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いつかどこかで見た映画 その62 『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(2017年・アメリカ)

“Shock and Awe”

監督:ロブ・ライナー 脚本:ジョーイ・ハートストーン 出演:ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン、ジェシカ・ビール、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ロブ・ライナー、トミー・リー・ジョーンズ、リチャード・シフ、アル・サピエンザ、テリ・ウィブル、ステファニー・オノレ、エイバ・サンタナ、ウェイン・パー、スティーヴ・クルター、アンソニー・レイノルズ、テレンス・ローズモア、デイビット・モンクリーフ

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 ……ロブ・ライナー監督の最新作『記者たち 衝撃と畏怖の真実』について、映画やテレビのオンライン情報サイトであるIMDbをチェックしてみたら、思いがけないというか、思わず「ホンマかいな」と天をあおぐような“数字”にがく然としてしまった。2018年7月15日にアメリカで公開された本作は、(製作費が約1500万ドルとアメリカ映画としては比較的「低予算」だとはいえ)これまでの興行成績がわずか7万8千ドル。日本円にして約860万円しか売り上げていないというのである。
 もちろんこれには、この映画が限定公開だったーーつまり限られた州のわずかな映画館でしか公開されていない、という事情がある。しかしそのこと自体、配給会社に“興行はむずかしい”と判断されたということではないのか(……ウディ・ハレルソンやトミー・リー・ジョーンズをはじめ、ロブ・ライナー監督自身も“俳優”として出演するなど、そうそうたる顔ぶれがキャストに名を連ねているというのに!)。さらに批評の面でも、大手の新聞や雑誌等の反応はかなり冷淡なものだったし、ネットの批評サイトでも賛否半々といったところ(というか、おそらく見もしないでこの映画を酷評する輩がわんさかいる。たぶん全員「共和党支持者」なんだろう……)。このほとんど四面楚歌(!)という状況にあっては、やんぬるかなといったところかもしれない。
 では、だったらこの『記者たち』は、そんな箸にも棒にもかからない映画なのか? これまで『恋人たちの予感』や『ア・ヒュー・グッドメン』などを手がけてきたライナー監督が、ガラにもない「社会派映画」に手を出して大失敗の巻だったと? ーーまさか。
 先日、この映画のプロモーションをかねて初来日したロブ・ライナーは、外国特派員協会での会見でこう発言している。
《アメリカ国外での反応を体感できたのは、スイス、ドバイ、そして日本です。そしてすべての国で、アメリカ国内よりも良い反応を得ることができました。そこで思ったのは、アメリカという国の外にいる人々の方が何が起きているのかはっきり見えているのでは、ということでした。アメリカはいまだ「9.11」のトラウマと向き合っている段階で、メディアも政府も逆のことを主張すると“非愛国者”に見られてしまうという思いがあるのでしょう。》
 ……そう、そのタイトルがしめす通り、この映画は2003年のイラク戦争を題材としている(タイトルにある「衝撃と畏怖」とは、イラク侵攻に向けてのアメリカと多国籍軍による軍事作戦名である)。時のジョージ・W・ブッシュ政権は、明確な証拠がないまま「イラクのサダム・フセインが大量破壊兵器を保有している」と主張し、国際社会を巻き込みながら一挙に戦争へと突っ走った。その結果、数多くの人命と莫大な戦費を失いながらフセイン政権を打倒。しかし、大量破壊兵器は結局見つからないまま、後にそれらはブッシュ政権による情報の捏造だったことが判明する。そうしてイラク国内には、現在にいたる混乱と自爆テロなど破壊や恐怖が続いていることは周知の通りだ。
 そんなイラク戦争の直前下にある当時のアメリカ国内で、ほとんどのマスメディアも政権側の主張に迎合するなか、唯一ブッシュ政権の「虚偽」をあばき批判した新聞社があった。そしてロブ・ライナー監督によるこの映画は、国全体が戦争支持という風潮にあって勇気ある報道をつらぬいたその「ナイト・リッダー」社と、“真実”を追及し続けた4人の記者たちを描くものだ。そしてその結果、この映画自体が「ナイト・リッダー」と同様の憂き目を見たのである……。
 2001年9月11日、アメリカを襲った同時多発テロ。時のブッシュ大統領は、国際テロ組織アルカイダと首謀者オサマ・ビンラディンによる犯行と断定し、組織が潜伏するとされるアフガニスタン攻撃を開始する。大規模な空爆の結果、侵攻は約2ヵ月で終結。だが、ニューヨークのテロ以来この一件を追っていた全米31紙の地方新聞に記事を提供する「ナイト・リッダー」ワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)は、ある情報を入手する。それはブッシュ政権が、アフガニスタンに続きイラクとの戦争を視野に入れているというものだった。
 それを裏づけるようにブッシュ大統領は、翌2002年の一般教書演説でイラン、北朝鮮とともにイラクを「悪の枢軸国」と名指しで非難。特にイラクのサダム・フセイン大統領は、アルカイダとつながり、湾岸戦争以来その所持・保有を禁止されている大量破壊兵器を隠し持っているとした。
 いったいその根拠は何かを、ウォルコットは記者のジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)と、ウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マーズデン)のふたりに取材を指示する。大手新聞社やマスコミが政府の発表をそのまま記事にするなか、彼らは中東専門家や政府の職員などへの地道な聞き込みを開始。その結果、ビンラディンとフセインとは互いに“水と油”で手を組むことなど考えられないし、大量破壊兵器の存在も怪しいとわかってくる。
 ブッシュ政権が着々とイラクとの“戦争”準備を推し進めるなか、さらに取材を強化するべくウォルコットは、ヴェトナム戦争の元従軍記者で、メル・ギブソン主演の映画『ワンス・アンド・フォーエバー』の原作者としても知られる(……本作でも、あの映画の原作者としてインタビューを受ける場面がちらりと登場する)伝説的ジャーナリスト、ジョー・ギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)に協力を依頼。やがて彼らは、国防省内に秘密の戦略グループが存在するという職員からの重大証言を得る。イラク国内の大量破壊兵器とは、ラムズフェルド国防長官らによるでっち上げだ、と。
 しかし、そういった政権の“虚偽”をあばく「ナイト・リッダー」の記事は、傘下の新聞社から掲載を拒否される。ランデーやストロベルには匿名メールで脅迫文が送られ(……もっとも、その文章の単語ミスを“添削”するウォルコットが笑わせてくれるのだが)、ストロベルにいたっては恋人の父親からも「国の裏切り者」と罵られる始末。だが「ナイト・リッダー」の面々は、イラクとの開戦がもはや避けられない情勢となっても、あくまで「真実」に向けて取材を続けていくのである……。
 特派員として動乱のアフガニスタンやイラクに現地取材し、押しの強さと正義感で突き進むランデーと、その相棒で外交担当のストロベル。このふたりの記者を中心に、彼らの“守護神”的存在である支局長ウォルコットや、豊富な経験と人脈で彼らに貴重な情報を提供するギャロウェイら年長者[ベテラン]といった人物配置は、なるほどアメリカの批評でも指摘されているとおり『大統領の陰謀』をただちに想起させる。あそこでニクソン政権と共和党による「ウォーターゲート事件」をあばいたカール・バーンスタインとボブ・ウッドワード(……映画でダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードが演じたのは、周知のとおり)や、彼らの取材を支持し続けた編集主幹ブラッドリー、彼らに有力な情報を提供する“ディープ・スロート”……とくれば、なるほどほとんどソックリだ。
 そのうえで本作は、ランデーとその妻ヴラトカ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)の私生活や、アパートのお隣同士からやがて恋人同士になるストロベルとリサ(ジェシカ・ビール)の恋愛模様を盛り込む。さらに、イラク出兵で負傷して半身不随になった黒人青年グリーン(ルーク・テニー)の、軍に志願してから瀕死の重傷を負うまでの姿を、イラク戦争をめぐる“もうひとつのドラマ”として点描していくのである。
 この3つのプロットをひとつにまとめつつ、それをわずか91分(!)という上映時間にまとめあげたロブ・ライナー監督。だがそれゆえに、本国アメリカでは社会派映画(……それこそ、『大統領の陰謀』のような)としては「シリアスなテーマを“娯楽的”に描きすぎる」と、批判されることになった。「政治的問題を語るにしては、こぢんまりとして軽薄にすぎる」と。どうやら彼らは、2時間以上かけて「真剣[シリアス]」に描くべきテーマ(ちなみに『大統領の陰謀』は2時間18分である)を、ここでライナー監督は“本気”で描こうとしなかったとでも言いたいようだ。
 ……なるほど、確かにストロベルとリサの恋愛模様など、ほとんど同じライナー監督の『恋人たちの予感』あたりを彷彿させるロマンチック・コメディ風の楽しさだし、ランデーと旧ユーゴスラビア出身でしっかり者の妻ヴラトカの会話場面も、この監督にとって十八番のウィットに富んでいる(……このあたり、同じウディ・ハレルソンが主人公のジョンソン大統領を演じたロブ・ライナー監督の前作『LBJ ケネディの意志を継いだ男』における、ジョンソン夫妻のあの寝室での素晴らしい会話場面を想起させずにはおかないだろう)。ランデーとストロベルの人物像も、ジャーナリスト魂と「真実」の追及に燃える“真面目さ”というより、どこか『フロント・ページ』や『ヒズ・ガール・フライデイ』など新聞記者映画における「親友にしてライバル」といったバディものの“面白さ”が勝っていることは否めない。そもそもライナー監督自身が最もカッコいいというか、「おいしい」役を気持ちよさそうに(!)演じているのはいかがなものか……という向きもあるだろう。
 が、やはり上映時間98分の前作『LBJ』がまさにそうだったように、そこいらあたりの「社会派監督」ならゆうに2時間や3時間以上かけて重厚長大な映画に仕上げるだろう内容を、きっちり1時間30分程度にまとめてみせるロブ・ライナー監督の、これは娯楽映画的な職人芸という以上にもはや“矜持”なのではあるまいか。
 実際、この映画を見ながらぼくたちは、ブッシュ政権の閣僚たちの“欺まん”にあらためて驚きと怒りを禁じ得ない。ひいてはアメリカや日本の現政権の“惨状”を、あらためて思いいたすことにもなるだろう。さらにグリーン青年の悲劇的なバックストーリーには、たとえ多くを描かずとも胸を衝かれるものがある。
 そのうえで、これまでのロブ・ライナー監督の映画を愛してやまなかった観客は、本作があくまで「ロブ・ライナー作品」に他ならないことこそに安堵し歓喜するのである。ーーどんなテーマを撮ろうとも、自身の「らしさ」を見失わないこと。それは、というかそれこそが映画監督としての、作家的な“誠実さ”ではないのか。「社会派」ぶって失敗したというより、そういう「社会派」ぶった深刻[シリアス]さや教条主義こそが映画をつまらなくしていることを、ライナーとこの作品ははっきりと教えてくれている。たとえアメリカの批評家には理解されなくとも、少なくともぼくはそう信じて疑わないのである。
 やっぱりロブ・ライナー、愛してるぜ。

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