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いつかどこかで見た映画 その135 『サスペリア・テルザ 最後の魔女』(2007年・イタリア=アメリカ)

“La Terza madre(The Mother of Tears)”

製作・監督・脚本:ダリオ・アルジェント 脚本:ジェイス・アンダーソン、ウォルター・ファサーノ、アダム・ギーラッシュ、シモーナ・シモネッティ 撮影:フレデリック・ファサーノ 出演:アーシア・アルジェント、クリスチャン・ソリメノ、アダム・ジェームズ、モラン・アティアス、ヴァレリア・カヴァッリ、フィリップ・ルロワ、ダリア・ニコロディ、コラリーナ・カタルディ・タッソーニ、市川純、ウド・キア

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 さて、以前にぼくは安里麻里監督の『劇場版 零~ゼロ~』を取り上げ、「ゴシック・ホラー」について書いた(「いつかどこかで見たい映画 その80」)。その流れで今回も、見逃したままだったホラー映画をあらためて取り上げてみようと思う。ならば、ここはやはりゴシック・ホラーつながりということで、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア・テルザ 最後の魔女』しかあるまい(?)。この監督の作品を、けっこうハマって追いかけていた頃もあったしね。
 そのタイトルからもお分かりのとおり、これはアルジェントの代表作のひとつである1977年の『サスペリア』の流れをくむもの。実はあの映画、「魔女3部作」として構想され、第2作目は80年に製作された『インフェルノ』で、この『テルザ』はその27年ぶりに撮られた“完結編”ということになる(……ちなみにこれも周知のとおり、日本で『サスペリアPART2』として公開された映画は、『サスペリア』の2年前にアルジェントが撮ったまったく別ものの作品)。
 もっとも『インフェルノ』を見るにあたって、この映画が『サスペリア』の“続編”だとはまったく知らなかった(……いや、見終わっても気づかないままだったんだが)。少なくとも日本ではそういった宣伝はされなかったし、映画評のなかでも(ぼくの知る限り)その点にふれるものは目にしなかった。その理由としては、日本での配給会社が異なること(……『サスペリア』は東宝東和で、『インフェルノ』は20世紀フォックスがそれぞれ配給している)、アメリカでは『インフェルノ』が劇場公開されることなく終わったことなどが影響しているのかもしれない。日本でもずいぶんひっそりと上映され、あまり話題にならないまま消えてしまった記憶があるし、たぶん当時の宣伝部員たちには「どうでもいい」作品のひとつでしかなかったんだろう。ーー個人的には、その残虐な殺人描写にかかわらず審美的・象徴的な映像表現(……あの、古いアパートメントの地下に広がる水没した部屋の場面の素晴らしさ!)の徹底ぶりにおいて、アルジェントの最高傑作のひとつであると今でも信じているんだが。
 そしてあらためて『サスペリア』を思い出してみても、劇中では魔女の正体について何も明かされていなかったはずだ。しかし「サスペリア」というタイトルがラテン語の“ため息”であり、これは18世紀イギリスの著述家トーマス・ド・クインシーによる『深き淵よりの嘆息』よりとられたものだった。そしてこの書のなかに登場するのが、「三人の母」と呼ばれる古代の神々の眷属であり、アルジェントは彼女たちを地上に災いをもたらす「魔女」として読みかえたのである。『サスペリア』の最後に登場する魔女とは、その3人のうちのひとり「ため息の母」なのだった。
 そのことを明らかにしたのが、2年後に撮られた『インフェルノ』だ。ーー開巻まもなく、ニューヨークに住む女性詩人が手にとった古書『3人の母』。そこで語られるのは、著者である建築家が「3人の母(=魔女)」にそれぞれ3つの館を建てたというもの。ひとつはドイツのベルリンで、「ため息の母」のために。もうひとつはアメリカのニューヨークで、「暗闇の母」のために。最後にイタリアのローマで、「涙の母」のために。そう、ここではじめて前作のタイトルである「ため息[サスペリア]」の意味が“タネあかし”されるのである(……そして前述のとおり、公開当時ぼくはまるで気づけなかった)。
 こうして、ベルリンで「ため息の母」が、ニューヨークでは「暗闇の母」が滅ぼされ、いよいよここローマで“最悪にして最強の魔女”と語られる「涙の母」の、満を持しての登場とあいなった次第。ところがこの、「三度目の約束です 決してひとりでは 見ないでください!」という惹句[コピー]も秀逸な『サスペリア・テルザ 最後の魔女』という映画、これがいろんな意味でトンデモない「モンダイ作」なのだった……
 とある古い教会の墓地から発掘された棺と、小さな謎の箱。棺は19世紀のもので、なかの遺体は、「涙の母」の復活を司る遺物をバチカンに届けようとした兵士のものだとわかる。司教は、魔術に詳しい館長がいる博物館に箱を届けることにする。
 博物館で箱を受け取ったのは、副館長のジゼルと研究員のサラ(を演じるのは、監督の愛娘であるご存知アーシア・アルジェント)。軽い気持ちで箱の封印を解いたふたりだったが、サラが席をはずしているあいだに、館内に忍び込んだ猿と男たちによってジゼルは惨殺されてしまう。戻ってきたサラも襲われるが、謎の女性の“声”に導かれてなんとか難を逃れる。
 駆けつけた刑事たちに事情を説明しても信じてもらえず、逆に怪しまれるサラ。館長のマイケルによってなんとか取り調べから解放され、マイケルの家に身を寄せる。前の妻と離婚した彼は幼い息子とふたり暮らしで、サラとマイケルは恋人同士だったのだとわかる。
 一方、信者たちが取り戻した遺物によって復活を果たした「涙の母」。その日からローマの街は、狂気と暴力が蔓延する“悪”の世界となっていく。赤ん坊を橋から投げ落とす母親や、強奪、破戒の限りをつくす人々。さらには、世界各地から魔女の手下たちがローマに集結しはじめる。
 そんななか、マイケルの息子が魔女の一味に誘拐されてしまう。ゆくえを求めて街を出たマイケルを追うサラだったが、彼女にも執拗な魔女たちの“魔手”が迫るのだった。
 と、ここまでが映画の前半。中盤以降も、サラの行くところ“巻き添え”を食った人々が凄惨な死を迎えることになる(……本当にこのヒロイン、ほとんど「疫病神」状態なのである)。彼女自身も何度も危機に見舞われるが、そのたびに謎の女の“声”にサラは救われるのだ。そうしていよいよ、サラは「涙の母」の“巣窟”である館へとおもむくのである。
 ーーといった「オカルト映画」としてのお膳立ては揃ってはいるものの、けれどそういったストーリー展開より何より、ここでは残虐極まる“殺人ショー”こそが本作の主眼であるらしい。実際ここにあるのは、アルジェント映画史上でも最も“残虐[ゴア]”な殺戮場面のオンパレードなのである。
 とにかく、序盤の副館長ジゼルが殺される場面からして凄い。男たちは彼女の口に太い鉄栓を突っ込み、さらに腹を引き裂きこぼれ落ちた内臓で首を絞めるという“荒技”をくり出すのである(……もっとも、先に潜入して男たちを誘導する猿の、“邪悪”なはずがどこか可愛いのもご愛敬。この猿くん後でもう1回登場するのでお楽しみに)。
 さらには、サラに「3人の母」の正体を明かす教会の老エクソシスト(を演じるのは、ウド・キアー!)が、鉈で顔をメッタ切りにされ絶命。サラを救う“謎の声”の正体がかつて「ため息の母」と戦った“善き白魔女”であり、彼女こそサラの母親(演じるのは、アーシア・アルジェントの実の母ダリア・ニコロディだ)であることを教えてくれる女性霊媒師も、股から口まで鉄杭で刺し貫かれる(……ついでにといってはなんだが、居合わせた彼女の“恋人”である女性も、あわれ両目を潰され首をザックリ切られて絶命)。一方の主人公のサラも負けじと(?)、執拗に追ってくる日本人の魔女っ子(市川純)を列車内で扉に何度も彼女の頭を挟みつけ、目玉が飛び出し脳みそがハミ出すまで攻撃をやめないサディスティックぶりを発揮するのである。
 ……たぶん、『サスペリア』や『インフェルノ』、あるいは『フェノミナ』といった過去のアルジェント作を期待して見た観客たちにとって、この映画は許しがたい“冒涜”と映るかもしれない。ここには原色を多用した華麗な映像や、街の広場などを撮っても閉所恐怖症めいた緊迫感を醸しだす独特のサスペンス演出といった、この監督ならではの「アルジェントらしさ」がほとんど影を潜めているからだ。あるいは、「魔女3部作」の前2作には横溢していた「ゴシック・ホラー」的な配慮にしても、まるでどこ吹く風といった感。なるほど、公開当時アルジェント・ファンの評価がまっぷたつに分かれたのもうなずける。
 一方で、いつもは物語を把握することすら困難なアルジェント映画にあって、驚くほど「分かりやすい」展開と、イタリア各地とローマ市街を舞台としたスケール感あふれる設定(……もっとも、そこで描かれる人々のパニック場面や終末世界[カタストロフ]の描写は、せいぜい与太者たちが小競り合いを起こす程度といったショボさで、もはや「ギャグ」状態の脱力ぶり。逆に、それが不思議な“笑い”を生んでいるのだが)など、これまでになかったアルジェントの“新生面”を見せてくれるものだ。そのうえで、『4匹の蠅』や『シャドー』などお得意のサディズム満載な殺人ミステリー劇とオカルト・ホラーを融合してみせたのが、この『テルザ』なのである。
 ……ともあれ、自らの美学というか“美意識[スタイル]”をかなぐり捨て、嬉々として「欲望」のままに完成させた“何でもあり”な本作。特に、自分の娘のフルヌードをなめ回すように撮り、ウジ虫と腐乱死体の汚水にまみれさせるこの奇才[マエストロ]の鬼畜というか“変態”ぶりなどもはや感動的ですらある。いやぁ、いいものを見せていただきましたーー「最後にして最強の魔女」のはずがあっけなく“弱点”を突かれる「涙の母」のヘタレぶりとそのクライマックスを含め、誰にでもオススメする“勇気”はありませんが(笑)

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