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いつかどこかで見た映画 その177 『崖上のスパイ』(2021年・中国)

“懸崖之上”

監督・脚本:チャン・イーモウ 脚本:チュアン・ヨンシアン 撮影:チャオ・シャオティエン 出演:チャン・イー、ユー・ホーウェイ、チン・ハイルー、リウ・ハオツン、チュー・ヤーウェン、リー・ナイウェン、ニ・ダホン、ユー・アイレイ、フェイ・ファン、レイ・ジャーイン、シャー・イー


(以下、本文中の人名はカタカナ表記にしています。)

 GDP(国内総生産)においてアメリカに次ぐ超大国となり、国際的な影響力をますます誇示する中国。こと映画にいたっても、もはや「世界一」というその巨大な市場[マーケット]をハリウッドすら無視できず、中国での興行収入が商業的成功か否かの明暗を分けるといわれているほどだ。最近ではアメリカの大作映画に資本を投入する「合作」というかたちでその存在感を増してきたのは、われわれもよく知るところだろう。
 もっとも、では現在の「中国映画」といえばどうか。「チャイナ・レディオ・インターナショナル(CRI)」の日本語版オンラインに掲載された、昨年(2022年)の中国年間映画興行ランキングを見てみると、わずかに『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』と『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の2本のアメリカ映画が顔を出しているだけで、他の8本は中国映画が占めている。中国国内にかぎって言えば、ここでも“米国vs中国”のパワーバランスは逆転しているわけだ(……まあ日本でも、邦画のアニメがハリウッド大作を凌駕するようになってひさしいが)。
 しかしそのベストテン作品のうち、中国映画で日本で公開されたものといえば、わずかに第1位の『1950 水門橋決戦』のみ。確かに、これまでも中国映画のいわゆる「娯楽映画」のたぐいは未公開のままか、公開されてもあまり話題にならないで終わってきたことを思えば、しかたのないところか。対して、ジャ・ジャンクーやロウ・イエ、チャン・ユアン(『北京バスターズ』!)、ワン・ビン、最近では『象は静かに座っている』のフー・ボー等々、日本における「中国映画」といえば、世界各地の映画祭で賞賛されながら中国本土ではことごとく上映禁止処分(!)を受けた、彼ら映画作家たちの作品なのである。
 たぶんそういった風潮は、1986年から87年にかけてはじまった。そう、86年はチェン・カイコー監督の『黄色い大地』が公開され、87年はウー・ティエンミン監督の『古井戸』が東京国際映画祭でグランプリを受賞した年だ。この2本において日本のわれわれは、その作家的野心や作品の完成度の高さに驚嘆し、「中国映画」というものの存在をあらためて意識することになったのだった。
 そしてこの2本には、ある共通した人物がかかわっている。『黄色い大地』では撮影監督を、『古井戸』では第二斑撮影と主演男優を兼任した(ちなみに東京国際映画祭では最優秀主演男優賞を受賞!)チャン・イーモウその人である。
 その後1987年には『紅いコーリャン』で監督デビューし、いきなりベルリン国際映画祭グランプリを受賞したチャン・イーモウ。その後もチェン・カイコー(……ところで先に挙げた『1950 水門橋決戦』は、彼がダンテ・ラムやツイ・ハークの香港勢と共同で監督した作品である)とならんで「中国映画第五世代」の旗手として中国映画をけん引し、2008年夏と2022年冬の北京オリンピックでは、開会式の総合演出を担うにいたっている。名実ともに中国映画を代表する“巨匠”となったチャン・イーモウだが、彼がジャ・ジャンクーやチャン・ユアンなどといった「第六世代」以降の映画作家たちと際だって異なるのは、やはり「娯楽映画」というものに対する積極的な姿勢だろう。
 そのフィルモグラフィーを見ると、中国共産党批判のメッセージ性が強い『活きる』のような上映禁止作品や、ほとんどマニエリスム的な色彩と構図による『紅夢』といった作品のいっぽう、すでに『紅いコーリャン』の次に『ハイジャック 台湾海峡緊急指令』といった純然たるアクション映画を監督第2作として撮るなど、キャリアの初期からチャン・イーモウは「芸術」と「娯楽」の“二股”で作品を発表してきたことがわかる。というか、彼の映画は端的にどれもがめっぽう「面白い」のである。
 極めて作家主義的[アーティスティック]な映画──たとえば初期の『紅いコーリャン』や『菊豆(チュイトウ)』にしても、絢爛たる色彩表現(あの「赤」!)や濃密な人物描写に圧倒されつつ、その作品は実に「面白い」ものだった。だがいっぽう、見るものにそういったカタルシスをもたらすことで、作品は特異な「メロドラマ」として“消費”されてしまうこともまた確かだろう。しかしチャン・イーモウは、そんなことなどまるで気にかけていないようだ。……《中国の文化には、「雅俗共賞」(教養のある人も一般大衆も共に楽しめる)が芸術において最高の境地だと考えられています。私は商業性を拒絶したことはありません。》と、あるインタビューのなかでチャン・イーモウは答えている。たぶんこれこそが、彼にとっての偽らざる姿勢というか〈信念〉なんだろう(引用は『週刊朝日』ネット版記事より)。
 もっとも、だからこそチャン・イーモウには、ジェット・リー主演の大作『HERO』や、マット・デイモンやウィレム・デフォーらといったハリウッド・スターが出演する伝奇スペクタクル『グレートウォール』を手がけることができた。そのかたわらで、『キープ・クール』といった現代コメディや、残念ながらぼくは未見だがコーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』を翻案[リメイク]したものという『女と銃と荒野の麺屋』を撮り、近年では『ワン・セカンド 永遠の24フレーム 』といった愛すべき父娘のドラマを撮る。もはやこの監督には、「面白い」映画なら何でも撮れるのである。
 そんなチャン・イーモウなのだから、現在日本でも公開中の『崖上のスパイ』も面白くないわけがない。実際、戦前の満州国ハルビンを舞台にした本格的「スパイ映画」として、これがもう素晴らしく面白いのだ。
 冒頭、豪雪の森林地帯にパラシュートで降り立つ4人の男女。彼らはソ連で特殊訓練を受けた中国共産党の諜報員[スパイ]で、満州の都市ハルビンに向かおうとしている。その目的は、日本の関東軍による「収容されたら生きては出られない」秘密施設から、ただひとり脱走した同志を国外に逃亡させること。その施設は関東軍によって証拠隠滅のためすでに爆破されたが、そこでおこなわれていた非人道的な“犯罪行為”(おそらく、黒沢清監督『スパイの妻』でも描かれていた人体実験のような……)を、同志の証言で世界に知らしめるため送り込まれたのだ。
 森のなかで共産党員の仲間たちと合流する4人。リーダー格のチャン(チャン・イー)とワン(チン・ハイルー)は夫婦、チュー(チュウ・ヤーウェン)と最年少のシャオラン(リウ・ハオツン)は恋人同士だが、ここはチャンとシャオラン、ワンとチューの2斑に分かれてハルビンをめざすことにする。しかし、自分たちを迎えたのが同志ではなく警察の特務機関員であることに気づくチャン。ロシア語で“夜明け”を意味する彼らの「ウートラ計画」は、処刑をまぬがれるため裏切った仲間によって満州警察特務科のガオ科長(ニ・ダホン)に筒抜けだったのである。
 からくも敵を打ち倒したチャンとシャオランだったが、何も知らずハルビンに向かったワンとチューに危険を教えなければならない。いっぽうのガオ科長は、ワンたちを泳がせてチャンとシャオランが現れるのを待つ計画だった。彼らを監視するのは、ガオの腹心の部下であるジョウ(ユー・ホーフェイ)。しかし彼こそは、警察内に潜入した共産党の工作員[モグラ]だったのだ。
 こうして雪が降りしきる厳冬のハルビンを舞台に、2組に分かれたスパイ側と特務科の壮絶な追跡劇が繰りひろげられる。夜の闇に雪の白さが際だつなか、誰が真の味方で敵かという心理戦や、凄惨な拷問、市街地での銃撃戦、カーチェイスなど「スパイ活劇」ならではの見せ場を盛り込むチャン・イーモウの演出は創意工夫[アイデア]とテクニックに満ちていて、かたときも飽きさせない。さらに、チャンとワンの夫婦がハルビンに残した幼いふたりの子供たちをめぐるエピソードをもはさみつつ、まさに原題の「懸崖之上」どおり“崖っぷち”の男や女たちの姿をスリルたっぷりに描いていくのである。
 そのうえで、戦前の国際都市ハルビンを再現した見事なオープンセットや、登場人物たちの衣裳ひとつをとっても、その視覚的な愉悦や“贅沢さ”は、チャン・イーモウらしいスタイリッシュさという以上に、現在の「中国映画」の実力というか充実ぶりをしめすものといっていいだろう。
 さらに、これまでもコン・リーやチャン・ツィイーといった女優を“発見”し育てることに定評があるこの監督らしく、『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』で映画デビューさせた美少女リウ・ハオツンをここでもシャオラン役に起用。その可憐さを最大限引き出しているあたり、いかにもチャン・イーモウなのだ(……彼女の透き通るような頬や耳が、寒さで赤く染まる。その清楚なエロティシズム!)。
 とまあ、「娯楽」に振りきったチャン・イーモウの力量を遺憾なく発揮した本作。他にも、極秘裏にパラシュートで“敵地”へ降り立つ冒頭は『鷲は舞い降りた』だし、潜入した工作員たちが落ち合う映画館はどこか『イングロリアス・バスターズ』を想わせる。チャンとワンの子供で、映画館の前で物乞いをしながら生きる幼い姉弟は、『オリヴァ・ツイスト』というより幼少期のチャップリンをほうふつさせる(……そしてその映画館で上映しているのは、『チャップリンの黄金狂時代』なのである)。そういった、欧米の映画にもひそかに目くばせをおくるかのようなチャン・イーモウの「映画愛」に、すっかりうれしくなってしまったのだった。
 最後に。そんなこの映画に、もしひとつだけ残念というか“不満”があるとしたら、やはりあの映画館内でのシーンだろうか。そこでシャオランはひとりで仲間がくるのを待っているんだが、スクリーンにはチャップリンの有名な「コッペパンのダンス」が映しだされている。大笑いする観客たちのなか、ひとり緊張に顔をこわばらせたままのシャオラン……。
 確かに生死をかけた状況下にあって、とても映画を見ながら笑えるどころじゃないだろうとは思う。が、やはりここは緊張しながらも次第に画面に引き込まれ、やがてニッコリと笑うシャオランが見たかった。たぶんそれは、この陰鬱な展開が続く作品のなかでの救いというか、何よりリウ・ハオツンという可憐すぎる女優が最も魅力的な名場面になったにちがいないのだから(……とは、オマエの勝手な“妄想”だろ! というお叱りは重々承知のうえで)。

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