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いつかどこかで見た映画 その114 『ミッドウェイ』(2019年・アメリカ)

製作・監督:ローランド・エメリッヒ 脚本:ウェズ・トゥック 撮影:ロビー・バウムガートナー 出演:パトリック・ウィルソン、エド・スクライン、ルーク・エヴァンス、ニック・ジョナス、マンディ・ムーア、アレクサンダー・ルドウィグ、ダレン・クリス、アーロン・エッカート、豊川悦司、浅野忠信、國村隼、デニス・クエイド、ウディ・ハレルソン

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 20世紀を振り返ったとき、よくいわれるのはそれが「映像の世紀」だったということだろう。あるいはまた、ふたつの世界大戦を経験した歴史上かつてない「戦争の世紀」だったということも。つまり「映像と戦争」こそは、20世紀というものの最も象徴的かつ重要なエポックなのだった。
 実際、「戦争」に関する映像は無数に存在する。実際に戦地での戦いを撮影したものや、戦時下における一般市民の暮らしぶりを記録したもの、さらには商業目的の劇映画[フィクション]としても、おびただしいほどの作品が世に送り出されている。まるで映画とは、「戦争」を映像化するために誕生したといわんばかりに。
 特に第二次世界大戦において、映画は国民の戦意と士気を高めるための重要な「政治的武器[プロパガンダ]として、おおいに利用されてきた。特にナチス・ドイツのゲッベルス宣伝大臣はその効果と可能性を最大限に利用したのだったし(……彼自身が熱狂的な映画ファンだった)、イタリアや日本といった枢軸国も連合国側も競って「戦意昂揚映画」を量産したのである。
 もちろんその最たる国がハリウッドを擁する世界一の映画大国アメリカだったことは、いうまでもない。アメリカ軍当局はウィリアム・ワイラーやジョージ・スティーブンスなど有名監督を招聘し、ヨーロッパや太平洋各地に派遣して映画を撮らせた。そしてそんな監督たちのなかに、ジョン・フォードもいたのである。
 孫のダン・フォードが著した伝記本『ジョン・フォード伝 親父と呼ばれた映画監督』によると、合衆国海軍予備役の少佐だったジョン・フォードは、『わが谷は緑なりき』がアカデミー賞受賞(作品・監督ほか6部門)の報せもそこそこに1942年の5月にホノルルからミッドウェイへと飛んでいる。
 ワシントン滞在中、フォードは軍の諜報局の人間から「何か途方もないこと」が太平洋の真ん中で極秘裏に進行中であることを耳打ちされていた。それは、《(暗号解読班が)日本海軍の用いている暗号体系[コード・システム]をつきとめることに成功し、連合艦隊司令長官山本五十六大将が残余のアメリカ太平洋艦隊を真珠湾の北西千百マイルの地点に浮かぶ小さな環礁の島、ミッドウェイの近海での大海戦に誘い込もうとしているという情報を握った》(高橋千尋・訳。以下同)というもの。それが太平洋戦争の最も重要な、あるいは戦況の転機になるかもしれない決戦だと確信したフォードは、現場に立ち会ってその戦況をカメラにおさめようと決心したのだ。
 そして島に到着したフォードだが、《数日後の六月三日の朝、ミッドウェイから索敵に出た哨戒艇が日本海軍の機動部隊を発見。(中略)フォードと(まだ20歳の撮影助手である)ジャック・マッケンジーは来襲を撮影する手筈を整えた。フォードは飛行場の管制塔を自分の持ち場に決め、マッケンジーを発電機小舎の屋根に登らせて、飛行機を撮ろうなどという了見は起こすなと命じ、「人間の顔を撮れ。空中戦のシーンなら、後でいくらでもそれらしく細工したフィルムをでっち上げることを忘れるな」と言い添えた。》 
 その翌日の4日未明、敵機が来襲してくる。長くなるが、もう少し引用を続けよう。《日の出とともに敵機が来襲、ミッドウェイ島は艦上爆撃機と艦上攻撃機から何波にもわたる爆撃を受け、艦上戦闘機から機銃掃射を浴びた。(中略)管制塔は続いて五、六機に攻撃をかけられ、木造の建物を機銃で掃射された。木の破片と弾丸がそこら中に弾け飛んだ。フォードは前腕に負傷したが、擦過傷だった。(中略)フォードは攻撃の撮影を続行した。銃火のさなかにあっても、彼の映画感覚は平常と変わらなかった。》……こうして1942年度アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞に輝く、ジョン・フォード監督・撮影の『ミッドウェイ海戦』が生まれたのだった。
 ……そしてローランド・エメリッヒ監督の『ミッドウェイ』でも、登場人物のひとりとしてジェフリー・ブレイク分する「ジョン・フォード」が登場する。それは、島の設営基地に意気揚々とフォードが現れて周辺を視察する姿と、いよいよ日本軍の戦闘機が島を攻撃してきたとき、助手のマッケンジーと必死に激戦の模様を撮影する姿をとらえたもの。後者では機銃掃射を受け負傷するものの、駆け寄る助手に「撮り続けるんだ!」と叫ぶのである。
 どちらも時間にして数分間ほどの短い場面だが、ぼくという観客は少なからず“感動”してしまった。それは、昨今のアメリカ映画のなかでこの「西部劇の巨匠」の姿を目にすることなど、思いも寄らなかったということもある。そもそもこれまでだって、ノルマンディー上陸作戦を描いた『史上最大の作戦』や『プライベート・ライアン』でも、25回の出撃記録を達成した爆撃機の「最後の任務」をめぐる『メンフィス・ベル』でも、そういった戦争大作は、それぞれ現実の戦場でカメラを回していたジョージ・スティーブンスやウィリアム・ワイラーといった監督たちを登場させることがなかった。1976年にジャック・スマイト監督が撮った『ミッドウェイ』でも、もちろん「ジョン・フォード」の存在は影も形もなかったのだ(……もっとも、過去の記録映画や、東宝の『太平洋の嵐』を含む戦争映画から数多の戦闘場面をつぎはぎしたあの奇妙な「大作」には、フォード監督の撮った『ミッドウェイ海戦』の映像も含まれているんだが)。
 しかしエメリッヒは、本来ならまっ先にカットされるだろうそうした「ジョン・フォード監督がミッドウェイの戦いの最中で映画を撮っていた」という史実を、あえて残した。実在の人物たちを通して真珠湾[パールハーバー]からミッドウェイにいたる歴史的事実を描こうとする本作にあって、あくまで本筋から離れた“一挿話[エピソード]”にすぎないーーというか、むしろ“唐突”な印象すらあるだろう。だがエメリッヒは、それでもこの神話的な監督の肖像[ポートレイト]を、自作のなかに刻印するほうを選んだのだ。
 ともすれば、「スケールだけはバカでかいトンデモSFや大災害[ディザスター]映画の“迷匠[マエストロ]”」などと揶揄され続けてきたエメリッヒ監督。『パトリオット』や『もうひとりのシェイクスピア』、『ストーンウォール』など、歴史に材をとった“シリアス”な作品を撮っても、当時の街並みや風俗を再現する見事なCG合成や美術、衣装こそ評価されることがあれど、批評家からは「お門違いだ」と笑殺され、ほとんどまともに取りあげられることはない。
 だがその映画は、一見どれだけバカげたものであっても、常に「人間」を描くものだったと、ぼくは本気で思っている。マーヴェルだのDCだのといったアメコミ実写ヒーロー全盛の風潮にあって、超能力を駆使する「スーパーヒーロー」が大活躍するではなく、あくまで「普通の人間たち」が絶望的な危機や困難(……そのときエイリアンやモンスター、自然災害などは、そのアレゴリーというか「形象化されたもの」に他ならない)に直面しながらも、そういった運命に立ち向かう姿こそを描き続けてきた。そういう者たちこそ真に「英雄[ヒーロー]」と呼びうるのだと、この男は信じているのだ。
 この『ミッドウェイ』においても、その姿勢は変わらないだろう。太平洋戦争の趨勢を決したといわれるミッドウェイ海戦を描きながら、エメリッヒ監督は日米双方の男たちを、何よりも「戦争という究極の危機や困難に直面した者たち」として見つめようとする。彼らは、日本軍やアメリカ軍といった「敵」と戦うというよりも、どちらの側も「戦争」そのものを戦っている。ーーこの“視点[パースペクティブ]”こそがエメリッヒならではのものであり、それゆえ本作が、好戦でも反戦でもない、もちろん単なる戦争スペクタクルとも異なる「叙事詩[エピック]としての風格を持ち得たのだと、少なくともぼくはこれまた本気でそう思っている。
 前述の通りこの映画は、日本軍の真珠湾[パールハーバー]攻撃にはじまって、その報復攻撃としてドゥーリトル中佐(アーロン・エッカート)率いる爆撃機の東京空襲、そしてミッドウェイでの激戦にいたる日米両軍の攻防を、史実に沿って展開していく。アメリカの太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将(ウディ・ハレルソン)やハルゼー中将(デニス・クエイド)、日本の連合艦隊司令長官・山本五十六(豊川悦司)、山口少将(浅野忠信)。南雲中将(國村隼)などといった実在の人物が画面を織りなすなか、その中心となるのは、情報将校エドウィン・レイトン少佐(パトリック・ウィルソン)と、海軍パイロットのディック・ベスト大尉(エド・スクライン)だ。
 日本軍のパールハーバー攻撃を予想しながら、それを防ぐことができなかったことを悔やむレイトン。彼は日本軍の通信を傍受し、暗号を解読した戦闘情報班からの情報で、次の攻撃目標がミッドウェイだと分析する。その報告に賭けたミニッツは、残存する戦力をかき集めてミッドウェイ沖に待機。迫る日本の連合艦隊との決戦に臨もうとする。
 そういった戦争の大局を、自信家だが家族や仲間思いのベスト大尉の人間的成長を通して描くストーリーそのものは、従来のアメリカ戦争映画の常套[ルーティン]から一歩も出ていないかもしれない(……たぶんそのあたりを、アメリカの批評家たちは「脚本の弱さ」として批判したんだろう)。
 しかし、一見するとベストの颯爽たる活躍を“第二次世界大戦版『トップガン』”風に描く映画(……あのマイケル・ベイ監督の愚作、『パール・ハーバー』のような!)に思えて、先にも述べた通り、ベストはもはや「戦争」に直面した自らの“運命”と戦っている。彼だけでなく、ここに登場する者たちそれぞれが「戦争」を相手に戦い、ある者は死に、ある者は生き残る、その戦いの「記録」としてこの映画はある。
 ……古代ギリシャのホメロスによる『イリアス』や『オデュッセイア』などの叙事詩は、神々と人間たちの戦いを「記録」し、その勝者である人間を「英雄」として称えるものだった。しかし神々を「運命」としてとらえるなら、自らの「運命」とよく戦い、敗れた者たちもまたその栄光を称えられてしかるべきではないかーーそれを“現代の「叙事詩」”として描いてきたのが、実は「映画」だったのである。そしてジョン・フォードもまた、そういった叙事詩の見事な語り手なのだった。
 ……そしてその“肖像”を、映画作家としてのひとつの「意思表明」として自分の映画のなかに描きこむエメリッヒ。どれだけ批評家に貶されようと、だからぼく(たち)はこの「反時代的」な男の作品を愛さずにはいられないのである。

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