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いつかどこかで見た映画 その146 『ストレンジャーズ/戦慄の訪問者』(2008年・アメリカ)

“The Strangers”

監督・脚本:ブライアン・ベルティノ 撮影:ピーター・ソーヴァ 編集:ケヴィン・グルタート 出演:リヴ・タイラー、スコット・スピードマン、ジェマ・ウォード、キップ・ウィークス、ローラ・マーゴリス、グレン・ハワートン

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 ホラー映画とサンダンス映画祭、さて、その共通項は? ……そう、どちらも新人監督の“登竜門”的な場であること。ロバート・レッドフォードの肝いりで始まったサンダンス映画祭は、これまでにブライアン・シンガーやロバート・ロドリゲス、スティーブン・ソダーバーグなどの監督を世に紹介してきた。一方のホラー映画も、サム・ライミやジェームズ・キャメロン、ギレルモ・デル・トロ、チャック・ラッセル、レニー・ハーリンほか、それこそ数え切れない監督たちにデビューの場を与えてきたのだった(ホラー映画の脚本を書いてきたフランク・ダラボンや、『バッド・テイスト』という素晴らしく悪趣味な怪作で監督デビューを果たしたピーター・ジャクソンも、ここに加えて良いだろう)。
 この、“ホラー映画で成功のきっかけをつかむ”という風潮は、たぶん「B級映画の帝王」ことロジャー・コーマンの下で監督第1作『ディメンシャ13』を撮ったフランシス・コッポラ(もっとも、その前に『グラマー西部を荒らす』というピンク映画を自主製作しているんだけれど)や、『殺人者はライフルを持っている!』(は、いわゆるホラーじゃないけれど、主演があのフランケンシュタイン役者のボリス・カーロフ。しかも怪奇映画のスター役という、このジャンルへの愛に満ちた作品でありました)のピーター・ボグダノヴィッチあたりを嚆矢とするんだろう。
 そうして『激突!』のスピルバーグや、デビュー作ではないもののホラー映画で名をあげたジョン・カーペンター、ブライアン・デ・パルマなんかを輩出した1970年代から80年代にかけて、“ホラーから「巨匠[ビッグネーム]」へ”という道のりが確立されたのだといえるのではあるまいか(一方の、1978年に始まったサンダンス映画祭は、それとは「別の道」を新人監督たちに拓いてやったのだといえる。ホラーのような商業映画でなくても、本当に撮りたい作品を仕上げれば、サンダンスが受け皿になってくれるという。……もっとも、そんな映画の多くが同世代の青春群像やら男女のミニマムな心理劇で、それを翻訳家・映画評論家の柳下毅一郎氏あたりが、つまらない映画の代名詞として「サンダンス印」と揶揄するわけだ)。
 ともかく、低予算で役者が無名でもそれなりに収益が見込める(うまくいけば、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたく“棚からボタ餅”的な大成功だってあり得る!)ホラー映画は、昔も今も新たな才能の試金石としての存在価値がある。それをいち早く見出すのも、映画ファンとしての楽しみにちがいない(もちろん大半は期待ハズレに終わるんだけれど、駄作には駄作なりの楽しみ方というか、「面白さ」があるものなのだ)。
 そういう意味で、今回ご登場願う『ストレンジャーズ/戦慄の訪問者』は、「由緒正しきホラー映画」の1本であるだろう。正体不明の殺人鬼によって主人公たちが恐怖のドン底に叩き込まれるという体裁[プロット]といい、登場人物がわずか8人という規模[スケール]といい、まさにこの手のジャンルの典型だといって良い。けれどもこの、インディーズ映画の照明係をやりながら書いた脚本が認められ、監督にも抜擢されたブライアン・ベルティノのデビュー作は、ある1点において他の作品たちと異なっている。ーーこの映画には、人気女優リヴ・タイラーが主演しているのである。
 ……別に仕事を選べないわけでもないはずのスターが、どうして本作に出演することになったのか? 若手注目株のスコット・スピードマンも出ているとはいえ、一見この映画は製作規模的にも(調べてみたら、製作費はわずか900万ドル! ……たぶん、ほとんどがタイラー嬢のギャラだろう)、90分という上映時間的にも、「B級」以外の何物でもない。となれば、よほど脚本が優れていたんだろうか。たとえば、製作総指揮のひとりソニー・マリーは《ほかのスリラー映画とも、ヴァーティゴ社(とは、マリー女史が主宰する製作会社で、日本の『呪怨』シリーズや、韓国映画『箪笥』などのアジアン・ホラーをリメイクしている)がやってきた映画とも違っていた。もっとリアルで、まるで自分の家の裏庭で実際に起こっているような感じだった》と、そのシナリオを読んだ時の感想を語っている(引用は本作パンフレットより)。確かにこの映画は、他の「猟奇殺人鬼もの」とはひと味もふた味も違っている。それらのほとんどが殺人鬼像の「怪物性」や、殺人場面の残忍さ・斬新さを競うものであったのに対し、本作の場合、殺人鬼のこの世のものならぬ造型ぶりを強調するのではなく、スペクタクルな殺戮場面が繰り広げられることもない。男1人・女2人の犯人たちは、主人公カップルを徹底的に追いつめ、いたぶり抜いた挙げ句、あっさりと殺してしまう。そのリアルというか、“何のてらいのなさ”こそが、逆に本作をユニークなものたらしめているのである。
 ーーと、いきなりネタバレしてしまったけれど、それはすでに映画の冒頭、凶行現場を発見した少年が警察に電話する声で明かされてしまっている。最初に結末を告げた上で事の顛末を物語っていく〈倒叙法〉は、これが「実話」に基づくという設定上の要請ではあるだろう。見る側は、すでに主人公たちの運命を知った上で、いったい彼らの身に何が起こったのかを、見せられることになるのだ。 
 ……友人の結婚式からの帰り、別荘に立ち寄るクリスティン(リヴ・タイラー)とジェームズ(スコット・スピードマン)。どこか気まずい雰囲気は、どうやらジェームズのプロポーズをクリスティンが断ったからのようだ。そんなふたりの別荘のドアが、突然ノックされる。時間は明け方近くの午前4時。暗がりに立っている少女は、「タマラはいますか?」とだけ告げる。
 その後、クリスティンとジェームズは、別荘内に侵入してきた男女3人組の“闖入者[ストレンジャーズ]”に襲われ、最後に殺されることは前述の通り。とことん救いがないという点でいえば、ミヒャエル・ハネケ監督の不快指数満点作『ファニーゲーム』を想起される向きも多いことだろう。確かに、終始マスクをつけたままで無言の殺人鬼トリオは、ゲームを楽しむかのように“獲物”であるふたりを翻弄する。それは「恐怖」というより、まさに見る側の不快感と「不安」をあおるために撮られたかのようだ。
 その「不安」とは、どこの誰かもわからない“よそ者[ストレンジャーズ]”に、理由もわからないまま平和な日常(=秩序)を乱され、壊されることからくる。そういう意味でこの映画は、間違いなく「9・11」以後のアメリカ社会のメンタリティを反映し、その隠喩[メタファー]である。それは監督・脚本のブライアン・ベルティノによってもはっきりと自覚され、むしろ本作を撮る〈目的〉でもあったんだろう。そして、だからリヴ・タイラーも出演を受諾したのではあるまいか。本国アメリカで予想外の大ヒットとなったのは、自分たちが抱えるそういった「不安」を、この映画が巧みに(ということは、実に「リアル」に)顕在化してみせたからだ。
(……先に、本作が〈倒叙法〉のスタイルをとっていると書いた。観客が“すでに結末を知っている”ことを前提とした「実話」の映画化作品として、ここで『ユナイテッド93』を想起しても良いかもしれない。いうまでもなく“同時多発テロ”を題材にしたあのノンフィクション・ドラマにあって、いよいよ死を覚悟した乗客たちは、携帯電話で家族や恋人たちに最後の別れを告げた。あたかもそれを変奏[アレンジ]したかのような場面に、ぼくたちはこの『ストレンジャーズ』で出会うことになる……)
 だから、単純に“殺人鬼もの”のスリラー・ホラーを期待して見たなら、たぶん失望するかもしれない。繰り返すが、この映画は観客を「恐怖」させるよりも、あくまでその「不安」を衝くことを目的としているのだから。その「不安」に今ひとつ“切実”でないわれわれ日本人にとっては、なおのこと「分かりにくい」作品なのだとも言える。
 とは言え、“惨劇”が始まる前の、主人公たちの気まずい雰囲気を描き出すその手腕は正直なかなかのものだし、クライマックスでマスクの男に捕らえられ、廊下を引きずられるリヴ・タイラーがむなしく何かをつかもうとする絶望感の表出もすぐれている。そうした細部においてブライアン・ベルティノ監督が見せる才能の片鱗は、やはり特筆に値いするだろう。
 以上、ぼくにとってこれはジョン・マクノートン監督の『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』以来の“当たり”かも! と喜んでいたんだったが……。
 映画は最後の最後、いわゆるホラー映画の“お約束”的な場面で締めくくられる。それがどんなものかはさすがに書かないけれど、まあ、誰にでも予想がつくという程度のものだ。たぶん作り手たちは、“観客サービス(!)”くらいのつもりだったのかもしれない。けれど、凡百のホラー映画で何百回と見せられてきたその場面によって、この映画そのものの評価を疑わせるものになったことは確かだろう。……今まで書いてきたようなことはすべて間違いで、実はこの映画、コケオドシの才能すらない単なる「駄目なホラー」に過ぎなかったのか、と。
 いや、もちろんそんなことはない。ないんだけれど、“それだけはやってくれるな”というあのラストシーンが、作品をほとんど台無しにしたことは間違いない。少なくとも監督(もしかしたら、「この場面を付け加えろ!」というプロデューサーの要請を断りきれなかったのかも、だが)は、“あんなこと”をさせたリヴ・タイラーに謝れ! とだけ、言っておこう。嗚呼、もったいない……

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