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いつかどこかで見た映画 その86 『エクスペンダブルズ2』(2012年・アメリカ)

“The Expendables 2”

監督:サイモン・ウェスト 脚本:シルヴェスター・スタローン、リチャード・ウィンク 出演:シルヴェスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、チャック・ノリス、テリー・クルーズ、ユー・ナン、スコット・アドキンス、ランディ・クートゥア、リアム・ヘムズワース、ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー

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 俳優としてはともかく、監督としてのシルヴェスタ・スタローンには、正直これまでほとんど魅力を感じてこなかった。初監督作の『パラダイス・アレイ』から、意外にも小器用な面があるなとは思ってきたものの、何かどれも律儀さといびつさを併せ持ったその映画は、ひと言でいうなら「野暮ったい」。なるほど、主演スターでもある自分を演出することでおちいりがちな、「俺サマ映画」的ナルシシズムを回避する聡明さは、確かにひとつの美質だろう。が、逆にそれは役者としての自らを、他の監督による出演作よりも精彩を欠いたものにしているように思うのだ(まあ、スタローンの演技など“精彩”うんぬん以前の問題だ、とおっしゃる向きもあるでしょうが……)。
 しかし、近年の監督作品を見ながら、ひとつだけ気づいたことがある。もしかしたらスタローンには、「肉体」に対する一種奇妙なオブセッションがあるのではないか、と。そりゃあ肉体美[マチスモ]を“売り”にしてきた男なのだから、こだわるのも当然だろうって? いや、そういうことじゃない。たとえば『ランボー・最後の戦場』と『エクスペンダブルズ』に最も顕著だったのが、「人体損壊」描写へのこだわりではなかっただろうか。銃撃で人間の上半身が吹っ飛ぶなどの過剰なスプラッターな場面の数々(実際、どちらもR15指定)は、実際に撃たれると人体はそうなるといったリアリズム指向という以上に、ほとんど“偏執的[オブセッション]”なものを感じさせたのだった。
 あるいは『ロッキー・ザ・ファイナル』でも、後半のボクシング場面よりはるかに、スタローン自身の肉体こそが強烈に印象的だったはずだ。60歳を迎えた男とは思えない、その隆々と盛りあがる筋肉。だがそれは、鍛えあげられたというよりも、「痛めつけられた」という“危うさ”が先に立つものだったのである。
 そこに、ステロイドなど薬物の過剰摂取によって肉体改造をエスカレートさせ、一時は深刻な危機的状況をウワサされたスタローンの、ほとんど深層心理的なメンタリティを読みとることが可能かもしれない。ーー出世作の『ロッキー』でシリーズを追うごとに肉体美を極めていき、監督(・脚本)に専念したジョン・トラヴォルタ主演の『ステイン・アライブ』でも、『サタデーナイト・フィーバー』の続編でありながらトラヴォルタのハダカ全開の奇っ怪な「肉体パフォーマンス・ショー(!)」にしてしまったスタローン。そう、映画作家としての彼は、ことあるごとに「肉体」へのフェティッシュなこだわりを見せてきた。そしてそしてそこには、一種の“自己破壊衝動”があったのかもしれないのだ……
 などと、いつも以上に悪い冗談めいてきたかもだが、ともあれスタローンの前作『エクスペンダブルズ』は、ぼくにとっていろんな意味で何より「痛々しい映画」だったという感想につきる。トシをとっても身体張ってますといった涙ぐましさではなく、もはやスタローンにとって、筋肉を鍛えることが実は「痛めつける」ことの“口実[エクスキューズ]”になっている。そんな印象を受けるものだったのである。
 もっとも、それでもぼくはあの映画を決して嫌いじゃない。先にも書いたように、監督・脚本も兼ねるスタローンは、ここでも主演である自分だけを前面(=全面)化しない。彼は、ミッキー・ロークに花を持たせ、ジェイソン・ステイサムやジェット・リー、ドルフ・ラングレンなど共演者たちひとりひとりにも気くばりと見せ場を忘れないのである(……極悪非道な悪役を憎々しげに演じるエリック・ロバーツの、なんとも楽しそうなこと!)。
 確かに、たぶん撮影現場も和気あいあいとしたものだったんだろうなぁというほのぼの感というか“ゆるさ”が画面からにじみ出ていることで、アクション映画としての緊密度は今ひとつ欠いたかもしれない。だがこの作品は、CGアニメ化した昨今の「アクション大作」ではない本物のアクション映画を担ってきたオヤジ・スター軍団の、いわば「お祭り騒ぎ」見たいなものなのだ(……途中で死んだと思われたドルフ・ラングレンが、最後にひょっこり登場する人を食ったラストの、何という微笑ましさ!)。だが、そこにすら前述のように執拗な「肉体損壊」へのこだわりを覗かせ、見る者に奇妙な居心地の悪さを感じさせてしまう。ーーそれこそが、良くも悪くもスタローンという監督の「作家性」なのであると、ぼくは本気で思っている。
 ……とまあ、おそらくスタローン自身もそのことに気づいたか「反省(?)」したんだろう。そしてこの続編『エクスペンダブルズ2』では、それゆえ脚本と主演のみに専念して、今度こそ徹底した「お祭り」を繰り広げようとしたのに違いない。実際これは、最初から最後まで盛大にドンパチやりまくる、いいトシをした野郎どものまさに「宴会映画」以外の何物でもないのだった。
 とにかく、冒頭から飛ばす飛ばす。ネパール山中の武装集団アジトに、装甲車3台で急襲するエクスペンダブルズの面々。そこで破壊と殺戮のかぎりをつくして(……と、今回もここで敵兵の身体が銃撃で吹き飛ぶ描写が連続するものの、前作とは違ってほとんど衝撃力を伴わない。映倫の審査がPG12なのもうなずける次第)、誘拐されていた中国人の大富豪(と、そこにアーノルド・シュワルツェネッガーもいっしょに捕まっていたのには笑った)を救出する。そこからふたたび、陸に、湖に、空に、次々と繰り出される見せ場の数々! ……いやはや、この10分だけでも並みの戦争映画1本分以上の火薬と武器弾薬が費やされているのではあるまいか。
 この出血(まさに!)大サービスなプロローグに続いて、物語は本筋へ。スタローンたちは、ブルース・ウィリス扮するCIA局員から次の依頼を受けたものの、ロシアのマフィア組織らしき武装集団によって失敗。世界を危機におとしいれる機密データを奪われ、仲間のひとりを殺されてしまう。復讐に燃えるエクスペンダブルズ軍団は、敵の本拠地を求めて行動を開始。はたして彼らは、今度こそミッションを成功させることが出来るのか……といったもの。しかしそんなストーリーは、この際ほとんどどうでもいい。肝心なのは、ド派手な爆発炎上からナイフや握り拳での肉弾戦まで、全編にわたってどれだけのアクションやファイト場面を、つまりはオヤジたちの見せ場を盛り込めるか、なのだから。
 それとともに今回は、出演するスターたち自身のキャラをネタにした“楽屋落ち”を、たっぷりと用意する。シュワルツェネッガーが例の決めゼリフ「また戻る[アイルビーバック]」を何度も口にすれば、ブルース・ウィリスがそれにツッコミをいれる(笑)。前作の凶暴さとは打って変わって“愛されキャラ”化したドルフ・ラングレンが、実際に超優秀な大学院の卒業生だという出自を茶化される。そして、エクスペンダブルズのピンチに突然現れ、あっという間に10何人もの相手と戦車を片づけてしまう傭兵役のチャック・ノリス。彼にいたっては、本国アメリカでは有名なノリスにまつわるジョーク集「チャック・ノリス・ファクト」のひとつを自分自身で披露してくれるのだ(……「ノリスはコブラに噛まれ、5日間のたうちまわって死んだ。コブラの方が」。おそらく、アメリカの映画館では大爆笑だったんだろうなぁ)。そのいずれも、まずは自分たちが楽しもうぜ! というノリなのである。
 もちろん、それはそれで楽しい。確かにこの映画は、われわれ観客を「宴会」の陽気なお祭り騒ぎに巻き込こんでしまうパワフルさに満ちている。ーーだが正直に言うと、この続編にくらべて「アクション映画」としては見せ場もスケールもいささか見劣ったかもしれないけれど、前作にあった作り手(とは、つまりスタローンのことだが)の人柄というか「人間味」こそが、あれはあれで映画としての魅力だったんだな……という思いにかられたことも事実だ。スタローン自身は、《新旧のアクション・スターたちが入り混じり、今回は全員がそれぞれに大活躍する、古き良きハードコアなアクション映画に仕上がったと思うよ。前作以上の出来だ、現代にありがちな目先のテクニックばかりに走った映画とは違う》と語っているが、むしろ前作の方こそが、「現代にありがちな目先のテクニックばかりに走った映画とは違う」という言葉にふさわしいものではなかっただろうか。
 何も考えずに楽しめるはずの映画に、何を無粋なイチャモンかとは承知している。そんなことは、監督がサイモン・ウェストに変更となった時点でわかりきったことだ。このヒットメーカーには、スタローンのような奇妙に屈折した「肉体」への拘泥などあろうはずもなく(まあ、ウェスト監督にあるとしたら、本作でも実にうれしそうに撮っているように、『コン・エアー』以来の飛行機というか「飛行艇」への偏愛ぶりくらいか)、スタローン、シュワルツェネッガー、ウィリスのそろい踏み場面などの、あくまでファンサービスな絵作りに徹する。そして、それはそれでまこと“正しい”姿勢なのだから。しかし、一方でそれは「現代にありがちな目先のテクニックに走った映画」と、いささか似てきはしまいかということなのである……
 だからこそ、この映画におけるジャン=クロード・ヴァン・ダムの存在は、極めて貴重なものとなってくるだろう。このお祭り騒ぎ映画にあって、ひとりヴァン・ダムだけが浮いているように見える。悪役ということもあるんだろうが、どこかこの男だけ「空気を読めていない(!)」かのような、非情すぎる悪党ぶりで突出しているんである。
 しかし、それによってクライマックスともいえるスタローンとのタイマン勝負の場面が、俄然スリリングなものになったこともまた間違いない。どこまでも残忍で卑怯なクソ野郎として、スタローンと対峙するヴァン・ダム。それは、この凋落著しいB級アクション映画スターが、映画界の大御所に挑んだ“真剣勝負”といった趣きすら漂ってくる。そうして繰り出す、これぞヴァン・ダムといった空中回し蹴り! ーーまあ、確かにぼくが「ヴァン・ダム贔屓」ということもあるんだが、この場面はまさしく鳥肌ものだ。そして、泣ける。そう、これこそが「古き良きハードコアなアクション映画」の醍醐味ではないか。ウェスト監督お得意の細かいカットワークでも姑息なCGでもない、この本気[ガチ]な“殺気”こそが、本作を真の「アクション映画」たらしめているのではないか、と。
 ……何だか、最後は結局“ヴァン・ダム賛歌(笑)”になってしまったか。しかし、誰がなんと言おうが、ヴァン・ダムはいまだ本物の「アクション映画」スターであること。そのことを彼は、この映画で見事に証明してみせたのである。

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