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「嫌!」を見つめなおし、客観視すること #未来のためにできること

 ある日ベランダに出ると、スズメバチが止まっていた。そのうち飛んでいくだろうと思い、そのままにしていたのだけれど、2日経っても3日経っても同じ場所に止まっている。何かおかしいと思って近づいて見ると、スズメバチは巣をつくりはじめていた。その瞬間「嫌!」と思うと同時に、スズメバチの毒を想像してサッと血の気が引いた。すぐさま対処したけれど、「嫌!」という感覚はしばらく抜けなかった。

 数日後、何気なく見ていたSNSで、スズメバチに感じたのと同じような「嫌!」を感じた。ある人の投稿で、仕事で活躍した話を読んでいたときのことだった。その人を嫌いというわけではないのに、なぜかとても「嫌!」と感じる。自分の中で生まれた感覚を受け止めきれず、とてもモヤモヤした気分になった。どうにもおさまらないので、じっくりと自分に問いかけてみることにした。

 SNSの投稿は、スズメバチと違って身体的に危険なものではない。それでも「嫌!」と拒絶反応が起きたということは「別の理由で危険」と感じたのでは?そう仮説を立てた。ふと、学生時代に読んだ本「利己的な遺伝子」のことを思い出した。

私たちは、遺伝子という名の利己的な分子をやみくもに保存するべくプログラムされたロボットの乗り物― ―生存機械なのだ。

リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」初版のまえがきより

 この本で書かれている主張については、さまざまな反論もあるようだけれど、「嫌!」という感覚を理解するには、役立つ考え方のような気がした。「遺伝子の乗り物」である私たちは「生き残るため危険なものを排除せよ」という警報を感知できるようにプログラムされている。この警報が「嫌!」の正体だとすると、SNSの投稿に感じた「嫌!」を客観視できてすっきりするかもしれない。

 投稿していた人は私の同業者。私は無意識のうちに、相手と自分を比較し「自分はこの人より劣っている!この人がいなければ自分は劣等感を感じなくてすむのに!この人は自尊心を傷つける危険な存在だ」と思っていたのではないか。そう客観視してみたら、モヤモヤした気持ちが晴れてきた。「そもそもSNSを見なければ、劣等感を感じることもない」と気づくことができたから。

 「嫌!」を見つめなおし、客観視すること。とても地味なことだけれど、人や生き物をむやみに排除せず、ともに生きていくため、忘れないようにしたい。

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