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いつかどこかで見た映画 その73 『さらば愛しきアウトロー』(2018年・アメリカ)

“The Old Man & the Gun ”

監督:デイヴィッド・ロウリー 脚本:デイヴィッド・ロウリー、デイヴィッド・グラン 撮影:ジョー・アンダーソン 出演:ロバート・レッドフォード、ケイシー・アフレック、シシー・スペイセク、ダニー・グローヴァー、トム・ウェイツ、チカ・サンプター、エリザベス・モス、キース・キャラダイン、イザイア・ウィットロック・Jr

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 ロバート・レッドフォードという名前は、おそらくある世代以上(とは、やはり50歳半ば以上か)の映画ファンにとって特別な響きがあるだろう。1962年の映画デビュー以来、ナタリー・ウッド(『サンセット物語』『雨のニューオリンズ』)やジェーン・フォンダ(『逃亡地帯』『裸足で散歩』)の相手役として60年代をおくり、ポール・ニューマンと共演した『明日に向って撃て!』の大ヒットで人気スターの仲間入り。以後は“現代アメリカ映画を代表する二枚目スター”として、70年代から90年代にかけての活躍ぶりはもはや言うまでもあるまい。日本でも、当時の映画雑誌ロードショーやスクリーンの人気投票でアラン・ドロンあたりと常に男優のトップを競っていたものだ(……もっともぼくたち中学生の男子にとっては、ブルース・リーこそが「神」だったのだが)。
 と同時に、監督としても第1作『普通の人々』でいきなりアカデミー賞の作品・監督賞など4部門で受賞。以後も着実に監督やプロデュース作品を手がけ、そちらでも高く評価されている。さらに81年には、世界中の若手映画人を支援するためサンダンス・インスティテュートを創設。そこで主催するインディペンデント作品を中心としたサンダンス映画祭からは、コーエン兄弟からタランティーノ、最近ではデミアン・チャゼルなどを輩出するなど、新たな才能の登龍門的な場となっているのだ。
 いやはやご立派というか、何という“優等生”ぶりであることか! などと、やっかみのひとつも言いたくなるところだが、この人の場合なぜか納得させられてしまう。ぼく自身も決してレッドフォードのファンというんじゃなかったけれど、その出演作品の何本かは大好きだったりするのだ(……特に『ナチュラル』は、わが生涯のベスト作のひとつです)。
 ただレッドフォードという男、こと出演作に関してはあるこだわりというか、独特の“屈曲”があるようだ。そう、自身の人気を決定的なものにした『明日に向って撃て!』で、ポール・ニューマンとともに無法者[アウトロー]のガンマンを演じて以来、70年代を通してレッドフォードは「“負け犬”風のヒーロー」ばかりを演じてきた。野心家で女たらしのスキー選手(『白銀のレーサー』)や、これも自己中心的な放浪のオートレーサー(『お前と俺』)、落ちぶれた第一次世界大戦の名パイロット(『華麗なるヒコーキ野郎』)、胃痛に悩む泥棒チームのリーダー(『ホットロック』)等々、レッドフォードの映画には「完全無欠なヒーロー」など決して登場しない。彼らはいずれも社会からドロップアウトしつつ、それでも“どっこい生きてるぜ”とやせ我慢しているダメな野郎ばかりなのである。
 そんな、多分にアメリカン・ニューシネマの「アンチ・ヒーロー像」を引きずったキャラクターを演じながら、しかしクリント・イーストウッドほど「ダーティ」じゃなく、ダスティン・ホフマンほど「シリアス」でもない。どこか「ロマンチック」な“甘さ”をかもし出すあたりが、レッドフォードならではの魅力だった。いかにも70年代風な負け犬であっても、ひとたびレッドフォードが演じたならそこには往年のハリウッド・スター的“後光[オーラ](!)”が射している。それが『大いなる勇者』のようなヒゲもじゃな世捨て人であっても、それは素晴らしく「ロマンチック」なヒーロー以外の何者でもないのである。
 もっとも、80年代以降のレッドフォードは、いかにも正統派の二枚目スターが演じそうなそのものずばりの「ロマンチックなヒーロー」像を演じるようになる。が、作品的な評価とは別に、『愛と哀しみの果て』や『ハバナ』、『アンカーウーマン』等での彼は、逆に“精彩[オーラ]を欠く”ように思えたのも確かだ(……思えば、70年代にも『追憶』や『華麗なるギャツビー』のような恋愛映画に出演したときも、その水際だった二枚目ぶりとはうらはらにレッドフォード自身は、どこか影が薄かった)。その頃から自身の出演作より製作や監督作の方が増えていったのも、そういった彼らしい「負け犬風のヒーロー像」を演じ難くなったということがあったのではあるまいか。
 そして2018年に、82歳でついに「俳優引退」を表明したロバート・レッドフォード。まあ、その年齢を考えると仕方ないのかもしれないが、それ以上に聡明なこの男のことだから、今さら負け犬だの「ロマンチック」な役柄を演じることの無理を承知していたんだろう。ーーなどと考える、そんなこちらの“浅はかさ”をあざ笑うかのようにここで見事に“ひと花咲かせてみせた「俳優引退作」”が、『さらば愛しきアウトロー』なのである。
 ……《2年前、80歳になった時にもう俳優をやめようと思ったんだが、そうすると最後の作品がジェーン・フォンダとの共演作『夜が明けるまで』(2017)になってしまうことに気づいてね。ジェーンとの共演はよかったんだけど、高齢者の深刻な恋愛ドラマが僕の「スワン・ソング」(最終公演)になるのはあまりに寂しすぎると思ったんだ。》そんな矢先に来たオファーが、本作だったという。《映画の中で、僕の役は脅すためだけに空っぽの銃を携えた銀行強盗の役さ。一度たりとも発砲していないから殺人も犯していない。この銃飽和時代に老人が銃を持って人を殺す映画などには絶対に出たくないからね。21歳から俳優業を始めて60年余り。もう充分にやり尽した気分なんだよ。》(以上、引用は『文藝春秋』2018年11月号掲載の成田陽子氏によるインタビュー記事より)。
 レッドフォードがのべている通り、ここで彼が演じているのは現代の銀行強盗フォレスト・タッカー(……同姓同名のB級西部劇スターがいたけれど、もちろん別人)。10代の頃から盗みや強盗を繰り返し、実に16回も刑務所の脱獄に成功している見事(?)な経歴の持ち主だ。
 が、では「札つきの悪党[ワル]」なのかと言えば、そういうわけでもない。なぜならこの男、今まで一度も銃を撃ったことがなく、誰も傷つけずに“強盗稼業”を続けてきたからだ。しかもこれが、実在した人物(!)なのである。
 ……単独で、ときには気ごころの知れた仲間のテディ(ダニー・グローヴァー)やウォラー(トム・ウェイツ)と組んで、80年から81年にかけて93件もの銀行強盗を成功させてきたタッカー。その手口は、銀行の窓口や支配人を前にスーツの下からちらりと拳銃を見せて、にこやかな笑顔で「カネを入れてくれ」とバッグを渡すだけ。銀行を出るときもていねいに礼を言って、さっそうと去っていく。
 事件を担当するジョン・ハント刑事(ケイシー・アフレック)の事情聴取でも、銀行員や支配人たちは「礼儀正しく紳士的だった」「幸せそうに見えた」「優しかった」など、いまだ狐につままれたような様子で答えるばかり。そのあいだにもタッカーは、アメリカの各州を渡り歩きながら銀行強盗を繰り返す。そして“仕事中”に偶然親しくなった、女手ひとつで牧場を守るジュエル(シシー・スペイセク)と親密なひとときを過ごすのである。
 映画の冒頭に「ほとんど実話である」と字幕がでるものの、とにかくこの作品、ロバート・レッドフォードのほぼ“独壇場”だ。顔には深いしわが刻まれていても、そのスーツの着こなしや(……特にネクタイの、あのゆるみ具合の絶妙さ!)、スマートでにこやかな笑顔、ヒロインと粋な会話を交わしながら、何より誰ひとり傷つけずに銀行強盗という“天職(!)”を心から楽しむ。それはまさしく、社会からドロップアウトしながらも生き抜こうとする“負け犬[アウトロー]”を、しかし実にチャーミングかつ「ロマンチック」に演じてきたレッドフォードそのものではないか。
 追う立場にありながら、次第にタッカーという男に魅了されていくハント刑事や、タッカーの真の姿を知ってからも彼にひかれ続けるジュエル。いくら「実在の人物」だとは言え、こんなにも荒唐無稽なキャラクターを“さもありなん”と納得させうるなど、やはりレッドフォードならではだ。しかもそれを82歳でなお軽々と演じてしまうのだから、おそれいるしかない。
 加えて、自身のサンダンス映画祭で頭角をあらわしたデイヴィッド・ロウリーに監督をまかせ、ロウリー監督の盟友ケイシー・アフレックをはじめ、ダニー・グローヴァーやトム・ウェイツ、シシー・スペイセクなどシブいながらも豪華なキャストにめぐまれた本作。期待に応えてロウリーは、前作『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』のような“作家性”を抑えつつも1970年代的な画調[ルック]で(……最近の主流であるデジタル機材ではなく、スーパー16ミリのフィルム撮影というあたりも「アメリカン・ニューシネマ」的だ)映画の世界観を表現し、何よりシシー・スペイセクを実に美しく魅力的に撮っただけでも賞賛に値するだろう。
 実在した老人の犯罪者を描いた映画ということでは、クリント・イーストウッドの監督・主演作『運び屋』が記憶にあたらしいところだ。が、イーストウッドの主人公が“塀の中”の姿で終わった『運び屋』に対して、『さらば愛しきアウトロー』における主人公は、さっそうと“銀行の中”に歩み去っていく。ーーそう、この男はいまだ「現役」であり続けることを高らかに宣言してみせるのだ。
 そんなアウトローを「引退作」に選んだレッドフォードの心意気を、ぼくたちは愛さずにはいられないのである。

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