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いつかどこかで見た映画 その115 『ジョン・ウィック』(2014年・アメリカ)

監督:チャド・スタエルスキー 脚本:デレク・コルスタッド 撮影:ジョナサン・セラ 出演:キアヌ・リーブス、ミカエル・ニクヴィスト、アルフィー・アレン、エイドリアンヌ・パリッキ、ブリジット・モイナハン、ディーン・ウィンタース、イアン・マクシェーン、ジョン・レグイザモ、ウィレム・デフォー

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 最新作である『ジョン・ウィック』を見るにあたって、そういえばキアヌ・リーブスの主演映画って本当にひさしぶりだな……。などと思っていたんだが、考えてみたら一昨年に『47RONIN』を見ていたのだった。
 まあ、決して世評でいわれるほどヒドイ出来だとは思わないが、確かに“珍品”ではあったあの作品。ただ、真田広之や浅野忠信、菊地凜子などの方が物語の中心的な存在だから、どうしてもキアヌの影が薄かったことは否めない。それゆえ何だか、彼の「主演映画」とは言いがたいシロモノだったのではあるまいか。
 しかしそれ以前となれば、近年で印象に残っているのは『スキャナー・ダークリー』か『フェイクシティ・ある男のルール』くらいだろうか。その2作にしても、前者は役者たちの実写映像にペインティングした「アニメーション」だし、後者におけるキアヌは確かにがんばっていたものの、“善悪の彼岸”に立つかのような肝のすわったハードボイルド刑事を演じるのは、どうしてもミスキャストという印象がぬぐえなかった(……もっともこの2作、かたやフィリップ・K・ディック原作で監督がリチャード・リンクレイター。もう一方は、犯罪小説の大家ジェームズ・エルロイが共同脚本という実にマニア泣かせのスタッフ陣。それだけでも、ともに一見の価値はある)。
 実のところ、『地球が静止する日』や『コンスタンティン』あたりにしても、確かに見てはいるのだが(いや、『地球が静止する日』の場合、ただしくは「テレビで“途中まで”見ている」だけです。スミマセン……)、作品も、彼のことも、ほとんどおぼえていない(……『コンスタンティン』における黒スーツ姿のダーティな「悪魔祓い」役は、確かに頑張っていたと思うが)。というか、『スピード』でアクション・スターの仲間入りして、『マトリックス』シリーズで一時代を築いたとはいうものの、結局のところキアヌ・リーブスとは、“大作映画の主演スター”というよりも、何だか“不思議な映画で不思議な役をたんたんと演じる不思議な男”といった感じなのである。
 そう、ぼくにとってキアヌ・リーブスという男は、やはり『マイ・プライベート・アイダホ』や『カウガール・ブルース』といったガス・ヴァン・サント監督の初期作品、あるいはベルナルド・ベルトルッチ監督の『リトル・ブッダ』におけるような、情緒不安定な青年であったり、悩める「青年ブッダ」が似つかわしい。あるいは、『ギフト』や『死にたいほどの夜』のような、人気絶頂だった頃にわざわざ「人間のクズ」みたいなキャラクターをあえて(?)演じるあたりこそが、この役者の“らしさ”なのだと思う。
 ネットなどでは、公園のベンチでひとりハンバーガーの昼食をとる姿や、地下鉄でさりげなく女性に席をゆずる姿を“盗撮[パパラッチ]”された映像が流されるなど、その「いい人」ぶりが話題になったり、『ディアボロス・悪魔の扉』や『リプレイスメント』に主演する際、それぞれアル・パチーノとジーン・ハックマンに出てもらうため自分のギャラを大幅に下げるよう申し出た、など泣けるエピソードに事欠かない。業界内では、そういったセレブな大物スターにあるまじき“奇行”ぶりに「アイツは本物のバカじゃないの?」などと揶揄する向きもあるそうな(もっとも、そういう人柄だからこそファンや心ある映画関係者たちから愛され続けているんだろう)。
 ともあれ、そういったここ最近は映画以外で話題になることが多かったキアヌ。自身で初監督と出演を兼ねたもののほとんど話題にもならず、日本ではひっそりと限定公開された『ファイティング・タイガー』に続くこの『ジョン・ウィック』は、本国アメリカでまさに起死回生的な大ヒットとなった次第。いや、めでたしめでたし。
 ……と、ここで終わるわけにはいかないので(アタリマエだ!)、あらためて本題に入ろう。キアヌ・リーブス主演作では、前述のとおり『マトリックス』シリーズ以来といってよい批評・興行成績ともに上々のヒットとなった『ジョン・ウィック』。なるほど、ここにはかつてない斬新なガン・プレイとアクションが全編にわたって繰りひろげられている。が、単なる「アクション映画」という以上にこれは、“不思議な映画で不思議な役をたんたんとして演じる不思議な男”にふさわしい作品でもあるのだった。ーー何となればこの映画、実のところ「1台の車を盗まれ1匹の子犬を殺された男の復讐劇(!)」なのだ。それが、かくも凄絶かつ死屍累々たる「R15+」作品となっているのである……。
 美しい妻ヘレンとの満ち足りた日々をおくる、ジョン・ウィック。だが、彼女は重い病いにおかされていて、とうとう息をひきとってしまう。葬儀の後、失意に落ち込むジョン。そんな彼のもとに、1匹の子犬が届けられる。それは、死期をさとったヘレンが、ジョンのために用意していた“贈り物”だった。最初はとまどいながらも、亡き妻のかたみである子犬に心をゆるしていくジョン。
 しかし、ある日ジョンの愛車に目をつけたロシアン・マフィアのボスの息子とその一味が、ジョンの家を襲撃する。不意を突かれて手ひどく暴行され、車を奪われたばかりか、子犬まで殺されてしまったジョン。彼は、地下室に“封印”していた銃火器を取り出す。実はこの男、最愛の女性ヘレンのために引退していたものの、今なお畏怖される伝説的な殺し屋だったのだ!
 ……以上のプロローグを経て、いよいよ過去の自分を解き放ったジョンによる“華麗なる殺戮劇”の幕が開く。ドラ息子の襲った相手がジョンだと知ったマフィアのボス、ヴィゴ(……ここで息子のヨセフをブチのめしながら、「お前が襲った相手は、ただの殺し屋[ブギーマン]じゃない。そのブギーマンすら殺す“化け物”なんだぞ!」と言うヴィゴに、ぼう然とするヨセフ。ジョンの“伝説[レジェンド]”ぶりをひしひしと実感させる、なかなかの名場面だ)は、先手を打って部下たちにジョンを襲わせる。が、あっという間に返り討ちに遭って全滅。その後もジョンは、復讐のためにマフィア組織との血で血を洗う戦いに邁進していくのである。
 とにかく、前評判どおりキアヌ・リーブス扮する主人公が殺して、殺して、殺しまくる。アメリカの動画サイトでは、本作のなかでキアヌが殺した相手の人数をカウントするものが人気らしく、それによると実に76人(!)ものマフィアや殺し屋たちを血祭りにあげているという。しかも、そのガン・プレイの流麗さといったら! パンフ解説のなかでギンティ小林氏が、それをジョン・ウー監督の香港ノワールを元祖とする《格闘技と射撃を融合させた独特な戦闘スタイル、ガン・フー》の新流派であり、《これまでの見た目の派手さを重視していたものと違い、「本当に有効かも」と思わせてしまう説得力のあるものとなっている》と書かれているが、接近戦で相手の動きを封じつつ、数秒で何人もの相手の脳天を撃ちぬくあたりのキアヌが見せるアクションの素晴らしさ! しかも、それを最近のアクション映画にありがちなめまぐるしいカット割りでつなぐのではなく、長めのショットで一連の流れるような動きを見せるあたり、もはや残酷さを通り越してその流麗さが“快感”ですらあるだろう。
 だが……と、ここでアナタは考えるかもしれない。そんな凄絶かつ斬新なアクション映画だというのに、その物語のきっかけが「殺された子犬の復讐」だというのはどうよ、と。確かにその犬は亡き妻の形見であり、主人公の心のよりどころだったかもしれない。でもそれで、いくら悪党どもとはいえ「76人」もの相手を殺しまくるのは、動機としてコウトウムケイすぎるんじゃないか?
 いや、まったく。正直に言うとぼくもまた、いくら何でも……とはじめは思ってしまったクチだ。
 けれど、最初にマフィアのボスが差し向けた手下どもを自宅であっさりと片付けた後、警官が訪れる場面。ジョンとは顔なじみらしいその警官は、「近所から騒音の通報があってね」とわびつつ、ジョンの足下にころがる死体を見つけて「(殺し屋の)仕事に戻ったのか?」と聞く。そして、「そうか……じゃあ、何もなかったということで」と、帰ってしまうのである!
 この場面(と、続いてジョンが電話で呼んだ「死体清掃業者」の鮮やかな“仕事”ぶり)に目が点になり、次に爆笑してしまったぼくは、ただちに納得してしまった。ーーああ、この映画はコウトウムケイでいいんだ、と。そしてそれは、ジョンが宿泊する殺し屋専用のホテルや、まるで鈴木清順の『殺しの烙印』みたいな殺し屋の組合[ギルド]などが描かれるにいたって、ほとんど確信へとかわっていく。ーーそもそもこの映画のなかで、主人公ジョンの妻だったヘレン以外に「一般人」はほとんどまったく登場していない。その妻の遺した子犬は、いわゆる“オモテ社会”にジョンをつなぎとめておく唯一の存在だったのである。それを断ち切られたがゆえに、ジョンは殺し屋とマフィアどもしかいない“ウラ社会”へと帰還した。と同時に、ふたたび殺人マシンとして覚醒したのである(……このあたり、確かに『マトリックス』に通じるものがあるかもしれない)。
 スタイリッシュなアクションとともに、もはや漫画[コミック]じみたコウトウムケイな世界を構築してみせる本作。単なる「アクション映画」とはひと味もふた味もちがうそのテイストは、だからこそ“不思議な映画で不思議な役をたんたんとして演じる不思議な男”キアヌ・リーブスにふさわしい、新たな代表作となったのである。

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