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いつかどこかで見た映画 ショートver. ロン・ハワード小論 『ザ・ペーパー』&『アポロ13』

“The Paper”(1994)
監督:ロン・ハワード 脚本:デイヴィッド・コープ、スティーヴン・コープ 撮影:ジョン・シール 出演:マイケル・キートン、マリサ・トメイ、グレン・クローズ、ランディ・クエイド、ロバート・デュヴァル、ジェイソン・ロバーズ、ジェイソン・アレクサンダー、キャサリン・オハラ、ジル・ヘネシー、クリント・ハワード

“Apollo 13”(1995)
監督:ロン・ハワード 脚本:ウィリアム・ブロイルズ Jr.、アル・ライナート 原作:ジム・ラヴェル、ジェフリー・クルーガー 撮影:ディーン・カンディ 出演:トム・ハンクス、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・シニーズ、ビル・パクストン、エド・ハリス、キャスリーン・クインラン、ローレン・ディーン、クリント・ハワード、ロジャー・コーマン、ジョー・スパーノ

(この文章は1995年7月に書かれたものです。)

 ロン・ハワードの初監督作『バニシングIN TURBO』は見逃したままだが、監督第2作『ラブ IN ニューヨーク』と、続く『スプラッシュ』に魅せられて以来、彼の監督作が公開されると聞いたら胸をときめかせてしまう。いまさら言うまでもないヒットメーカーでありながら、彼の作品には数々のアメリカ映画の古典や巨匠たちから学び、それを現代に継承していこうという意志がありありと見てとれる。文字どおり「ハリウッド」の後継者をめざしつつ、決して〈引用〉などといった“姑息”な手段によるものでなく、その精神や演出スタイルを自らのうちに血肉化していくことで成し遂げようとするあたり、ホント偉いなあと思うのだ。
 そのうえで作品をきちんと興行的に成功させていくとなれば、その才覚と技術にほれぼれするばかり。70年代がコッポラの、80年代がスピルバーグの時代だとするなら、90年代はすでにロン・ハワードのものといっていいだろう(……もうひとりの寵児、ティム・バートンも忘れちゃならないけれど)。
 さて、今夏(1995年)はそんなアメリカ映画の若き「巨匠」の作品が2本も見られるという、ファンにとっては何ともうれしい事態となった。かたやニューヨークのとある新聞社の編集局を舞台に、そのてんやわんやな1日を追った社会派風のコメディの『ザ・ペーパー』。いっぽうは月面着陸をめざす宇宙船が故障し、その帰還をめぐるスリリングなサバイバル・ドラマ大作『アポロ13』。一見まるで対照的なようでいて、そのどちらにもロン・ハワード監督ならではというか、“らしさ”の刻印がくっきりと刻みこまれている。
 そう、そこにあるのは、映画監督の武井筒文がかつて『バックドラフト』評で指摘したとおり、「ロン・ハワード・ホークス」と呼ぶしかない彼の徹底したホークシアンぶりだ。そして、戦前の『港々に女あり』や『暗黒街の顔役』から、戦後も『赤い河』『リオ・ブラボー』等々の名作群を撮り続けてきたホークスが「プロフェッショナリズム」の代名詞に他ならないとするなら、ロン・ハワードもまたこの2作品において“真のプロフェッショナル”であることを高らかに誇示しているのだ。 
 身重の妻をほったらかしにしてまでハードワークに没頭する、中堅タブロイド紙の編集者。そんな彼をとりまく記者だのカメラマンだの女性上司だのといった多彩な人間たちとのスッタモンダを、彼はなんとか切り抜けていく。そんな主人公が迎えた、“人生で最も長い日[ザ・ロンゲスト・デイ]”を、丁々発止の台詞の洪水とスピーディーな展開のなかに描いていく『ザ・ペーパー』は、まさにホークスの『ヒズ・ガール・フライデー』の世界そのままだ。しかも、「輪転機を止めろ!」という“ブン屋もの”映画における定番中の定番ともいえる名台詞が飛びだすにいたっては、映画ファンなら快哉を叫びなるに違いない。
 ──そうなのだ、古き良き「ハリウッド映画」の持つあの「幸福感」を、単なるノスタルジーではなく現代に甦らせること。ロン・ハワードは、その簡単そうで実は途方もなく困難だろうこの取り組みを、彼にしてはひさびさの“小品”といってよい本作で軽々となし遂げてみせたのである。
 この『ザ・ペーパー』が『ヒズ・ガール・フライデー』なら、『アポロ13』はさしずめ、というか当然ながら航空映画の傑作『コンドル』ということになるだろう。月へと向かう途中に宇宙船が突然トラブルに見舞われ、ほとんど絶望的な状況下で何とか無事生還をめざす3人の宇宙飛行士と、地上の管制司令室の人びと。狭い宇宙船内を中心とした劇[ドラマ]は、演出しだいによっては動きのとぼしい単調なものになるか、これみよがしなアクロバチックなカメラワークでごまかそうとするものだが(……かつてこのアポロ13号の事故をさきどりしたような『宇宙からの脱出』という映画があったけれど、ジョン・スタージェスが監督だのに正直うっとうしい心理ドラマ中心の退屈な出来映えだった)、ロン・ハワードは、船内で次から次へと発生するトラブルとその対処への緻密なディテールを丹念に描くと同時に、むだのない見事な編集のリズムでこの“密室劇”を手に汗にぎるパニック映画に仕立てあげている。だがそれ以上にこの作品は、プロフェッショナルの男たちが力を合わせて危機を乗り越えていくといった“ハワード・ホークス主義[イズム]”につらぬかれたものとして、ぼくにはとりわけ感動的なのだった。
 ここでは宇宙飛行士たちも、地上の管制センターの面々も、だれもがプロフェッショナルとしておのれの任務に全力をつくす。それは“プロ”としての当然の証しであり、何よりプロ同士の「友情の証明」なのである。
《ホークス的な人物は、男も女も、ただプロとして彼らの任務すなわち友情の証明を果たそうとし、そのために命をかける。(中略)仲間が一人でも死ねば、(すでに『コンドル』ではトマス・ミッチェルを死なせてしまった)、それは友情集団の任務が失敗したことである。だからこそ、一人も死なせてはならない》(山田宏一著『シネ・ブラボー 小さな映画誌』所収「ホークシアンの宴」より)
 ……この『アポロ13』の真の主人公ともいえる、エド・ハリス演じる管制センター主任のほれぼれするようなカッコよさ。あの“プロ中のプロ”といった彼の存在こそ、本作を見事に象徴するものであるだろう。



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