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いつかどこかで見た映画 その95 『無敵のドラゴン』(2019年・香港)

“九龍不敗(The Invincible Dragon)”

監督・脚本:フルーツ・チャン 脚本:ラム・キートー アクション監督:トン・ワイ 出演:マックス・チャン、アンデウソン・シウバ、ケビン・チェン、アニー・リウ、ラム・シュー、ロレッタ・リー、ジュジュ・チャン、ステフィー・タン

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 香港映画といえば、古くはブルース・リーからジャッキー・チェンにいたるカンフーか犯罪アクションかチャウ・シンチー(……そう、「周星馳」とは、もはや香港映画における独立したひとつの“カテゴリー”なのだ)くらいしか思い浮かばないニワカというか不勉強ぶりなのだが、それでも1980年代から90年代初頭にかけて次々と公開された、「香港ニューウェーブ」といわれる一群の監督や作品には少なからず魅了されたものだ。ジョン・ウーの『男たちの挽歌』、ツイ・ハークの『上海ブルース』、レオン・ポーチの『風の輝く朝に』、スタンリー・クワンの『ルージュ』、ウォン・カーウァイの『いますぐ抱きしめたい』や『欲望の翼』等々、あの当時ミニシアターで出会った香港映画は、どれもギラギラと暑苦しいくらいに個性的で、洗練と混沌を併せ持った熱気あふれるものばかりだった。その魅力に落ちていく周囲の“香港映画フリーク”たちに、なるほど、確かにこれはハマったら簡単には抜けだせないな……という感慨を抱いたことを思い出す。
 だが、ぼくが最も惹かれたのは、そういった彼ら香港ニューウェーブの後の世代、90年代に入ってから活躍をはじめた『君さえいれば/金枝玉葉 』(あぁ、アニタ・ユン!)や『ラヴソング』(あぁぁぁ、マギー・チャン!)のピーター・チャンであり、何より『メイド・イン・ホンコン』のフルーツ・チャンなのだった。2年前にもデジタル・リマスター版がリバイバル公開された『メイド・イン・ホンコン』は、香港の中国返還に揺れる1997年に撮られ、当時の香港の若者における将来への不安と焦燥を3人の少年少女に仮託したという青春映画。とはいえ、下層社会のリアルな描写のなかに不思議な情感というか“浮遊感[リリシズム]“を漂わせた映像は、一種「寓話的」な趣で今なお色あせることがない。
 この1作でたちまち心奪われたぼくという観客は、その後も彼の監督作を熱心に追うこととなる。そして、『メイド・イン・ホンコン』とともに「香港返還3部作」と呼ばれる『花火降る夏』『リトル・チュン』も、続く『ドリアン ドリアン』や『ハリウッド★ホンコン』にしても、それらはやはりこれまで見たどんな香港映画とも違っていた。犯罪や売春、貧困層など、中国返還前後における香港社会のシリアスな現実を扱いながら、そういう「社会派」めいた重苦しさや硬さを“脱臼”させてしまう独特のオフビート感というか醒めた諧謔[ユーモア]精神によって、シビアでありながらもどこか軽やかで“少し・不思議”な「寓話(おとぎばなし)」へと変換していく。それこそ「フルーツ・チャン作品」ならではの味わいなのだった。
 もっとも2000年度に入ってからのフルーツ・チャン監督は次第に寡作となり、2002年の『トイレ、どこですか?』以降の監督作は、短編を除けば長編が現在までわずか4本。アメリカで撮った、中田秀夫によるJホラーのリメイク作『THE JOYUREI 女優霊』(残念ながら、ぼくはまだ未見だが)と、スティーブン・キング風味の極限状況ドラマ『ミッドナイト・アフター』、過激な性描写で中国本土では上映禁止となった『三人の夫』、そして最新作『無敵のドラゴン』というわけだ。
 それにしても、ホラーあり終末世界ものあり文芸ポルノ(?)あり刑事アクションありと、なんというバラエティぶり! 一見するとそこには、何の関連もないように思える。というか、フルーツ・チャンをあくまで「アート系」の監督と見てきた向きにとってそれら「商業映画」は、困惑するかほとんど失望するばかりだろう(そういえば何かのインタビューで、「ぼくが商業映画を撮るというとファンはがっかりするんだよ」と監督本人が語っていたんだった)。
 まあ、『ドリアン ドリアン』と『ハリウッド★ホンコン』に続く「娼婦3部作」をしめくくるものだという『三人の夫』は事情が異なるとはいえ、“香港インディーズの雄”だったフルーツ・チャンのこうした「何でも撮りまっせ」風の開き直り(?)は、やはり商業的要請との妥協でしかないと思われてもしかたがないかもしれない。……しかし、本当にそうだろうか?
 たとえばフルーツ・チャンの監督最新作(もっとも香港では2019年に公開されたものの、作品自体は2017年に完成していた)である『無敵のドラゴン』は、『イップ・マン』シリーズやスタローンと共演した『大脱出3』などの人気スター、マックス・チャンを主演にむかえたアクション映画。『三人の夫』の製作資金にあてるため、「カネのために撮った」と監督自身が公言してはばからない作品だ。
 とはいえ、フルーツ・チャンは本作で製作・監督・脚本・編集の4役をこなし、共同脚本に『ハリウッド★ホンコン』や『三人の夫』などでも組んでいる林紀陶[ラム・キートー]を起用。「商業的[コマーシャル]」映画というにはあまりにも「作家的[パーソナル]」な姿勢であり体裁で取り組まれた作品でもある。ーーそして案の定というか、これを「カネのため」という“商業的要請との妥協の産物”とするにはあまりにも常軌を逸した一種トンデモナイ超「怪作」なのだった……
 主人公は、香港警察の捜査官・九龍[ガウ・ロン]。幼い頃に9つの頭を持つ「伝説の九龍」と出会った(と信じている)彼は、全身にその龍のタトゥーを彫り込んでいる。
 捜査官として優秀だが、精神的に不安定なガウ(……観客は、まもなく彼が女性漢方医ウォン(アニー・リウ)のカウンセリングを受けていることを知らされるだろう。しかし、漢方医が「精神科」も兼ねているのは……ホンマかいな笑)は、激情に駆られると時に制御不能となって過激な行動にでてしまう。今回も潜入捜査の際、地元マフィアのボス(ラム・シュー!)の片腕を公衆の面前で銃で吹っ飛ばしてしまい、それが新聞ざたとなって香港郊外の小さな警察署に左遷されてしまう。
 ところがある日、ガウの署の管轄内で女性警官ばかりを狙った連続殺人事件が発生する。警視総監(リチャード・ン)から「1ヵ月で解決しろ」と厳命されたガウは、おとり捜査で犯人を捕まえようとする。が、その裏をかかれて部下を殺されたばかりか、同僚で婚約者の愛するファン(ステフィ・タン)を拉致されてしまった。
 失意のガウは捜査から離れ、市内を走る電車に乗って1日ファンの姿を探し求めたり、賭けボクシングに出場しては自分を痛めつける日々。だが1年後、今度はマカオでまったく同じ手口の女性警官殺しが発生する。かつての仲間に説得され、婚約者ファンのためにもガウはふたたび行動を開始。香港警察に敵意をもつマカオ警察のチョウ警視(ケビン・チェン)たちの妨害に遭いながらも、独自の捜査を続けるガウたちだったが、そこに浮上するのがかつてリング上で対決したことがあるシンクレア(アンデウソン・シウバ)と、その恋人であるレディ(ジュジュ・チャン)だった。
 ……と、以上までが映画の前半。幼少時に伝説の“九龍[ドラゴン]”を見たと信じる情緒不安定(!)なヒーローが、連続女性警官殺人事件に挑む。犯人の動機は何か、そして主人公ガウの婚約者の安否は? ーーというミステリー的要素をはらみながら、オープニングをはじめ“調子っぱずれ”なまでに明るい劇伴音楽や、全身に彫り込んだ龍のタトゥーをバカにされただけでキレて、悪党とはいえその片腕を吹っ飛ばす主人公(……さらには、その際の潜入捜査における“ジョニー・デップの海賊”風アイメイクやひげの珍妙さ)等々、ほとんどギャグかおふざけとしか思えない細部[ディテール]を盛り込んでくる。シリアスなはずの展開がいったいどこまで「本気[シリアス]」なのか、見ていてわからなくなってくるのである。
 しかも、主演のマックス・チャンが熱演すればするほど、主人公の「ヘンテコぶり」がどんどん際だってくる(アクション場面はさすがに文句なしのキレの良さだが、それにしても……)。ガウが警察をリタイアしていたあいだに弛んだ身体を鍛え直す場面にしても、『ロッキー』のパロディというより以上にほとんどチャウ・シンチー作品のような“可笑しさ”を感じさせてしまうのだ。そしてそれは、クライマックスにおけるマックス・チャン対アンデウソン・シウバ(とは、言うまでもなく総合格闘家の元世界チャンピオンである)という最大の見せ場にあっても、さらにエスカレートして観客に手に汗にぎらせるよりも“笑わせ”にくるだろう(……あの「バンジージャンプ」の場面を見よ!)。さらにさらに、最後のとどめ(?)とばかりに出現するあの「九龍[ドラゴン]」場面のあ然ぼう然ぶり! ……おそらく本作を「マックス・チャン主演のハードな犯罪アクション映画」と思って見に来た観客の多くは、もはやそれらを笑うどころか驚き呆れはて、「バカにするな!」と怒り出す向きがあったのではないかーーと、思わず心配してしまったくらいだ。
 だが一方で、これをあくまで「フルーツ・チャン作品」として見た者にとって、そのタガのはずれ方や奇天烈[オフビート]感はまさしく“快哉もの”だろう。何よりあの、映画の全編にわたっていったい“誰”が語っているのかわからないナレーションの存在だ。幼い主人公が「伝説の九龍に出会ったいきさつ」にはじまって、最後に「結局、九龍を見た者はガウひとりだ。身勝手な話である」と締めくくるあのナレーターの「語り(=騙り)」こそ、フルーツ・チャン作品の真骨頂というべきではないか。
 そう、それはまさにホラ話であり「おとぎ話」の語り口に他ならない。フルーツ・チャンは香港映画ならではの「犯罪アクション」というジャンルのなかで、ここでも彼ならではの“少し・不思議”な(……いや、今回は“かなり・不思議”と言うべきか)「寓話(おとぎばなし)」を成立させたのである。やっぱりこの監督、名前は美味しそう(?)だがなんとも“食えない”御仁なのだった。這是最好的!

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