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いつかどこかで見た映画 その49 『LBJ ケネディの意志を継いだ男』(2016年・アメリカ)

“LBJ”
監督:ロブ・ライナー 脚本:ジョーイ・ハートストーン 出演:ウディ・ハレルソン、マイケル・スタール=デヴィッド、リチャード・ジェンキンス、ジェフリー・ドノヴァン、ジェニファー・ジェイソン・リー、C・トーマス・ハウエル、リッチ・ソマー、ビル・プルマン

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 アメリカ合衆国の第36代大統領リンドン・B・ジョンソンといえば、「理想の英雄[ヒーロー]」ジョン・F・ケネディと「世紀の悪役[ヒール]」リチャード・ニクソンというキャラの濃い両大統領のあいだにはさまれて、特に日本では印象の薄い存在だろう。せいぜいのところ、1960年代を知る者(全共闘世代!)にとってジョンソン大統領は、「ヴェトナム戦争を泥沼化させた張本人」として記憶されているくらいではないか。
 あるいは、トム・ウルフのベストセラー・ノンフィクションを映画化した『ライト・スタッフ』を見た方なら、そこに登場するジョンソンをおぼえておられるかもしれない。あの映画のなかで、ドナルド・モファット演じるまだ副大統領だったジョンソンは、「ソ連との宇宙競争に血道を上げる野心的な人物」であり、宇宙船の打ち上げが失敗に終わるたびに怒り狂い、いざ成功するとその成果を我がことのように国民や世界にアピールする姿が皮肉たっぷりに戯画化[カリカチュア]されていたものだ(……ジョンソン副大統領が、地元テキサス州ヒューストンで宇宙飛行士たちとその妻を招いて催したパーティーの、下品な悪趣味ぶりたるや!)。
 そういえば、フォレスト・ウィテカー主演の『大統領の執事の涙』でも、主人公がホワイトハウスで執事として仕えた歴代大統領のひとりとして登場していた(演じたのはリーヴ・シュレイバー)。この映画では、トイレのドアを開けたままで、用をたしつつ用事をたのむ(!)というぶしつけな無神経ぶりの一方で、実は思慮深い面もある好人物として描かれていた。
 いずれにしろジョンソン大統領とは、ケネディの突然の死で棚ぼた式に「大統領になれた男」であり、あの1960年代という激動の時代における“橋渡し的存在”だったというのが、本国アメリカにおいても一般的な認識のようだ。結局のところ、時代の「あだ花」にすぎないという印象なのである。
 そんな36代目のアメリカ大統領だが、現実の現代アメリカ政治史上においては評価がおおいに異なってくる。実のところ、ケネディ政権が公約としながら成し得なかった黒人差別撤廃のための公民権法を成立させ、宇宙開発を推進させたのもジョンソン大統領なのである。ケネディが描いた2つの「アメリカの夢」を真に実現したのが、LBJことリンドン・B・ジョンソンだったのだ。
 ……歴史的な偉業をはたしながら、JFKという華やかな存在の“陰”に隠れてしまった男。ロブ・ライナー監督による『LBJ ケネディの意志を継いだ男』は、負の「虚像[イメージ]」ばかりがひとり歩きしているジョンソンとはどんな男だったのか、その複雑にして面妖(!)な、ひと筋縄ではいかない「実像[リアル]」を、“あの時代”とともに描きだしていくこころみだ。そのうえで、この「テキサスの田舎者」がどうして“ケネディの意志”を継承し達成できたのかを、あらためて見つめ直そうとするのである。
 映画の前半は、1963年のある1日と、1960年の大統領予備選挙をめぐる日々とを交互に映し出していく。ーー63年のその日、ケネディ大統領夫妻や閣僚たちは、遊説のためにテキサス州ダラスを訪れる。そこにはジョンソン副大統領(ウディ・ハレルソン)と妻のレディ・バード(ジェニファー・ジェイソン・リー)、ジョンソンとはそりの合わない同郷の上院議員ラルフ・ヤーボロー(ビル・プルマン)の姿もあった。
 空港に降り立ったジョン・F・ケネディ(ジェフリー・ドノヴァン)とジャッキー(キム・アレン)の夫妻を、熱狂的に迎えるダラス市民。一方おひざ元のテキサス州出身だのに、ジョンソンはほとんど眼中にない。憮然として車に乗り込むジョンソン夫妻。どうやら大統領に説得されたらしいヤーボロー議員も、いかにも不承不承といった感じながら同乗する。
 かたや、60年の大統領予備選をめぐっての日々。はじめは乗り気でなかった民主党の予備選挙に、ジョンソンは出馬することを決意する。だが、東部出身のハーバード大卒というエリートで、カリスマ性をそなえたケネディの前に敗北。そのケネディから副大統領候補に指名されるものの、それは院内総務として築いた地位と実績を捨て、お飾りでしかない「副大統領」のポストに就くことを意味していた。が、ジョンソンはその申し出を受けることを決意する。彼には、自分なら副大統領としても国政に不可欠な仕事ができる、という自信があったのだ。
 こうして、ケネディとともに大統領選に勝利したジョンソン。だが、副大統領としての彼にケネディが求めていたのは、ラッセル上院議員(リチャード・ジェンキンス)を筆頭とした人種分離主義を是とする民主党員を懐柔し、ケネディが推し進める公民権法を支持させることでしかなかった。ジョンソンにとって、同じ南部出身で政治家としての師でもあるラッセルだが、いくら懇意の仲といってもことがうまく運ぶわけもない。そのうえ、ジョンソンのことをこころよく思っていない、ケネディ大統領の弟で司法長官のロバート(マイケル・スタール=デヴィッド)の思惑もあって、ジョンソンは政治的な実権をみるみる失っていく……。
 ケネディ兄弟とジョンソンをめぐる、微妙な政治的駆け引きと確執。前述のとおりふたつの時間軸で物語っていくそのドラマが、やがてひとつに重なる。それが63年11月22日であり、いうまでもないケネディ大統領が暗殺された“ダラスの熱い日”だ。そしてジョンソン自身の人生もまた、この日を境にすべてが一変するのである。
 ……南部の伝統にこだわり、あくまで公民権法に反対する民主党保守派の議員たちと、何としてでも法案を成立させたいケネディたちリベラル派の議員たち。映画のなかでジョンソン自身が言う通り、「ケネディたちも南部議員たちも、相手のことばを理解しようとしない。私なら両方のことばを理解することができる」。だが、兄の“次”を狙っているロバート・ケネディにとって、そうしたジョンソンの政治的手腕こそ脅威だった。それゆえロバートは徹底して彼を冷遇し、その実力を封印しようとする。
 このあたりの露骨な駆け引きは、次第に観客を“ロバート憎し”へと向かわせ、ジョンソンに対して同情的な感情をひきだしていく。自分の部下[スタッフ]たちに高圧的で下品な物言いをし、トイレのドアを開けたまま(……この映画でも!)命令するなど、はじめのうちは決して好感のもてる人物像ではなかったジョンソン。だが、保守派の実力者ラッセル議員を根気よく説得し続け、ロバートに対しては「なぜ、そこまで私を嫌う?」と率直にたずねるジョンソンの、その「政治家」としての器(うつわ)の大きさに対して、ぼくたちは次第に賛嘆と敬意の念を抱いていくのである。
 映画のなかで、ジョンソンが自宅と遊説先のホテルで妻のレディ・バードと語らう場面が二度登場する。そのひとつで、テレビに映るJFKの姿にジョンソンが、「この男ほどテレビ映りのいい政治家はいない」と妻に語る。続いて、「いや、この男ほどテレビ映りのいい役者はいない、だな」と言い直して笑いあうのだが、そこには揶揄というよりも、ケネディ大統領の若さとカリスマ性に魅了されてもいる彼自身の素直な感情があふれている。
 そしてもうひとつの場面では、ベッドのなかでジョンソンが「言い寄ってくる男たちがたくさんいたのに、どうして私を選んだんだい」と、妻のレディ・バードに若かりし日のことを背を向けたまま訊ねる。すると彼女は、「そうね。でも他の男の子たちは最初のデートで、どうやって私からキスを奪おうかとばかり考えていた。でも、あなただけがプロポーズしたからよ」と答えるのである。「でも、すぐに返事をくれなかったじゃないか」と言うジョンソンに、「だって、まだ会って30分よ!」と笑うレディ・バード。
 この夫婦の場面は、こよなく美しい。そこにはジョンソンという人物の、内なる“弱さ”と“純粋さ”がにじみ出ている。それは、政治家としてではなくひとりの「人間」としてのリンドン・B・ジョンソンの魅力を伝えてあまりある。逆に言うなら、政治家としての「弱点」であるだろうそうした人間性を見せまいと、ああいった粗野で下品な言動をとっていたのかーーとすら思わせる。そんな複雑で人間的な“陰影”を、監督のロブ・ライナーはこの人物像[キャラクター]にもたらしているのだ。
 思えば、初期の代表作『恋人たちの予感』や、『ア・フュー・グッドメン』、近年の『最高の人生の見つけ方』にいたるまで、あるいはスティーヴン・キング原作の恐怖劇『ミザリー』ですら、ロブ・ライナーの監督作はいつでも登場人物たちの会話、その“ことばのやりとり”において彼や彼女たちを輝かせる術にたけていた。その才能が、実在した人物像を描くこのはじめての「伝記映画」においても遺憾なく発揮されている。そのことを、彼の作品たちのファンだった者としてとしてうれしく思う。
 ーーともあれ、こうして予期せぬかたちで「第36代アメリカ大統領」に就任したジョンソン。約1世紀ぶりに誕生した“南部出身の大統領”ということで喜ぶラッセルたち保守派議員と、不信感を露わにするロバート・ケネディやヤーボローたちリベラル派議員の両陣営を相手に、その心労はいかばかりだったことか。
 だが、ジョンソンはあくまで自己の信念と良心にしたがう(……リンカーン記念館の像に向かって、「あなたの後始末は私がするよ」とつぶやくジョンソン)。そして、ケネディの特別顧問で演説原稿を書いていたテッド・ソレンセン(ブレント・ベイリー)に原稿を依頼し、大統領として初の所信表明である「一般教書演説」に向かうのである……。
 本国アメリカでは、“ヴェトナム戦争を泥沼化させたジョンソンの「負」の実像を描いていない”と批判もされたこの映画。たぶんオリヴァー・ストーン監督なら、3時間以上かけて(!)そういった面こそをイヤというほど“露悪的”に描いたことだろう。だが、もう一度繰り返せば、この映画が描こうとしたのは「政治家」としてのLBJである以上に「人間」としてのリンドン・B・ジョンソンなのである。政治家としてではなく、彼が“そんな「人間」”だったからこそ、ケネディが実現できなかったことをジョンソンはなし得たーーこの作品はそのことを深く納得させてくれるだろう。もう、それだけでじゅうぶんじゃないか。
 最後に。相変わらず素晴らしいウディ・ハレルソンと、ジェニファー・ジェイソン・リーに心からの拍手を。

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