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金井美恵子のA感覚

「尼」と「尻」とを取り違えるということの滑稽さは、頭蓋骨によってなだらかな起伏を与えられた剃髪の頭の骨ばった丸みと、他方で、なべて老若を問わず、脂肪を蓄えてでっぷりと張りだしているはずの臀部の丸みとが同時に想起され、あたかもそのふたつの対蹠的な丸みがあべこべになってしまうかのような錯覚に囚われてしまうことにあるのだが、スタンダールの『カストロの尼』がそのような書字の形態的な取り違えによって、いっそうおかしく書き換えられてしまうのは、たとえば、あのキューバ革命の指導者がカーキ色の軍服めいた戦闘服のズボンをずるっと下ろし、まっ白のぷるっとした尻をのぞかせている排便のシーンをつい妄想してしまうためであり、ある意味で「革命的」なこの書字の形態的取り違えはインドネシアのスカルノと並んで糞尿めいた名前のこの革命家にはふさわしいような気がしないでもない。
 ところで金井美恵子『カストロの尻』(新潮社 2017年)におさめられたエッセイ「小さな女の子のいっぱいになった膀胱について」は、小説家の藤枝静男が「志賀直哉・天皇・中野重治」というテクストのなかで、白樺派の作家、園池公致(ソノイケキンユキと読むのだそう)が語る挿話として、園池と鷗外の邂逅について書いているのを取り上げており、電車内で尿意を催した幼い娘をもてあましている鷗外夫妻を偶然見かけた「人のいい」園池が、夫妻を近くの自邸に招き、その「書生用の便所」を貸してやることになるのだが、藤枝の観察があくまで公致の「白樺派的特権意識」(軍人と見れば年長の大作家であっても目下にうつる)に向けられているのに対し、金井はその尿意を催した、もとい膀胱をいっぱいにした少女が森茉莉であるということに誰も関心を払わないのだということを指摘している。
 革命家カストロはおそらくは西洋風の腰掛式トイレットで用を足すだろうから、和式便所に跨るかたちでの、まっ白のぷるっとした尻をのぞかせた排便シーンなど単なる妄想に終始する(もちろん「草摘」を想定しても良いのだが)のかもしれない。その点「書生用の便所」をあてがわれた、膀胱をいっぱいにした少女はどうだろうか。とはいえわたしは、幼児性愛的スカトロジーとしか言いようのないグロテスクなイメージに用向きがあるのではなく、むしろいっそう興味をひかれるのは、膀胱をいっぱいにした少女の父で軍人でもあった鷗外の「ウンコ臭さ」について、なのである。
 「洋服を着た人がウンコ臭いのは、そのつどに厄介な、つまり下方へ引き下ろさなければならぬズボンを下半身に纏うているからに相違ない。」と尻については一家言ある作家、稲垣足穂は言うのだが、それに続けて彼は「しかしこれを革臭い兵隊のうえに及ぼすと、事はいっそうウンコ臭くなる。」*¹と断じている。同様に「ウンコ臭い」感じはするものの、実際には、まっ白でぷるっとしているどころか、毛むくじゃらで、滑稽というよりはむしろ嫌悪を覚えそうな革命家の尻についての妄想よりも、より帝国的に洗練された軍服を着た大作家が、娘の尿意を口実にして、じつは自身のいかんともしがたい便意を解決することに腐心していたのだ、などと考える方がこの奇妙に取り違えられたタイトルの「小説」にふさわしいような気がするのは、年老いて、どこか禁欲的で、禅僧めいた肖像写真で知られた大作家の頭部のいびつな丸みと、相対的にゆたかなハリを保ち続けているであろう尻の想像上の丸みとの対蹠の滑稽さをわたしが好むためであろうか。

尻に憑かれた作家稲垣足穂は「A(アヌス)感覚」という言葉を持ち出して、現在不当に抑圧されてはいるものの、それが「P(ペニス)感覚」や「V(ヴァギナ)感覚」に先立って在る始原的な観念である旨をさまざまな引用から成る書物として呈示している。それは「尻の博物誌」とでもいわばいえよう。「「紅海」の紅は「肛」におきかえてよいのではなかろうか?」と言う足穂のA感覚的偏執は、例によって、書字の形態的取り違えというよりはむしろ音韻的取り違えとして現れるのだが、それは「世界地図をしらべてみると、''Red Sea''の入り口は窄んでいて、そこから直腸の縦断面そっくりに、太く細長く続いている。「これはいよいよ肛海だ」と思わずにおられない。」と言うに及んで地図上の地形の形態的取り違えに変わり、「イタリアの長靴が、ある時、喜望峰を大迂回してきて肛海に挿入されないことがどうしてあろうか?」*²という奇想に結実する。このような奇想はA感覚から逸脱し、わたしたちを、むしろ、VP感覚のめくるめく悲喜劇として読める野坂昭如『エロ事師たち』のような小説へと導くことになるかもしれない。
 足穂的な奇想のA感覚とは少し離れたところで、独創的なA感覚的偏執から詩的形象を紡ぎ出した詩人、吉岡実について、まだ「詩と批評」の雑誌であったころの「ユリイカ」に、金井は「桃―あるいは下痢へ 吉岡実へ」*³と題したエッセイを書いている。彼女の面目躍如たるその批評的エッセイにおいて、金井は「指に触れられただけで、指の腹の圧力で押された微かなへこみから、まるでその指に付着していた菌におかされたように、そこから腐敗していく果実」としての桃について、あるいは『柔らかい土をふんで、』といった小説のなかで繰り返し現れる、口唇からあふれ出る蜜をぬぐい取る指のイメージを彷彿とさせもする肉感的な果実としての水蜜桃について述べたのに続けて、「吉岡実は、いわば、そのみずみずしい桃に指や唇や歯をあてる詩人だ」と論じている。A感覚における特権的な果実である桃果は、吉岡にとっても、そして吉岡が塑像のようにして、「指でなぞる」ことで造形してゆく詩に現れる形象を、ふたたび、指先で丁寧になぞるようにして追いかけてゆく金井自身にとっても、同様に特権的な果実であるが、同時にわたしたちは「卵のように変様しつづける」桃について夢想したり、あるいは、吉岡の詩が、「いななく馬の歯並びが、桃のような尻、あるいは乳房のような桃を咥えようとした瞬間に、わたしたちに、馬の肉体もまた桃を秘めていることを知らせる」と言われるときに、「桃と馬の尻」というA感覚的なイメージの甘美な取り違えを体験するにいたって、桃、卵、馬の尻というそれぞれに「えたいの知れぬ」液体をたたえた球体的形象が、「桃の食べすぎのせいか」、まとめて「下痢」となって排出されてしまうというA感覚的快楽を知ることになる。この下痢として排出=享受されるA感覚的快楽は、「僧侶」や「サフラン摘み」の詩人吉岡実の詩に現れるA感覚的イメージが取り集められ、それらが再び批評的エッセイとして書き直されることによって、金井のテクストそのものから立ち上ることになった快楽に他ならないのだが、わたしたちは不思議にも、それを吉岡の詩を読むことの快楽として味わうこともできてしまう。蓋し、金井のエッセイを読む愉しみというものである。
 ちなみに同特集中、わたしたちは土方巽のエッセイや、入沢康夫の詩の中においても吉岡=金井的A感覚を垣間見ることができるのだが、一方で、澁澤龍彦の寄稿しているエッセイにおいて描写される、けん玉を操る「ロマンスグレーの詩人」としての吉岡に、金井のそれとは違う、むしろ、足穂的なというべき始原的A感覚が見いだされていることを付言しておこう。

「尼」と「尻」という書字の形態的取り違えをタイトルに冠した「小説」を書いた金井美恵子の顰に倣って、父娘の便意と尿意をあえて妄想的に取り違えてしまったり、「カストロの尻」から「ウンコ臭い」軍服についてのA感覚的な連想を働かせたりすることは、足穂的A感覚に特徴的な観念的遊戯に過ぎないのだが、革命家カストロについてのA感覚的連想から飛び火するようにして、わたしたちは金井の初期の革命的(ある意味で反=革命的でもある)A感覚的エッセイ「風化の季節」(1969)*⁴を思い出しても良いかもしれない。
 作家自身によって「日和見的反スターリン主義的小市民的トロツキスト的インテリ的存在」と言われる父のせいで「耶蘇教幼稚園」に入れられたという作家は、小学校に入学すると母子寮に暮らす子らと同級になり、中でも、年上の少年らにからかわれては、そのたびにパンツを脱がされるチズコちゃんという少女(そして彼女と同様に「年の割に体が発達しているというわけでもなく、むしろ小さくやせて」いて、「パンツを脱ぐという噂のある女の子たち」も?)が歌う「リンゴの唄」について書く。続けて「チズコは今でも、男たちの前でズロースを脱ぎ、リンゴの唄を歌うだろうか?」というV感覚的に成熟したチズコの様子を空想しつつ、作家はすぐさまそれをA感覚的に転倒させようとする。「悪趣味な化粧をし」、値段とは裏腹に「ペケペケの安物」といった感じのするワンピースを着た街行く女たちが「チズコの分身のように思われる」という作家は、彼女らにブラウスとスカート、それにズロースを重ね着させ、それらを脱ぎながら「リンゴの唄」を歌うところを見てみたいとも言うのだが、「その時、わたしは『リンゴの唄』の大合唱と、彼女たちの大量のお尻(彼女たちの前面を想像することは、さらに遠い問題なのだが)にかこまれて、恥の唾液を飲み込み飲み込み記憶の彼方の海よりも遠い幼年期のオルガスムに到達する」のである。批評的エッセイとしてたどられる吉岡=金井的A感覚とは離れたところに立ち現れる、足穂的A感覚としての「大量のお尻」の圧倒的なイメージと、「恥の唾液」を溢れさせつつもそれを享受しようとする作家の始原的A感覚に基づくオルガスムの希求は、作家にとって「リンゴの唄」に並んで「苦しい歌」である「チャンチキおけさ」において、わずかに異なるかたちをとって、極まる。

 ところで、だらだらとエッセイの梗概をつまみ書きしていると、「」どうしをつなぐ言葉のガサツさと煩わしさに辟易としてしまうので、いっそ当該箇所をすべて引用したほうがよいのではないかという気がしなくもないのだが、そうなると結局は引用された言葉の前で(あるいは、後ろで?)呆然とするほかないだろうことが明らかなので、まあ、ぞろぞろと書き出してみることにする。

 母子寮から小学校に通っていた、いかにもクラスの中で「孤立させられてしまう運命」にある男の子が、ある時同級生の前で女教師に給食費の未払いを注意され、その教師が「母子寮の住人は市から給食費のお金をもらっているはずなのに、はらわなかったら食べさせない」と彼を糾弾しつつ、一方で、「給食費がはらえないからと言って、△△君をバカにしてはいけない」などとあまりに愚かな説教をするので、憤る小学生の金井はしかし、当の本人をはじめ、同級生らのおし黙ったようすに苛立ちを新たにする。

ふと見れば、当の男の子はボンヤリと下を向いていて、興奮したのはわたしだけなのかと、心底、同級生の感受性の鈍さがいやで、片ほおを神経的にひくつかせながら女教師をにらんでその時間が終わり、休み時間になった時、今までずっと下を向きっぱなしだったあの男の子が、不思議に明るい顔で、〽知らぬ同士がおけつたたいて……と歌いはじめ、彼の周囲の席にいた決して優等生ではない、むしろ劣等生という評価を受けていたやはり貧しい家の男の子と女の子たちが一緒に歌いはじめた。それは圧倒的で、わたしはすっかり驚き、もう恥ずかしい程だった。その時、わたしは彼等と一緒に『チャンチキおけさ』を歌うことは出来なかった。彼等が、無自覚的にではあるが抗議として『チャンチキおけさ』を歌った時、その時はじめて、こういう歌の歌われ方もあるということを知ったのであり、彼等の抗議の対象は、あのイヤラシイ女教師という存在を越え、あるいは何も言わないで黙っていた給食費をキチンとはらえる同級生への面あてであることを越え、まさに、知らぬ同士がおけつをたたきあうという奇妙なユートピア(?)のイメージでわたしを圧倒した。

「小皿」と「おけつ」とを取り違えるという幼児的A感覚から生まれた革命歌を前にして圧倒される小学生の金井について、上野昴志は「エッセイ・コレクション」巻末の対談で、「なにかまさにそこに、一人のインテリが誕生した(笑)、すでに小学生にして、とそんな感じの光景が思い浮かぶんですね。小学生の美恵子さんが女教師と対峙しても''知らぬ同士がおけつたたいて、チャンチキおけさ''と歌っている連中と同調するわけにはいかない。対峙する権力からも、その権力に抑圧されている子どもたちからも孤立している。まさにインテリ(笑)。」*⁵と語っているが、後年、より洗練された吉岡=金井的A感覚に発して、詩的形象をなぞりながら、それを下痢というカタルシスとして排出=享受することになる作家は、まさにその幼年期において「知らぬ同士がおけつをたたきあうという奇妙なユートピア」として自身を圧倒した足穂的始原的A感覚の集団的発現を「インテリ(笑)」として経験することになったのである。上野による、この革命的(ある意味で反=革命的でもある)A感覚的エッセイについてのコメントを引用しながら、絓秀実は、「もちろん「(笑)」を付さなければならないにしても、それはレーニン的な意味で、ブレヒト的な「革命的知識人」の誕生を刻している」*⁶と述べているのだが、たしかに『イングランドのエドワード二世の生涯』といったA感覚的なものを題材に劇を書いているとはいえ、それでも概してVP感覚のせめぎあいとしての舞台を演出した作家としてのブレヒトを持ち出すよりも、むしろ、わたしはこのエッセイを読むことで、足穂的なA感覚の始原的イメージがもたらす「民衆的」なものに立ち会う「インテリ(笑)」としての少女、金井美恵子に出会ったのであり、そのような圧倒的な体験を、今度は、もはや幼児的ではいられないために、さまざまに変様する詩的形象をくぐり抜けて洗練された吉岡=金井的A感覚から書き綴る作家である金井の、下痢として排出=享受されることも容易にできないために、粘ついた胃液として滞留しながら、ついには自らをも溶かし出してしまうかのような超A感覚的エクリチュールとでもいうべきものに、わたしは圧倒されてしまうのだ。*⁷
(多分、続く)

*1 稲垣足穂『少年愛の美学』(河出文庫)2017年 p.66
*2 前掲書 p.221
*3 以下引用は「ユリイカ 詩と批評」(青土社)1973年 九月号第五巻第十号「特集:吉岡実」 pp.88-89による。題字「吉岡実へ」のフォントサイズは実際はより小さいものになっている。
*4 以下引用は『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964-2013]1 夜になっても遊びつづけろ』pp.57-62による。
*5 前掲書 p.481
*6 絓秀実「金井美恵子のレーニン主義」(「早稲田文学」(筑摩書房)2018 春号 所収)p.69
*7 テクストの成立年代から言えば、当然吉岡実についての批評的エッセイの方が遅いのだから、このように書くことは正しくないのだが、わたしに、つい、そのようなことを書かせてしまう説得力が、金井のテクストにはある、とあえて言いたい。


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