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忍術漫遊 戸澤雪姫 その02 『乱暴者』

雪姫と乳母は顔を見合せてニコッと笑い、

道「お姫様、大した腕前でございます。モウこれならば大丈夫でございます……」

こうなると雪姫、なにか事があったら一つ腕前を現わして見たくなった。これは男でも女でも同じこと、少し腕が出来ると天狗になるものだ。雪姫は事があれば腕前を現わしてみたいと思っていた。しかし城内の者を相手にしたのでは、父山城守に知れて叱られるから、秘かに機会を待っている。

丁度七月二十五日が来た。この日は天満宮の祭礼、花隈の城下でも大層の賑い、戸澤山城守と重立った家来どもは櫓(やぐら)に登って、城下の模様を見下して、酒宴を催していた。ところが雪姫はこれまで天満宮の祭礼に出た事がない。もちろん一国の領主の姫君だから、こういう雑踏する日に出かけると、かえって人民が迷惑するから、父山城守は許さない。雪姫は天守から城下の模様を眺めていたが、乳母のお道に耳打ちをして、階下に降りて来た。

道「お姫様、なんでございます」

雪「乳母や、これから忍びで天満宮へ参詣したい。供をしや」

道「滅相な。そんなことをなさいますと、お殿様にお叱りを受けます」

雪「イヤ内緒だよ。分かる事はない」

道「それではお待ち遊ばしませ。小金吾殿を連れて参りましょう……」

小金吾というのは雪姫お気に入りの小姓で、常々姫に可愛がられている。生年十四歳の少年だ。

雪「それでは小金吾を呼びや」

ここで小金吾を呼んで主従三人で忍びで出掛けることになった。城の搦手より出て、城下に来ると往来に大層な群集、天満宮は城下の外れにある。この街道筋にかかって来ると、

△「ヤア危ない、危ない。酔っ払いの仲間が、女を捉えて悪ふざけをするから、そこへ行くお嬢さん、危のうございます」

と彼方此方(あなたこなた)より声を掛ける。雪姫は町家の娘という風体になっているから、誰もこれが五万石の姫君だと見る者はいない。お道は雪姫の背後に続いて、人々が危ない危ないと注意をしてくれるから、

道「ありがとう存じます。ありがとう存じます」

と教えてくれる人々に会釈しながら平気でスッスと行くから、皆が危い危いと心配をしている。そのうちに、主従三人は天満宮の橋の上に掛って来た。するとここを固めて雑踏を防いでいるのが、町奉行伊藤源左衛門の手の者だ。ところが警戒に出ている仲間三人、酒に酔っ払って、女と見ると悪戯をする。キャッキャッと言って逃げるのを面白がっている。小姓の小金吾は、

小「お姫様、あんな騒ぎでございますから、お越し遊ばすのはおよしなされましては……」

雪「小金吾、お姫様などと言ってはいけないよ。よいから黙っておいで……」

小「お道どの、お姫様にお怪我でもございますといけません……」

小金吾は雪姫の腕の出来るのを知らないから、しきりに心配をして止めるのも聞かず、今しも橋の真ん中へ掛って来ると、三人の仲間が、

仲「来た来た、恐しい別嬪が来た。俺が先だ、俺が先だ……」

と一二を争いスッと一人が出る。

仲「エッヘヘヘヘ、お嬢さん、チョイと待って……」

雪姫の側へ近寄って来た。雪姫は逃げもせず、

雪「下郎の分際で、女と侮り無礼をすると許さんぞ」

と云い様、仲間の首にチョイと、雪の様な白い手が掛ったかと思うと、ヤッと肩に担いでドンと投げる。仲間はアッと云う間もなくもんどり打って橋の欄干を越え、ドブーンと川の中へ落ち込んだ。

仲「オヤッふざけた事をしやァがる」

と今度は、二人の仲間が一度に掛って来る奴を、右と左へ取って投げる。起き上って一人は逃げたが、一人は雪姫と間違えて乳母のお道に武者振りついてきた。これも到底かなわない。お道が突然襟首掴んでヤッと投げると、ブーンと唸りを生じて飛んで行ったまま、何所へ行ったか分らない。サアこれを見ていた群集は、

□「どうだい豪いものだぜ」

乙「そうだ虫も殺さねぇ様な優しい顔をしていて、あの仲間を取って投げた腕前というものは大したものだ。どこのお嬢さんだろう」

とヤンヤと賞め賛している中、野次馬連中は知った振りをして、

△「あれはおめぇ、御領主様のお姫様だよ。なかなか武芸はお出来なさるんだ」

○「ヘーン、スルトアノ雪姫様と仰るんで」

△「フム、そうだそうだ」

丙「すると、あの側についてる年増はなんだろう。恐しく強いよ」

△「あれはおめぇ、お乳母どんだ。これもなかなか豪いんだよ。剣術、柔術、馬術、弓術、長刀と、なんだって出来る。あの後から行く若い小姓みたいな人でも、剣道は目録くらいの腕前があるんで……」

丁「ヘーン、それは大層なものだな……」

知らずに言ったのが紛(まぐ)れ当りに当って、雪姫とお道はハッと驚いている。ワイワイ言っている中を、主従は落ち着き払って天満宮へ参詣をして、無事に城内に帰って知らぬ顔、ところが城内では戸澤山城守、不意に雪姫の姿が見えなくなったから、そこはお手のもの、密かに長男の虎若丸を呼んでなにかを申し付けると、虎若丸は出て行ったが、間もなく戻って来て、父に向いなにかを囁(ささや)いた。

山「どうも仕様のない奴だ。今に帰ったら意見をせんければならない」

と、待ち構えている。虎若丸が出て言ったのは、忍術で天満宮の祭礼の場所へ行って見たのだ。ところが此方の三人は然んな事とは少しも知らない。戻って来て知らぬ顔、雪姫が戻ったと聞いて山城守は小姓の小金吾を招いて、

山「小金吾」

小「ハッ」

山「その方は何所へ参った」

小「ハッ……ウーム……」

山「ウームでは分らん。天満宮へ参詣したか。叱りはせぬ。有り体に申せ……」

小金吾も仕方がない。なまじ隠し立てをしては悪いと思って、

小「ヘイ恐れ入ります。お姫様のお供をいたしまして天満宮へ参詣いたしました」

山「ハハア、沢山の人であろう」

小「ハイ沢山な人手でございます」

山「なぜ途中でああいう事があったらあったと、帰って来たら直ちに予に申さない……」

小金吾はお道に口止をされているから、

小「お殿様、なにもありはいたしませぬ」

山「ない事があるか。なぜ隠す。いくら隠しても駄目だ。予は側で見ていたぞ」

小「エッ、それではお殿様もお忍びで……アノ忍術で……」

山「フムそうだ」

小「それでは申し上げませんでも、ご存知でございましょう」

山「知っているが、予の見た所とその方が見た所と、見所が違う。双方合わせて見んければ、真の事は分るものではない」

小「ヘン、どうもお殿様はお騙しに……」

山「黙れ。主が家来を騙してなろうや。なんでもいいからこういう事がありましたと、有り体に申せ」

小「それではお殿様、申し上げます。天満宮の橋まで参りますと、あれを固めておりましたお町奉行の手の者で、仲間が三人酔っ払って、女と見ると捕まえて徒(いたずら)をして往来の邪魔をしている所を、お姫様とお道どのがズンズン行かれますから、危ないからお止しなさいましと、私も申しますれば、往来の人も云いましたが、構わずに中央所まで参りますと、仲間が一人、お姫様の側へ来てふざけかかりました。するとお姫様が、女と侮り無礼をすると許さんぞと仰せられまして、仲間の手を取って川の中へドブーンと放り込まれました」

山「フム投げたか」

小「するとまた二人掛って参りましたのを、右左へ取って投げられました。一人はかなわんと思って逃げましたが、投げられた一人は目が眩んで起き上がるなり、お乳母どのに武者振りついて来ますと、お乳母どのがまた引き担いで投げますと、ブーンと宙に飛びまして行方知れずになりました」

山「フムそれから如何いたした」

小「お殿様、チョイとお待ちなすって下さいまし。それからどうしたと仰いますが、お殿様は見てお出でなすってご存知でいらっしゃいましょう」

山「イヤ、見ていても貴様が嘘を付くといけないから聞くのだ」

小「ヘーン……それから天満宮へお参りをして帰って参りました。見物の人々が色々な事を申しまして、あれは御領主様の御息女の雪姫様じゃ。みな剣術も柔術もお出来なさる。あのお共をしている小姓さんでも剣術は目録くらいの腕前はあるんだと申します。私はそれを聞いて嬉しゅうございました。お姫様はいつの間にあんなお腕前におなりなさいましたか。私は吃驚いたしました」

山「ウム左様か。よく申した。よいからあちらへ行け……」

戸澤山城守は、奥へ来ってお道と雪姫とを呼んで、

山「さて雪姫、その方は女だてらに仲間どもを相手にして力業をいたすとは怪しからぬ事、道も側にいながら、なぜそういうことをさしてくれる。姫がそんなに荒々しい事をしたら、その方が止めてくれんければならぬ。それを一緒になって、しかも祭日の当日、仲間を取って投げるとは以ての外だ」

雪「ハイ、お父上、それは乳母に小言を仰っては困ります。天満宮の前の橋に掛って参りますと、警固の仲間がお酒を飲んで酔っておりまして悪戯をいたしますから、私がヒョイとかわす途端に勝手に川へ落ちたのでございます」

山「つまらぬ事を申すな。勝手に城内を抜け出すとは以っての外である。理屈は言わぬ。その方の様に女らしくない者を城内に置いては、この山城守の面目に関わる。家来に対しても見せしめにならぬ。女だから勘当まではいたさぬが、城内に置く訳にはならぬ。左様心得ろ」

と云い渡した。雪姫も今更なんとも言い訳も出来ない。兄の虎若丸が出て来て、父山城守に詫びをしたが、一徹の山城守だからイッカナ聞かない。とうとう一族の戸澤玄蕃と云う者の別荘が花隈より少々離れた兵庫の町外れにある。これに矢張り乳母をつけ、懲しめのためポンと押し込めてしまった。

ちょっとした解説:前章から雪姫は、女としての道や女らしさを求められては、抵抗して裏切りまくっている。女ヒーローというのは明治の30年代には登場しているが、雪姫の性格は当時としては異色だといえば異色と言えないこともない。明治娯楽物語において漫遊し世直しをする物語のマスコットキャラは、おっちょこちょいのトラブルメーカーが基本、水戸黄門のうっかり八兵衛にもその様式が残っている。ところが本作のお道は、カジュアルに男を半殺しにしてしまうようなキャラクターであり、それなりの実力の持ち主だ。こちらも少しだけ珍しい。次章からは押し込められてしまった雪姫とお道が悪乗りし、毎夜の夜遊びを開始する。


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