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いつかどこかで見た映画 ショートver. 『ターミナル・ベロシティ』(1995年・アメリカ) & 『ドロップ・ゾーン』(1995年・アメリカ)


『ドロップ・ゾーン』“Drop Zone”
監督:ジョン・バダム 脚本:ピーター・バルソチニーニ、ジョン・ビショップ 撮影:ロイ・H・ワグナー 音楽:ハンス・ジマー 
出演:ウェズリー・スナイプス、ゲイリー・ビジー、ヤンシー・バトラー、マイケル・ジェッター、コリン・ネメック

『ターミナル・ベロシティ』“Terminal Velocity”
監督:デラン・サラフィアン 脚本:デイヴィッド・トゥーヒー 撮影:オリヴァー・ウッド 出演:チャーリー・シーン、ナスターシャ・キンスキー、ジェームズ・ガンドルフィーニ、クリストファー・マクドナルド、ランス・ハワード

 人間が空を飛ぶ、あるいは真っ逆さまに落ちてゆく。このふたつは、ぼくが最も偏愛する映像[イメージ]である。小説であれ映画であれ、なんらかのかたちで人の飛行や墜落シーンに出くわすと、それだけでおのれの官能を刺激されてしまう。
 だから『スーパーマン』でスーパーマンとロイス・レーンが夜空を空中デートする場面なんて身も心もふにゃふにゃになるくらいウットリさせられたのだし(……監督のリチャード・ドナーには、養父に酷い暴力をふるわれる少年の空を飛ぶことへの憧れを描いた『ラジオ・フライヤー』という作品もあった。児童虐待という深刻なテーマをファンタジーに昇華させた、実に美しい映画だったなぁ。日本ではTV放映されたドナーの長編監督デビュー作『宇宙船X−15』もまた、もうひとつの『ライト・スタッフ』というべき航空映画。つくづく、ぼく好みのカントクさんである)、実はどうしても好きになりきれない宮崎駿のアニメ作品にあって、その飛翔シーンだけは文句なしに魅了されてしまうのだ。
 とまあ、こんなことを白状すると精神分析のネタを提供するようで恥ずかしいんだけど、ギリシア神話の「イカロス失墜」を思いだすまでもなく古来からひとは多かれ少なかれ空を飛ぶことと、あるいはむしろそれがはらみ持つ“落ちること”に魅せられてきたのではあるまいか。飛ぶこと、そして落ちること。いわば「重力」をめぐる“快楽と恐怖”こそ、ぼくたちをひきつけてやまないオブセッションなのである。フロイトというよりユング的といってよいこの主題[モティーフ]は、映画のなかで繰り返し描かれてきた。キング・コングから『地球に落ちて来た男』のデイヴィッド・ボウイにいたるまで、それこそ数え切れない落下シーンがクライマックスを形成し、観客たちをゾッとさせると同時に「ウットリ」させてきたのだ。
 そうして、今回ここで取りあげる『ドロップ・ゾーン』と『ターミナル・ベロシティ』は、ともにスカイダイビングを題材にしたアクション映画。文字どおり全編にわたって人間がうじゃうじゃ空から“降ってくる”。特に『ドロップ・ゾーン』はスカイダイバーたちのさまざまな妙技やマスゲームがふんだんに盛り込まれ、それはそれで見事なスペクタクル場面を披露してくれる。
 でもそこには、“空から落ちること”の魅惑が意外に希薄なのだ。これらのスカイダイビング場面は、墜落ではなくむしろ往年のミュージカル映画における華やかなレビューを思いおこさせる(まさに『空中レビュー時代』!)。それよりも、映画の冒頭近くに登場するハイジャック場面で、犯人グループに爆破されたジャンボ機の扉から乗客が次々と吸い出されていく描写のほうがはるかに印象的だったのだし、これは中盤あたりだったけれど、パラシュートが開かず地上へ一直線に少年の姿を克明に追ったワンシーンほど、ぼくに倒錯した喜び(!)を与えてくれるものはなかった。


 実際このふたつのシークエンスは、まがまがしくも甘美な悪夢めいて本作のなかでも突出している。はからずも映画はここで、「重力をめぐるエクスタシー」に達してしまったのだ。
 いっぽう『ターミナル・ベロシティ』においても、パラシュートが開かれないまま人間が地面にたたきつけられる場面は圧倒的なインパクトをはなっている。
 それはナスターシャ・キンスキー扮する女スパイが追っ手から逃れるためにしかけたトリックなのだけれど、彼女を救おうとするチャーリー・シーンの主人公からの視点から1回、たまたま地上からヴィデオカメラで捉えたという設定でもう1回繰り返し映し出すあたり、ほとんどフェティッシュなまでのこだわりではないか。


 さらに自動車ごと飛行機から空中に放り出されて落下するクライマックスも、同様に“落ちることの恐怖と快楽”をどこまでも増幅させていく、スリリングかつめくるめく陶酔感にあふれた素晴らしいシーンだ。……スタントと合成技術のたまものとわかっていても、その迫真の場面はぼくという観客を“悶絶”されるのにじゅうぶんなのだった。
 一見フツーのアクション映画にみえて、“空から落ちること”をリアルかつ執拗に描いてみせた作品が奇しくもほぼ同時期に公開されるとは、なんとオレ得であることか! とにかくこの2作品は、ニュートンの法則が映画においてもいかに“貢献”しているかを雄弁に物語っているのである。
(1995年2月記)

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