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いつかどこかで見た映画 その51 『ルームロンダリング』(2018年・日本)

監督:片桐健滋 脚本:片桐健滋、梅本竜矢 出演:池田エライザ、オダギリジョー、渋川清彦、健太郎、光宗薫、 木下隆行、奥野瑛太、つみきみほ、田口トモロヲ、渡辺えり

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 マネーロンダリングといえば、麻薬や脱税、粉飾決算などの不正資金を、その出所をわからなくするために銀行口座を転々とさせること。マフィアや国際テロ組織による大がかりなマネーロンダリングの摘発が報じられたり、小説やドラマのなかでもしばしば取りあげられている。
 ならば、ルームロンダリングとは? こちらは、自殺や殺人などがあったマンションやアパートのワケあり物件でも、一定期間の入居があれば次の入居者からは告知義務がなくなる。そのために、不動産会社が社員や雇ったアルバイトを住まわせて“洗浄[ロンダリング]”する、というもの。なかにはそれを生業(!)にしているフリーターや学生もいるらしい……。
 とは、まあ一種の「都市伝説」というか、低予算Vシネなんかの心霊動画ものに登場しそうな、うさんくさいネタ風ではある。実際ぼくが見たなかでも、『呪家 ノロイエ』という心霊ドキュメントシリーズで、カネに困ってルームロンダリングのアルバイトしている女性のエピソードがあった(……現在までに2本リリースされているこのシリーズ、いずれも2つの短編と40分ほどの中編で構成され、その中編が「暮木楓(仮名)」という女性による、それぞれいわくつきの事故物件で暮らす3ヵ月を定点カメラで記録したもの。そして意外にもこれが、ちょっと『パラノーマル・アクティビティ』を想起させる面白さというか、なかなかの出来なのだ。“ひとり暮らしの女性の部屋をのぞき見る”という趣をも含めて(コラッ!)、同好の士には一見をおすすめします)。
 だが、あながちそれが絵空事[フィクション]とも言いきれないのは、こうした事故物件に借り手がつかなくなることを避けたい家主や業者が、実際にルームロンダリングをおこなっている場合が多いらしいのだ(……ある弁護士のサイトでは、それを「事故物件ロンダリング」と称して詳しく“手口”や法的な問題を紹介していた)。ならば、そういった“闇の仕事”を専門とする者たちが存在していることはおおいにあり得る。
 ……DVDレンタルなどのTSUTAYAが映画製作に乗り出し、そのオリジナル企画を募集するコンテストで、2015年度の準グランプリ(ちなみにこの年のグランプリは、長澤まさみと高橋一生の主演で映画化された『嘘を愛する女』)に選ばれた片桐健滋監督の長編映画第1作は、そのタイトルがずばり『ルームロンダリング』である。となれば、またもや現代社会の“闇”を反映したというたぐいの心霊ホラー系かと、ついかんぐってしまいたくなるというものだ。しかもそのネタなら、前述のとおり(低予算のDVDスルー作とはいえ)『呪家 ノロイエ』ですでに使われているぞーーとつい“揶揄”したくもなったり(……もっともこの点に関しては、片桐健滋と梅本竜矢による本作の企画は2015年なので、当然ながら2017年製作の『呪家 ノロイエ』よりも先行していることを、ぼくは後で知ることになるんだが)。
 そう、確かに“ひとりの女の子がワケあり物件に住み込んで、非業の死を遂げた霊の存在に悩まされながら「浄化[ロンダリング]」する”というプロットは、実のところ『呪家 ノロイエ』とほとんど同じではある。が、この「霊が棲みつく禁忌の部屋」というありがちなホラー仕様ネタを、この映画はなんともチャーミングで心優しい「コメディ」に仕立てあげてしまった。この意表の突き方が、見事に“ワザあり!”な作品なのである。
 ……昨年公開された愛すべき佳編『一礼して、キス』に続くこの主演作で、池田エライザが演じるのは八雲御子(やくも・みこ)という20歳の女子。霊が出現すると光りだすという大きなアヒルのランプだけを“相棒”に、ヤクザな不動産屋を営む叔父・雷土悟郎(オダギリジョー)の紹介で事故物件に短期間暮らしては、その部屋の履歴を帳消しにして“浄化[ロンダリング]”する日々を送っている。御子には幽霊が見えるという能力があったが、「同居(?)」することになる彼や彼女たち前の住人(の霊)の存在は、鬱陶しくあっても“恐怖”の対象ではない。むしろ「人間の方が怖い」という彼女にとって、幽霊だけを相手にして“隣人との交流はご法度”というこのバイトはうってつけだったのだ。
 そして語られる、御子の生い立ち。ーーまず、アヒルのランプをプレゼントしてもらった5歳の誕生日からまもなくして、父親が事故死する。さらに1年後、母親も御子をおいて失踪。それからは祖母(渡辺えり)に引きとられて心を閉ざした暗い少女時代をすごすが、18歳のときに祖母も亡くなって天涯孤独の身となってしまう。が、祖母の葬式の最中に叔父の悟郎が突然現れ、「御子の面倒は俺がみる!」と遺影に言い残して彼女を連れ去ったーーという次第(……なるほど、これで「幽霊が見えてしまう」とくれば性格もこじれるというものだ)。彼女にとって唯一の「友人」といえば、小学校の同級生で、学芸会で演じた「さるかに合戦」のカニの扮装のまま交通事故死した男の子の幽霊だけなのである。
 そんな御子の新たな“仕事先”である住居は、1Kの安アパート。前の住人は中年パンクロッカー春日公比古(渋川清彦)で、バスタブで手首を切って自殺していた。夜、風呂場の戸を開ければ、はたしてそこには公比古の幽霊が。自分の姿が見えても動じない御子に驚き、公比古はあれこれ身の上話をはじめたりおせっかいな助言したりする。が、もちろん御子にとっては、単なるウザい「同居人」でしかない。
 そんなある日、御子が偶然見つけた公比古のデモテープ。死んでもなおメジャーデビューに未練たらたらな公比古は、そのテープをレコード会社に送ってほしいと頼むが、御子は取りあわない。それからほどなく、御子は悟郎から新たな“仕事先”を告げられる。
 次にルームロンダリングするのは、帰宅直後のOLが何者かに刺殺された殺人物件。事件後まもないこんな部屋に引っ越してきた御子を、隣人のコンビニ店員で小説家志望の虹川亜樹人(健太郎)が不審に思い挨拶にくるが、もちろん御子は顔も出さない。そうこうするうちに現れた前の住人である千夏本悠希(光宗薫)。それからは、自分を殺した犯人への恨みつらみを悠希がえんえんと御子にグチる毎日だ。しかもそこへ、あのパンクロッカーの公比古まで現れたではないか! 彼は、部屋ではなくデモテープにとり憑いていたのだった。
 ……人間であれ幽霊であれ、いっさいかかわりを持ちたくない御子。しかし同居する幽霊たちにとって、自分の姿が見える御子しか“話し相手”がいない。だから、否応なしに御子は彼らとかかわりを持たざるを得なくなるーーという関係性の面白さ。思えば、これまでの数々の心霊ホラーは、この関係性が幽霊側からの「一方通行」だからこその悲劇であり“恐怖”だったのではなかったか。
 そして、絵を描くことが好きでイラストレーターになるため美大へ行くことが夢という御子は、これまでに住んだ部屋で出会った幽霊たちをスケッチしていた。なかには悲惨な姿の幽霊の絵に、あるとき公比古が「怖くはないのか?」と訊ねる。すると御子は、「人間の方が怖いよ、ウソつくし」と答えるのだ。
 このさりげないやりとりから、彼女の内なる優しさと“心の痛み”が伝わってくる。自分のせいで母親が失踪したと思い込む御子は、もう自分を含めた誰も傷つけたくなかった。だからこそ、自分の殻に閉じこもるようになっていった。けれど一方で彼女は、悲しい最期を遂げたままこの世にとどまる幽霊たちの、その「悲しみ」を見続けていたのである……。
 映画はその後、自分のことを何かと気にかける亜樹人に、少しずつ心を開いてく御子の姿を描く。亜樹人は、悠希が殺された当日に「助けて」という声を聞いていながら、弱気な性格ゆえ何もできなかったことを、ずっと悔いていた。あのとき自分がなにか行動を起こしていれば、彼女は死なずにすんだのではないか、と。彼にとっても御子との出会いは、そういった自分の殻をやぶるきっかけなのだった。
 さらに、御子にルームロンダリングの仕事を斡旋する叔父・悟郎の意外な一面もまた、ぼくたち観客はだんだんとうかがい知ることになる。最初のうちは悪徳ブローカー(田口トモロヲ)の片棒を担ぎ、地上げのために立ち退きを拒む住民の家に嫌がらせをしたり、不法滞在の外国人に偽造の在留カードを請け負ったりする限りなくブラックな不動産屋として顔を出す(……そもそも、ルームロンダリングからして“裏稼業”の最たるものだし)。
 だが、やがて悟郎が姉である御子の母親(つみきみほ)とひそかに会って、御子の近況を知らせていることがわかる。しかも彼は、御子が美大に行くための学費を預金していることもぼくたち観客は知るのだ。
 そうなると、彼が御子にルームロンダリングの仕事をさせていたのも、彼女の存在が幽霊たちのさまよえる魂をも“浄化[ロンダリング]”することを知っていたからではないかーーと考えるようになるだろう。不法滞在外国人の子どもたちを使った地上げの嫌がらせも、むしろ子どもたちに“小遣い”を与えるためで、さらに、地上げ予定の土地に住み続けるひとり暮らしの女性の安否を“確認”するためではないか、と(……うがち過ぎ? いや、たぶん間違いない!)。
 ともあれ、そういった不器用だが心優しき人物たちと幽霊たちによる愛すべきドタバタ劇が繰りひろげられるなか、いつの間にか幽霊どうしで「いい仲」になった悠希のために、公比古は彼女を殺した犯人さがしに手を貸すよう御子に懇願する。私はただ幽霊が見えるだけで何もできない、と拒否する御子に、「お前にしか見えないってことは、お前にしかできないってことなんだぜ」と励ます公比古。その後、線路沿いの道でうずくまり何かを探し続ける男の幽霊の手助けしたことで、ついに御子の気持ちも動きだすのだ。 
 ……本作で長編映画デビューをはたした片桐監督は、フランスに単身渡って、フランソワ・トリュフォーやフィリップ・ガレル、モーリス・ピアラなどの作品の編集者として知られるヤン・デデに師事したという。さらに帰国後は、廣木隆一や崔洋一、豊田利晃をはじめとした監督たちの作品に助監督として参加。なるほど、自身と盟友の梅本竜矢によるオリジナル脚本で挑んだ1作目にしてこの安定感は、すでに一流の“職人”的な風格すらある。そのうえで、〈死〉という主題を扱いながらどこかカラフルな「絵本」めいた色彩と映像感覚は、やはりこの監督ならではの“才気”であるだろう。
 そして何より、池田エライザ! ……彼女にはじめて注目したのは園子温監督の『みんな! エスパーだよ!』だったのだが、あの映画で超ミニスカート制服姿の茶髪なヤンキー女子高生を過激に演じていた彼女が、ここでは、いつも大きなヘッドフォンで耳を塞ぎながら他人や世間とのかかわりをさける“根暗”な主人公を快演している。『エスパー』のときは「エロいぞ! エライザ!」と歓喜したものだったが、今回こそはその演技に「エライぞ! エライザ!」と感嘆しきりだったーーとは、もちろんダジャレだが、決して冗談ではないのである。
 ーーなどと、最後にスベった感があるこの原稿だが(トホホ)、とにかく片桐健滋監督と池田エライザ、このふたつの才能と真価を見出せることだけは、自信を持って請け負う。オススメ!

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