見出し画像

いつかどこかで見た映画 その74 『37 seconds』(2019年・日本=アメリカ)

監督・脚本:HIKARI 撮影:江崎朋生、スティーブン・ブラハット 出演:佳山明、神野三鈴、大東駿介、渡辺真起子、熊篠慶彦、萩原みのり、芋生悠、渋川清彦、宇野祥平、奥野瑛太、石橋静河、尾美としのり、板谷由夏

画像1

 ロバート・レッドフォードといえば、先にも取りあげた『さらば愛しきアウトロー』を最後に俳優業からの引退を宣言したのは周知のとおり。とうとう「役者」として米アカデミー賞に縁がなかったものの(……もっとも、レッドフォード本人が“そんなもの”を望んでいたかどうか)、それでも数多くの名作に出演し、「監督」としては見事にオスカー像を手にしている。ともあれ、戦後アメリカ映画を代表する名優であり映画製作者として、その名は今後も色あせることはないだろう。
 そしてレッドフォードの“業績”には、もうひとつ「サンダンス・インスティテュート」がある。というか、この『明日に向かって撃て!』における自身の役名“サンダンス・キッド”を冠した、独立系[インディペンデント]の映画や映画人を支援する非営利団体こそ、後世において彼の「最も偉大な功績」として語られるのではあるまいか。実際、このサンダンス・インスティテュートが毎年開催する「サンダンス映画祭」は、コーエン兄弟やタランティーノ、ブライアン・シンガー、最近ではデミアン・チャゼルをはじめとする才能を発掘し、世にはばたくきっかけを与えてきた。今や世界の若手映画作家たちがめざすべき“登龍門”なのである。
 一方でサンダンスが、日本のNHKと共同で「次世代を担う新しい映像作家の発掘と支援」を目的とする活動を1996年から継続しておこなっていることは、あまり知られていないようだ。こちらは国籍を問わず脚本を募集し、その内容や過去の映像作品を総合評価して毎年1名の「サンダンス・インスティテュート/NHK賞」を決定。賞金1万ドルのほか映画の製作支援するというもので、近年では寺島しのぶ主演で映画化が実現した平栁敦子の『オー・ルーシー!』が記憶に新しい。また、この賞に向けてNHKが新人映画作家の脚本をサポート&推薦するワークショップも設けられ、こちらも選出されるのが3名と“狭き門”となっている。
 と、以上サンダンス・インスティテュートおよびNHK賞についておおまかに紹介してきた。もっとも、サンダンス映画祭関連の作品はともかくNHK賞にいたっては、その20年以上にわたる歴史にあってぼくが目にできた作品など、正直なところほんのわずかしかない。では、どうしてここであらためて振り返ろうとしたのか? それは、これから語ろうとする映画がこのサンダンスとNHK賞とかかわるものだったからだ。
 そう、前述の脚本ワークショップから誕生したその作品は、間違いなく近年でも傑出した「才能」の登場を告げるものだった。それは、「世界には新しい映画監督を支援しようとする企画が多く存在するが、短期間にこれだけの成果をあげた賞は、NHK賞の他にない。たった一人のビジョンが世界中の人々に新しい価値観を提供し、新世界を切り開くことがある。それを信じ続けた甲斐があった」というロバート・レッドフォードの言葉どおり、その作品の世界[ビジョン]が「世界中の人々に新しい価値観を提供し、新世界を切り開く」ものだった。ーーHIKARIという日本人女性の長編監督第1作『37セカンズ』は、まこと映画というものを「信じ続けた甲斐があった」と心から思わせてくれる作品だったのである。
 主人公となるのは、23歳のユマ(佳山明)。生まれたときに障害を負って以来、車イス生活をおくっている。そして今は、東京郊外で母親の恭子(神野三鈴)とのふたり暮らしだ。
 彼女は少女コミックを描いているが、それは親友SAYAKA(萩原みのり)の“ゴーストライター”としてだった。そのことは担当編集者(宇野祥平)も知らないふたりだけの秘密だったが、今や売れっ子のSAYAKAに複雑な思いを抱くユマは、自分の名前で作品を発表したいと考えるようになる。
 だが、編集者に原稿を見せたものの「SAYAKA先生の作品に似すぎ」と評され(……実際はユマが描いているのだから、あたりまえのハナシなんだが)、あえなくボツ。少女コミックの世界では相手にされないと知った彼女は、公園に捨てられていたアダルト・コミック誌を目にして、この分野ならとさっそく編集部に電話する。とりあえず原稿を見てもらえることになり、他のエロマンガやネットのAV動画を参考にしつつ、彼女なりに“濡れ場”を盛りこんだSF仕立ての「アダルト・コミック」を描きあげたユマ。
 そうして出版社に原稿を持ち込んだはいいが、対応してくれた女性編集長(板谷由夏)に、作品の力量は認めるものの「リアルさに欠けるんだよね。あなたセックスしたことある? 経験がないのに妄想だけで描いたエロマンガなんて面白くないでしょ」と言われてしまうのだ。
 ……家では、自分への愛情ゆえとわかってはいても過干渉すぎる母親の“庇護”に甘んじ、「職場」では親友のはずだったSAYAKAに真の作者であることを秘密にされたまま“搾取”されている。ここまでのユマは、母親と親友のある意味「所有物」でしかない。しかし、「自分の名前で作品を世に出したい!」と思うようになった彼女に、その女性編集長の言葉はある決定的な契機となった。それは、誰かに「所有」されるのじゃなく、(それが「セックス」というかたちであれ)誰かと「関係」せよというひとつの“啓示”を、ユマに与えたのである。
 そこで彼女は、まず出会い系サイトで男探し(!)をはじめるが、いざ会っても車イスの彼女はまるで相手にされない。ならばと夜の歓楽街に出向き、プロの男を“買う”もののこれも未遂に終わってしまう(……それにしても、一見まだウブな小娘(失礼!)にしか見えないユマの、ほとんど無謀ともいえるこの一連の「冒険」のくだりは、確かに現実のシビアさを感じさせつつもそこに憐憫や痛ましさは微塵もない。むしろ思わず笑ってしまうほど、いっそ“痛快”ですらある。ーーそう、車イスの女がセックスしたいと思って何が悪いんや! という「大阪出身・LA在住」のHIKARI監督の声が聞こえてくるようなのだ)。
 その帰りに、ホテルのエレベーターが故障して途方に暮れるユマ。そのときちょうど、車イス姿の常連客クマ(熊條慶彦)と仲良く連れだって客室から出てきたデリヘル嬢の舞(渡辺真起子)、フリーの介護士・俊也[トシ](大東駿介)に助けられる。そして、ここまで失敗続きの「セックスをめぐる冒険」だったものの、そのときに得たこの出会いが、ユマの人生にとって大きな“転機”となるのである。
 そんな娘の変化に気づいた母の恭子は、ユマが隠していたアダルト・コミック誌やバイブレーターを発見してきびしく問いつめる。一方のユマも、そういった母親の干渉と束縛を非難してゆずらない。おそらく、はじめて母に対し真正面から“反抗”した彼女は、ついにSAYAKAのゴーストライターであることもやめて、家出を決行するのだ。
 ……先にぼくは、ユマという存在が母親や親友SAYAKAの「所有物」でしかないと書いた。そして彼女は、(舞やクマ、トシたちとの出会いを通じて)ついに反旗を翻す。誰かに「所有」されるのじゃなく、誰かとの「関係」を求めるために。ーーそうしてユマは、トシの住居で世話になりながら、母に黙って1通だけ隠し持っていた父からのハガキを頼りに、一度も会ったことがない父親を訪ねようとする。そのことが彼女を、まったく思いがけないさらなる「冒険」へと導くのである。
 ところで、ここでいう「関係」とは何だろうか? それはたとえば「性[セックス]」でもいいし、「承認されること」でも、「真実」でもいい、それを求めるために他者と関わることだ。誰かとの関わりのなかでしか求めることができないもの、それを求めることで人ははじめて成長できる。そのことをこの映画は、というかユマは、教えてくれるだろう。
 そして映画は終盤、遠くタイのジャングル奥地(!)まで車イスのユマを連れて行く。そこで彼女は、本作のタイトルでもある「37秒間」について語るだろう。ユマは産まれたとき、しばらく呼吸がとまっていた。その“37秒”という時間が、彼女の身体に障害を残したのだった。
 だが、いくつもの「関係」を経てあるひとつの“真実”にたどりついたユマは、最後にこう言うのだ、「(障害者となったのが)私でよかった」と。その言葉の意味するところは、ぜひ実際に映画をご覧いただきたい。ひとつだけ言えるとすれば、ぼくはこのときのユマの台詞[セリフ]を、近年の映画のなかでも最も美しいものだと信じて疑わないということだ。
 それにしても、とにかく何よりユマを演じる佳山明の素晴らしさ! オーディションで選ばれた演技経験のない彼女に合わせて、脚本も大幅に書き直されたというが、そういったことを超えて佳山明は「ユマ」という人格と肉体を“演じ”きっている(……そして何より、あのか細く愛らしい、けれど意志的な声!)。物語[ドラマ]が進むなかでどんどん強く、美しくなっていく彼女を見つめ続けることじたいが、ひとりの真の「ヒロイン」の誕生を目撃することであり、ひとつの見事な「スペクタクル」に他ならないだろう。
 そして監督第1作に「障害者女性のセックス」という“難物[リスキー]”な題材を取りあげながら、それを実に向日的かつ実に爽やかな「成長物語」に創りあげてみせたHIKARI監督の才気と“勇気”にも最大限の賛辞を。デビュー作にしてそのパワフルな演出力と、何より彼女の映像には独特[ユニーク]な“華”がある。今後はアメリカを拠点に活動するようだが、ぜひまたこの監督ならではの「日本映画」の新作を見たい! と思わずにはいられない。
 2020年の今年、早くも本年度を代表する映画の1本だと、ここはめずらしく(?)自信をもって断言しておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?