仏教・反仏教という対立、仏教観、仏教の意義、和する

人は仏教的な性質と、反仏教的な性質を持っている、とか
仏教を学んだり、修行を行う事で自身の内の反仏教の性質を征するという考え
仏教の意義とは、その様な対立する物事・観念・わだかまり、を和する事ではないか。

仏教を学ぶという事は、それによって形成される中正的な観(仏教観)をもって、中正的な観念を形成していく事であり、それによりお金観や、仕事観など、その他の「観」の偏りを知る事、その偏りを和する事に繋がる。

中正的・普遍的な、観・心のありよう・仏教観が不和を観ずる心であり、和する事に繋がるから、それが根源的な和の心。

生きる事(偏っている事)は苦しい、それを観ずる、慈悲心が動く、偏りを和する、それを繰り返す、慈悲心・調和が広がる
「観(心のありよう)」は仏教的には「仏教観」ともいえるから、人はだれしも偏った仏教観を持っているとして
その仏教観の偏りを知り、その偏りを和するという課題をもっていると、そのようにシンプルに考えることができる
仏教を学ぶ事の意義は「自己の内から全世界を和するため」といえる。

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