぎ豪傑5人 vs 国などといった作品もあり、スケールはそれ程大きくない。松原での仇討ちや、仇敵による陥穴などの卑怯な反撃も、講談速記本の雛形、岩見重太郎等、定番の物語をそのまま雪姫が演じていると考えてもいい。ちなみに雪姫とお道は仇討ちの助太刀はしているが、一人も人を殺していない。現在では『殺しをしない』というヒーローは当り前のように存在しているが、実は明治40年代に入るまではカジュアルに人殺しをする主人公は多くいた。それどころか、ただの完全体の犯罪者が普通に歌になりドラマになり、映画にすらなった時代があった。曖昧なヒーロー像は守るべきものがない時代の特徴で、法整備がされ警察組織の力が向上し、秩序が形成されることで、ようやく正統派の主人公が登場してくるという訳だ。

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