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いつかどこかで見た映画 その63 『僕たちのラストステージ』(2018年・アメリカ=イギリス=カナダ)

“Stan & Ollie”
監督:ジョン・S・ベアード 脚本:ジェフ・ポープ 出演:スティーヴ・クーガン、ジョン・C・ライリー、ニナ・アリアンダ、シャーリー・ヘンダーソン、ステファニー・ハイアン、ルーファス・ジョーンズ、スージ・ケイン、ダニー・ヒューストン

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 ローレル&ハーディと聞いて、いったいどれだけの人がその名をご存知なんだろう。彼らがチャップリンやキートンたちと並び称される人気を誇っていた喜劇映画の大スターだといわれても、今の映画ファンには「フーン」という程度か。いわんやその作品を見た者となれば、“極楽コンビ”という日本での愛称を知る70代以上(いや、もう80代以上になるか……)か、よほどのマニアックな方々くらいではあるまいか。
 いや、小林信彦氏の名著『世界の喜劇人』によれば、第二次世界大戦の敗戦直後にどっと公開されたアメリカ映画を見て育った氏の世代にとっても、ローレル&ハーディはすでに「古い」とみなされていたらしい。……《(日本を占領していたGHQは)喜劇に関しては、パリパリの新作から十年近くまえのものまで、なんでもみせてくれた。そのころ、アメリカで大衆的人気があったアボット=コステロ映画から、古くはローレル=ハーディ映画、マルクス兄弟の後期の映画、そして正しいパロディのあり方を教えてくれたクロスビイ=ホープの珍道中映画が殆ど同時に公開された。》と前書きにある通り、ローレル&ハーディのコンビ名と作品はすでに「古くは」と但し書きされるものであったのだ。そしてだからこそ、この著書のなかで小林氏は彼らにほとんど言及することがない。なぜならあの本は、《マルクス兄弟以後の喜劇映画の衰退の歴史を、ギャグを中心にして、具体的に辿る》ものであるからだ。ローレル&ハーディとは、「マルクス兄弟以前」のあくまでも“古典的[オールドファッション]”な存在だったのである。
 そんなローレル&ハーディだが、それでも欧米では今なお根強い人気を誇っているらしい。その作品はほぼ全作DVD化されているし、名画座[シネマテーク]などで繰りかえし回顧上映もされている。最近もフランスで、彼らをキャラクター化したTVアニメ・シリーズが制作されたという。「ローレル&ハーディ」の名は、現在も文字通り幅広い世代に親しまれているのだ(……ところで彼らを主人公にしたTVアニメ・シリーズは、1960年代にも一度アメリカで制作されている。これは日本でも放映されたかもしれないが、残念ながら確認できなかった)。
 そして、アメリカやイギリスにおける昨年度の映画賞で、数ある大作や話題作と渡りあって賞レースを賑わした1本である『僕たちのラストステージ』だが、その原題は「スタン&オリー」。これは、ローレル&ハーディご両人それぞれのファーストネームである。そう、この映画はスタン・ローレルとオリー(オリバー)・ハーディのコンビの晩年を描く伝記映画というか、その仕事と人生の“最後の”舞台裏をめぐる「バックステージもの」なのである。
 映画の冒頭は、1937年のハリウッドにおける映画スタジオ。スタン・ローレル(スティーヴ・クーガン)とオリバー・ハーディ(ジョン・C・ライリー)は、今しも新作映画の撮影に臨もうとしている。1920年代から活躍していた彼らコンビは、映画がサイレントからトーキーの時代になって多くの喜劇スターが消えていったなかで、チャップリンとともになお絶大な人気を誇っていた。
 彼らのコンビ作品のなかでは、スタンが“ボケ”役でオリバーが“ツッコミ”役。だが、撮影前の何げない会話からは、ふたりの“素”の性格や生活ぶりがうかがえる。女性とギャンブルに目がなく、誰とでも社交的にふるまうオリバー。一方のスタンは、常に映画のシナリオやギャグの案を考えているやや神経質な仕事人間だ(……このあたり、オリバーがアメリカ人でスタンが英国出身という“出自”が関係しているのかもしれない。ちなみに彼らを演じているライリーとクーガンも、それぞれアメリカ人とイギリス人である)。
 スタンは、彼らを牛耳る大プロデューサーのハル・ローチ(ダニー・ヒューストン)に報酬[ギャラ]の面で不満を抱いている。折しも撮影現場に現れたローチに、報酬を上げなければ独立も辞さないと抗議するスタン。一方のローチも、そうなればオリバーを別の役者と組ませるだけだとやり返す。そんな両者をとりなすハーディだが、映画より何より、実のところ競馬と、何度目かの結婚相手であるルシール(シャーリー・ヘンダーソン)のことしか頭にない。
 映画はそこから、一挙に16年後の1953年へと時代を移す。イギリスのニューカッスルに降り立ったスタンとオリバーは、これからイギリス全土をめぐる舞台公演のツアーに出ようとしていた。が、プロモーターのデルフォント(ルーファス・ジョーンズ)にあてがわれたのは、ドアマンもボーイもいない安宿。しかも予定された劇場は、場末のホールだ。「ローレル&ハーディ」の名声は、すでに過去のものとなっていたのである。
 ーー栄光の絶頂とその終焉、だがそこからなお前へ進もうとするスタンとオリバー。実はこの英国ツアーには、ロビンフッド伝説を題材にした新作映画を実現するためという目的があった。だが、イギリスの映画会社からの正式な契約を得られていないことは、スタンだけが知る事実だ。一方のオリバーはといえば、膝の具合の悪化に悩まされていた。それでもドサ回り同然の巡業を続けるうちに、少しずつのびてくる客足。そしてついにロンドンでは、大劇場での2週間公演が実現するのだ。
 しかし、彼らにとって必ずしも事態が好転したというわけではない。いくら電話してもつかまらないプロデューサーに面会するため、映画会社に乗り込むスタン。だが、新作映画の話は結局ダメになってしまう(……肩を落としての帰り道、映画館に大きく掲げられたアボット&コステロの新作映画『凸凹火星探検』のポスターを見上げるスタン。新旧コンビの人気の差を象徴する、せつなくも印象的な場面だ)。さらに、アメリカから呼び寄せたそれぞれの妻、ルシールとイーダ(ニナ・アリアンダ)のあいだで口論となり、それがきっかけとなってスタンは過去のハーディの“裏切り”を激しくなじってしまうのである。
 それは、ハル・ローチとの契約問題でスタンがスタジオを去り、残ったオリバーが別のパートナーと組んで映画を撮ったことだった。それを根にもって「僕たちの友情を踏みにじった」と罵るスタンに、「友情? ハルが俺たちを組ませただけだろ。人気が出たから続けただけだ」とやり返すオリバー。「僕はコンビを愛していた」と言うスタンに、オリバーは「ローレル&ハーディを愛していたんだろ? 僕は愛されていない」と吐きすて、その場を去る。
 翌日、とあるビーチの水着コンテストでゲストに呼ばれていたふたり。先に現場入りしていたオリバーは、スタンと目も合わせようとしない。気まずい雰囲気がただようなか、迎える本番。だが舞台に上がろうとするその時、オリバーは心臓発作で倒れてしまう……。
 本作の脚本を書いたジェフ・ポープによれば、この映画は史実に基づいているという。彼はA・J・マリオットの著書『ローレル&ハーディ:英国ツアー』によって、1950年代初頭にふたりが英国のホールをまわっていたことを知る。そこから、《二人のキャラクターの裏側に見える真実》を描こうとしたのだ、と。
 それ以外にも、細部にわたって本作には「ローレル&ハーディ映画」へのこだわりが詰まっている。映画の冒頭、約6分間に及ぶワンカットで描かれる映画スタジオで撮影されているのは、彼らが主演した『宝の山』という邦題の西部劇コメディ。そこで、主人公コンビを演じるジョン・C・ライリーとスティーヴ・クーガンは見事なダンスを見せる(……そしてこのダンスは、後半のクライマックスでふたたび“感動的に”再演されるだろう)のだが、エンド・クレジットでオリジナルというか本物の映画のダンス場面が映し出される。そこで、あらためてぼくたちはその再現度に驚かされることになるのである。
 さらに劇中でも、駅の登り階段で大きな荷物をひっぱり上げたと思ったら次の瞬間には下まですべり落ちたり(これは、彼らの代表作のひとつ『極楽ピアノ騒動』におけるギャグ)、ふたりが仲違いするきっかけとなったオリバーの単独主演作の一件を盛り込んだり(……こちらは『ゼノビア』という日本未公開作だが、「サーカスの象を治療した田舎医者が、その象に好かれてつきまとわれる」という内容らしい。ちょっと面白そうじゃないか笑)、全編にわたって彼らコンビの作品や芸への目くばせが盛り込まれている。それらが単なる再現の見事さ以上に胸を打つのは、そこに作り手たちの敬意と愛情がしっかり感じられるからだろう。
 さて映画はその後、妻の嘆願もあって引退を決意したオリバーと、プロモーターにあてがわれた新しい相方とコンビを組むことになったスタンのそれぞれを描く。だがスタンは、開幕直前になって公演をキャンセル。オリバーも、妻の制止を振りきって次の公演地であるアイルランド行きの船に乗る。こうしてスタンとオリバーは、35年目にしてようやく真の友情と、お互いがかけがえのない存在であったことを再認識するのだ。
 そこから迎えるふたりの「ラストステージ」は、もはや圧巻の一語。そこでクーガンとライリーが「ローレル&ハーディ」として繰りひろげるコント芸の素晴らしさは、やはり老芸人の最後のステージを描いたチャップリンの『ライムライト』を想起させずにはいない。ふたりの鬼気迫るコントの応酬に、ぼくたち観客は存分に笑わせられながら、同時におおいに泣かされるのである。
 ……それにしても、この映画と映画人への愛と礼節[リスペクト]を忘れない滋味あふれる感動作を撮ったのが、知る人ぞ知るR18指定の怪作『フィルス』の監督だったとは……! 酒とドラッグに溺れてセコい汚職を繰りかえす“悪徳刑事”の狂気を描いた鬼畜な「犯罪コメディ」の次作が本作だなんて、『メリーに首ったけ』のピーター・ファレリー監督が『グリーンブック』を撮ったこと以上の意外性じゃないか(……もっとも、スタンとオリバーそれぞれの妻のひと癖あるキャラクター造型や、愛妻家でふたりとも頭があがらないといったあたりなど、『フィルス』でジェームズ・マカヴォイが演じた主人公の、屈折しまくりの“恐妻家”ぶりとどこか通底していなくもない)。まったく“油断のならない”監督がまたひとり現れたものだと、今後も大いに期待しておこう。
 ともあれこの作品が、人生の機微や愛しさをきめ細やかに描いた、まこと「英国映画」らしい作品であることは間違いない。何より、「ローレル&ハーディって、誰?」という日本でもこうして劇場公開されたことを、ここは心から言祝ごうじゃないか。

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