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いつかどこかで見た映画 その186 『ビヨンド・ユートピア 脱北』(2023年・アメリカ)

“Beyond Utopia”

監督・編集:マドレーヌ・ギャビン 撮影:キム・ヒョンソク 


 いやはや、新年早々とてつもなく“強烈”な映画と出会ってしまった(註・この文章は今年の1月に書いたものです)。ここ最近で見たなかでもその緊迫感では群を抜いた手に汗にぎるスリリングな展開と、どこまでも鮮烈かつ印象的な人物像[キャラクター]。そして見終わった後、感動というよりその「メッセージ」の“重さ”に思わず茫然自失してしまうーーというか、とてつもなく「面白い」のに、どうしても安易に面白いと口にするのがはばかられてしまうのだ……。そんな、文字どおりお屠蘇(とそ)気分もいっぺんに吹き飛ぶような映画なのである。
 そこで描かれるのは、老婆や幼いふたりの子どもたちを含む5人の一家による命がけの「脱出劇」。祖国を捨てた一家は、見つかれば死を意味する兵士や警察の目をくぐり抜け、行く手をはばむ川やジャングル、険しい山道といった過酷な道のりをひたすら逃げのびながら、身の安全を手に入れるためにいくつもの国境を越えなければならない。しかも、この無謀とも思える危険な旅の計画[プラン]を立て、彼らをひきいて行動をともにするのは、とても屈強とはいいがたいひとりの「牧師」なのだ。
 ……と聞けば、いったいどんな冒険映画か、あるいは『キリング・フィールド』のような社会派ヒューマン・ドラマだろうかとお思いになるだろう。しかしこれは虚構[フィクション]の物語でも再現ドラマでもなく、すべて“現実”にあったことをカメラが記録し続けた「ドキュメンタリー」なのである! ーーそう、アメリカのドキュメンタリー映画作家マドレーヌ・ギャヴィン監督による『ビヨンド・ユートピア 脱北』は、北朝鮮からひそかに逃亡する「脱北者たち」の実態を克明に追うことで、もはやどんなフィクションをも超えた驚きと興奮をもたらしてくれる。そのうえで、「自由と、人間の尊厳について」の問いかけを見るものすべてに突きつけてくる作品なのである。
 前述のとおり、映画の中心となるのは現実に北朝鮮の国境を越えたロ・ヨンギルとその家族。ロさん一家は、親戚が脱北したことで当局にマークされ、いつ強制収容所に送られるかわからない状況下にあった。この国で収容所送りは、ほぼ“死”を意味している。そのため、きびしい監視の目を盗んでロさんと妻のウ・ヨンボクさんは、80歳を超えた母親とまだ幼いふたりの娘をともなって、一家揃っての脱北を決行する。
 が、なんとか監視の目を盗んで中国との国境の川を渡ったものの、5日間も山中をさまよったあげくいよいよ進退きわまってしまう。そのとき出会った農家の人間が、幸運にも韓国のキム・ソンウン牧師の「脱北ネットワーク」とかかわっていた。そしてこのキム牧師こそ、これまでに1000人以上もの脱北を実現してきた支援団体の中心人物なのだった。
 連絡を受けたキム牧師は、さっそく韓国にいるウさんの親戚とともに、ロさん一家の救出に着手することになる。もちろん5人もの人間を一度に脱北させるのは、当然ながらよりいっそう危険と困難がともなう。けれども、このままでは中国政府により北朝鮮へ強制送還させられ、一家を待ち受けているのは強制収容所での「死」だけだろう。
 しかし、脱北の手助けが実際どれほど危険か。ギャヴィン監督のインタビューに答えて、キム牧師は、かつて救援活動中に凍った冬の川で足を滑らせ転倒し、首の骨を折ったと語る。そのときは九死に一生を得たものの、今も7本のボルトで固定されているのだと。ずんぐりとした体格と、眼鏡をかけた温和な眼差しのキム牧師。失礼ながら、一見とても「脱北支援」という危険な任務を陣頭指揮する人物とは思えない。脱北者だった妻とはひと目ぼれだったと笑うキム牧師だが、そうまでして師が脱北者の支援にとり組むのには、ひとり息子の存在があった。牧師夫妻は自分が活動中に、病弱だった息子を亡くしていたのだ。
 自分が他人の子どもを救っているときに息子が死んだことは、「人生で最大の苦しみだった」と言うキム牧師。だが、その息子こそがキリスト教の福音書で説く「ひと粒の麦」であると思い、「息子の命の代わりに、よりいっそう多くの脱北者の命を救おう」と決意したのだった。
 支援基盤である教会からの資金援助をとりつけ(脱北のためには多大な費用がかかるのだ……)、キム牧師はウさんの親戚ウ・ヒョクチャンさんをひそかに中国でロさん一家と合流させる。ここから彼らには、中国からベトナム、ラオス、タイの4つの国をまたぐ1万2千キロメートルもの凄絶な“旅”が待ち受けているのである。
 だが、どうしてここまで長い距離を移動しなければならないのか。それは、北朝鮮と同盟関係にある中国はもちろん、ベトナムやラオスでも、脱北者は発見されると強制送還させられてしまうからだ。しかし、中国から韓国へむかうことがほとんど不可能な現状では、危険を冒してでもこのルートで、身の安全を保証してくれるタイまで進むしかない。
 ともあれ、こうしてロさん一家たちは「脱北ブローカー」(とは、報酬目的に脱北を手助けするものたちのこと)の用意した車を乗り継いで、まずはキム牧師が待つベトナムの国境をめざす。警察にみつからないよう、車内で息をひそめる家族。どうにか国境を越えてベトナムに入り、ロさん一家はキム牧師とようやく対面する。
 隠れ家として用意された宿泊施設で、逃亡いらいはじめてひと息つく家族の面々。水道水が使い放題であることに驚き(……北朝鮮では水も配給制で、米をといだ水を飲料用にしていたという)、窓から見える木々の緑に「美しい」と感嘆する。
 あるいは、(これはラオスでのひと幕なのだが)監督から北朝鮮について問われた祖母のパクさんは、最高権力者の金正恩[キム・ジョンウン]を賛美し、娘であるウさんから「お母さん、ウソはつかないで。もう本当の気持ちを言っていいのよ」と諭される。それでも祖母は、「本当は北朝鮮で死にたかった」と言うのである。
 しかし、いつまでもぐずぐずしてはいられない。キム牧師たち一行はこれから夜のあいだに、ジャングルの道なき道を踏破しなければならない。そして80代の祖母や幼い子どもたちをともなったそれは、途方もない危険と困難をともなうものだった……。
 ところで、まだ本作を見ていないひとは疑問に思うのではあるまいかーーいったいどうやって、そんな脱北の一部始終を撮影できたのかと。監督のマドレーヌ・ギャヴィンは、インタビューに答えてこう言っている。
《中国は北朝鮮と緊密な同盟関係にあり、私たちのクルーが家族を危険にさらさずにそこで撮影することは不可能です。(中略)しかし、中国と北朝鮮の国境沿いにある彼(キム牧師)のブローカーや農民のネットワークは、脱北者を助け、途中で映像を撮影することに成功しました。2年前に亡命したロ一家の親戚であるウ・ヒョクチャンは、年老いた母親を助けたいと考え、中国のさらに南へ行ってから家族と会いました。彼はまた中国の旅の追加映像を我々に提供してくれました。》
 つまり、最初の北朝鮮と中国の国境付近におけるロさん一家の映像は、協力者の農民や脱北ブローカーがスマートフォンや折りたたみ式携帯電話で撮影したものであり、中国国内の車中での様子は、親戚のウさんがギャヴィン監督から渡された隠しカメラで撮影したものだった。ベトナムやラオスでの撮影は監督たちスタッフが自身でおこなったが、
《例外は、家族がジャングルを通って国境を越えてラオスに入ろうとしたときです。安全上の理由から、キム牧師はその旅の乗組員を全員アジア人にすることを望んでいました。そのため、ジャングルに入ることが許可されているクルーは、撮影監督のキム・ヒョンソクと録音担当のチェ・デヴォンだけでした》
ということだ。(以上、作品パンフレットのインタビュー記事より引用)
 結果、ロさん一家の脱出劇は、当然ながらそのリアルな映像による緊迫感に満ち満ちたものとなった。観客はもはや、この一家とともに警察の目を怖れ、夜の森を抜ける途中で聞こえる犬の吠える声に緊張し、ケガをしながらも懸命にジャングルを歩き続ける幼い姉妹や、高齢の祖母のことが気がかりで仕方なくなってしまう。さらに、一行を案内する脱北ブローカーたちだが、カネのことしか考えない彼らが裏切りはしないかと気が気でなくなってくる(実際に彼らは、わざと密林内をどうどうめぐりしているフシがあったりするのだ)。そうして一家が無事にタイまでたどり着けることを、いつしか心から祈っているのである。
 そのうえで、いったい彼らがなぜここまで命がけで国を捨てなければならなかったのかと、どうしても思いを馳せずにはいられない。そしてそのことを、この映画は「もうひとつの家族」を登場させることで、あらためて観客に北朝鮮国内の「現実」を問いかけるのである。
 その家族とは、リ・ソヨンと彼女の息子リ・チョンだ。母親のリさんは北朝鮮の元軍人で、退役後に貧困と夫の暴力に耐えきれずに12年前に脱北。一度目は失敗するが、きびしい尋問と拷問を受けながら「自由」を夢見て生きのび、どうにか釈放されたとき彼女はまだ幼い息子をおいて二度目の脱北に成功した(……一部アニメーションをまじえながら語られるリさんと息子チョンくんの“別離”のてんまつは、深く胸を打つ)。
 そんな、今は韓国で人権活動家として活躍するリさんだが、北朝鮮に残した今では17歳なる息子チョンくんのことをつねに気にかけている。そして息子の脱北をキム牧師に相談し、彼女は脱北ブローカーに依頼するのだ。
 だが、中国に渡ったところでチョンくんは消息不明に。その後、中国当局に身柄を拘束されたという、衝撃的な連絡がリさんにもたらされる。別のブローカーが密告したためだというが、詳細はわからない。とにかく希望を捨てずにリさんは奔走するものの、チョンくんは北朝鮮に強制送還されたという報がもたらされる。
 中国到着の際に送られてきた、17歳になった息子の写真を見つめながら悲嘆にくれる母親リさん。彼女は何度も何度もブローカーと電話で連絡をとるが、そのたびに息子の状況はどんどん悪くなっていく(……この息子の安否について、現地におもむくことがかなわず“電話でしか情報が得られない”リさんの立場を思うとき、本当にいたたまれなくなってしまう。これもまた、「脱北」の現実とその“代償”なのだ)。そしてついに、息子のチョンくんは強制収容所に送られたと知らされるリさん。後悔と慚愧の念を吐露しつつ、だが彼女は涙ながらに「それでも生きていることを信じ続ける」と言うのである。
 この二組の家族を中心に、元CIA分析官やジャーナリストなど専門家による“北朝鮮と脱北”をめぐるコメントをまじえながら、けれどもこの映画は、東アジアの「独裁国家」を直截的に“悪”と断罪するものではない。しかし罪なき人々が、ここまで命の危険にさらされながらも必死に〈自由〉を求める姿に、このひとたちをここまで追いつめた「北朝鮮」という国について、この映画を見るものはあらためて考え込まざるをえないだろう。
 と同時に、この映画を文字どおり手に汗握りながら、あるいは涙を流しつつ「楽しんでしまった」われわれ観客は、そのことの“後ろめたさ(!)”とともに、このロさん一家とリさん母子の「その後」に思いを馳せることになることになるだろう(……いや、馳せるべきなのだ)。あたかも冒険映画やメロドラマの登場人物と見まがうこのひとたちは、今も画面のむこうの、この地上のどこかで「生きている」。そんな彼ら彼女たちの実存を、その〈生〉を実感させてくれることこそが、本作を真に驚くべき「ドキュメンタリー映画」たらしめているのだから。

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