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いつかどこかで見た映画 その173 『とべない風船』(2022年・日本)

監督・脚本:宮川博至 撮影:亀井義紀 音楽:古屋沙樹 出演:東出昌大、三浦透子、小林薫、浅田美代子、原日出子、堀部圭亮、笠原秀幸、有香、中川晴樹、柿辰丸、根矢涼香、遠山雄、なかむらさち


 吉田大八監督の『桐島、部活やめるってよ』ではじめて東出昌大を目にしたときの印象は、今もはっきりとおぼえている。そこでの彼は、学園カースト最上位に君臨する「桐島」の親友として、最後まで姿を現すことのない“不在の中心”である桐島によって翻弄される高校生のひとり、宏樹を演じていた。
 部活にも、恋愛にも熱中できないまま、かといってほかの仲間たちのように惰性で生きることにもふっきれないでいる宏樹。映画の最後ちかく、クラス内で“オタク”としてバカにされている神木隆之介の映画部員に8ミリカメラを向けられ、「いいよ、おれは。いいって……」と涙ぐむ彼のその“なにものでもない”という自己の内なる逡巡と屈託を、これが映画初出演となる東出昌大は、ただ画面のなかでたたずんでいることによって見事に表出していたのである。
 そう、それは演技による「表現」というより、まさに「表出」というべきものだった。とりたてて演技らしい演技をするわけでもなく、もっともらしい表情や台詞に抑揚をつけるのでもない、ただ単に画面のなかに同じ表情でたたずみ、ぼそっとつぶやくようにしゃべる。しかしそれだけで、この宏樹という存在[キャラクター]の抱える“空虚さ”を東出昌大は、おそろしく「リアル」に造形してみせたのだ。
 もちろんそこには、役者デビューしたばかりである東出を活かすべく配慮し工夫された演出のおかげもあっただろう。が、実際のところ監督の吉田大八もまた、この新人俳優がただよわせる不思議な“透明さ(カラッポさ、と言いかえてもいい)”をただ写し撮ろうとしただけではないか。およそ「内面性」を欠落させた彼の存在感は、そのまま宏樹というキャラクターの“空虚さ”そのものなのだから。東出昌大は、ただ映っているだけですでに「宏樹」だった──というか、「空虚」それ自体だったのである。
 その演技ならぬ“たたずまい”は、前述のとおりぼくという観客にとっても実にインパクト大だった(……それを“突っ立っているだけの「棒演技」”と評する向きも、少なくなかったが)。ああ、これは面白い役者が出てきたなという関心とともに、以降もできるかぎり注目していこうと思ったものだ。
 そしてそんなこちらの期待以上に、その後の充実したキャリアは周知のとおり。黒沢清や濱口竜介、吉田恵輔、瀬々敬久、沖田修一をはじめそうそうたる鬼才監督たちの作品に次々と起用され、『コンフィデンスマンJP』シリーズといった大ヒット作にも出演する東出昌大は、今や日本映画にとって最重要な存在であることは間違いあるまい。
 だが、この端正なマスクと長身の、しかも近年はすっかり“演技力がついた”とも評される「人気俳優」は、それでもやはりどこかこころもとないというか、「内面」のうかがい知れない人物像[キャラクター]を演じるとき、最も精彩(むしろ“異彩”か)を放つように思う。黒沢清監督が東出昌大を繰りかえし作品に出演させるのも、彼のそういった“たたずまい”のもたらす「得体のしれなさ」ゆえだろうし、ひとり2役を演じた濱口竜介監督の『寝ても覚めても』でも、そこでの存在そのものが幽霊化(!)していくような「ドッペルゲンガー」のごとき“不穏さ”もまた、この役者ならではだった。さらに、山崎貴監督の『寄生獣』では文字どおり人間の化けの皮をかぶった怪物[モンスター]を演じて、同じく怪物を演じた深津絵里や浅野忠信などよりもはるかにその「怪物性」において際だっていたものだ。
 あるいは、将棋の羽生善治に扮した『聖の青春』にはじまって、『峠 最後のサムライ』では徳川慶喜を、『天上の花』では詩人の三好達治を、今春(2023年)公開予定の『Winny』では革新的なファイル共有ソフト開発者で不当逮捕された金子勇をと、近年は実在の人物を演じることが多いのも、東出昌大という役者のもつ空虚というか“透明[カラッポ]さ”ゆえに彼が逆に「誰にでもなれる」からだろう。というか、姿かたちを似せてみるとか、しぐさや口調などその人物“らしさ”を再現してみせるなどといった演技以前に(いや、もちろんそういう「努力」もしているんだろうけれど)、画面にただ映っているだけで彼はすでに「羽生善治」的な“なにか”であり、「徳川慶喜」的な“なにか”として存在しているのだ。
 ここで急いで言いそえておくが、東出昌大に対して空虚だの「内面がない」だのカラッポだのというのは、決して批判や否定的言辞ではない。逆に、そこにこそ彼の魅力というか、役者としての底知れなさがあると言いたいのである。──あの『菊とギロチン』のアナキスト青年のように、たとえどれだけ身体をはった「熱演」ぶりをみせても、画面に映るまなざしからは、その内なる“空虚さ”がひんやりとただよい出しているかのようだ。それが彼の演技と、演じている「中濱鐵」という役とのあいだに“乖離(かいり)”を生じさせている。が、だからこそこの人物像をいっそうスリリングなものたらしめているのだった。
 現在上映中の主演作『とべない風船』での東出昌大は、瀬戸内の海で漁師をなりわいとするあくまで「市井(普通)の人」を演じている。とはいえ、映画の冒頭での彼はどしゃ降りの雨のなか崩れた土砂を必死に手で掘り起こす、異様な姿での登場。ほどなくそれは、豪雨による土砂崩れに巻き込まれた妻と息子をさがす光景であることを、観客は知らされるだろう。
 続いての場面は、美しい瀬戸内海をゆく船のデッキにたたずむ女性の姿だ。到着した島で彼女・凛子(三浦透子)を出迎えるのは、父親の繁三(小林薫)。ふたりの会話から、凛子がこの島をおとずれるのは初めてらしい。彼女は教師だったが、今は派遣で事務仕事をしている。その契約がきれたことから、彼女は疎遠だった父のもとへひととき身を寄せることにしたのだった。母親のさわ(原日出子)は、すでに他界。凛子は、病院もないこんな小さな島に移り住んだから、病気の母が死んだと思っている。
 そんな凛子だったが、いきなり家のなかに入ってきて黙って魚をおいていく男に驚く。そのまま片足をひきずって去る男は、近所に住む憲二(東出昌大)という漁師。憲二は数年前の豪雨災害で妻子を亡くし、すっかり心を閉ざしてしまっていた。
 ……受け持ったクラスが学級崩壊となり、自信を喪失して教職を離れた凛子。いっぽうの憲二は、妻子を死なせてしまったのは自分のせいだと自分を責め、今なお立ち直れないでいる。島での日々のなか、凛子は島の人たちともうち解け、亡き母親とも親しかった飲み屋の女将・マキ(浅田美代子)から、島での生活を望んだのは母のほうで、ここで暮らしたからこそ余命ものびたのだと聞かされ、父へのわだかまりもなくなった。憲二もまた、凛子や漁師仲間たち、憲二に助けてもらってから彼を慕うようになった小学生の咲(有香)らとかかわるなか、少しずつ閉ざしていた心を開いていくかのようだ。
 が、それでも憲二は、ひとり家で妻と長男が映るホームビデオに涙し、海の見える軒先に黄色い風船を結びつけることをやめようとしない。それは、漁に出た父親が無事に戻るように長男が結んでいたものだった。そして妻の父親(堀部圭亮)から責められても、ふたりの遺骨を墓に納めようとはしないのである。おそらく、きっと、妻と子のことを自分が忘れてしまわないために。
 これが長編第1作となる監督・脚本の宮川博至は、地元の広島で平成30年の西日本豪雨を経験したことをきっかけにこの映画を撮ろうと決意したという。
《人は、簡単に「災害が起こった場所などに住まず、引っ越すべき」「もっと他にいい場所はたくさんある」と言います。それも正しい。しかし、事実としてその場所から離れられない人もいます。その人たちの事情を聞けば、口にできない言葉が増えていきます。前向きになんてならなくていい、ただ映画を見ているその時間だけでも前を向く気持ちが芽生えればと思い、この映画をつくりました》(公式サイトの監督コメントより引用)
 この、「口にできない言葉」からこそあふれ出す感情に寄りそい、ワンカットごと画面に込めるかのような演出の、その“誠実さ”にこそぼくという観客は心うたれたことを告白しておく。たぶんこの、広島県という地方発の作品にかくも実力派ばかりの豪華なキャストがそろったのも、この映画(と宮川監督)のそういう誠実さを出演者たちが「意気に感じた」からではあるまいか。実際この映画の最大の魅力は、瀬戸内の風景にとけ込んだ役者たちひとりひとりの見事なアンサンブルにあると言えるだろう。
 そのうえでぼくは、あらためてここでの東出昌大に驚きを禁じえなかった。前述のとおりこの役者のことを、《「内面」のうかがい知れない人物像を演じるときこそ最も精彩を放つ》とぼくは思っていた。が、この映画での彼は誰よりも“雄弁”に「口にできない言葉」を、それこそ全身で語りかけている。最初に三浦透子が演じる凛子と出会ったときの、文字どおり死んだようなまなざし。だが、すでにそこには、あの“空虚さ”とは別の「光」が宿っていた。喪失と自責の念にさいなまれ、だがそんな心の痛みを失うことこそをおそれる男の「内面」こそを、そのまなざしは見事に表現していたのである。
 それを演技者としての彼の「成長」としてとらえるべきか、正直ぼくには(まだ)わからない。しかしこの映画における東出昌大は、間違いなくひとりの「人間」として悲しく、美しい。──ああ、やはりいい役者だな。心からそう思えることが、デビュー作から注目してきた「観客[ファン]」としてはこのうえなくうれしいことなのだった。


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