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240615_記述010_IE-NIWAについて⑦

改めて庭とは何か?
このIE-NIWAについての記述はその命題が解決しないままにぐるぐる回っているだけなのかもしれない。確かに実際にそうなのだが、この継続的な記述を通して、自分なりの回答のようなものが少しでも見つかることを期待して暫くはゆっくりと書いてみようと思う。


IE-NIWAでは、過去5回開催した内の2回は自分の家ではない場所=他人の家で実施させてもらった。自分の家の庭ではないだけにやっても良いこと、これ以上はやめてほしいなどという場所の所有者・運営者の線引きを具体的に確かめながら空間づくりを行う。まだ2回だけではあるがその線引きや気にしているポイントの違いも面白い。
vol.4の若木の家では、普段は撮影スタジオとして利用しているためIE-NIWA終了後は再び撮影スタジオとして利用しなければいけない。場所を借りているので現状復旧は当たり前なのだが、IE-NIWA開催日の前後のスケジュールや荷物の残し方、どこまで建物や庭に手をつけて良いのかもひとつずつ聞きながらそれを条件として空間を作っていく。ちなみにここでは撮影クルーが残していった残置物(許可済み)のものも多くあるようだ。そして若木の家では、広い庭を持つ昭和民家としてたくさんの部屋が襖や障子の建具で間仕切られている。IE-NIWAではこの間仕切りとしての建具を全て取払ってお客さんが自由に行き来できるように開放的な空間を作ろうとした。そのためにはたくさんの建具をひとつひとつ外してある場所に仕舞っておかないといけないわけだ。建具は似たようなデザインのものも多い中で完全に同じ場所に戻さないとピッタリとはいかず復旧できない。建具はパズルのようで順番や箇所を記憶しておかなければいけない。また、庭にある倉庫はたくさんの荷物が入っているためにそこを使うことできないし、季節的にまだまだ蚊が出る状況であったしオーナーさんはそれを気にされていた。これらひとつひとつがこの場所の条件となり、それらをどのようにクリアして、あるいは調整して空間を作るのかが重要になってくる。
vol.5を開催した井口荘では、井口さんという大家さんの持ち物ながら建物を使っているのは自転車屋の長谷くんと古着屋の大西くんである。vol.4の若木の家のようなスペース貸しをしているわけではないこの場所では、彼らが日常的に使っている営みがより具体的に現れる。例えば、庭では一見何もないように見える植えたての小さな作物が数種類と存在していたり、彼らの仕事場としての必需品が動線の中に身体の延長として配置されていたりする。他人から見れば何気ないこれらひとつひとつに彼らの身体感覚と独自の考えが埋め込まれており、それらを決して塗りつぶさぬように出来るだけ丁寧に汲み取っていく。瞬間的に反応する私のその汲み取り方がベストなのかどうかは分からないが、ひとつひとつやって良いことやそのこだわりについて聞いていく。

いずれも彼らが何をこだわっているのか、どんな考えを持っているのか、そしてそれがどのように場所として立ち上がっているのか。この一見なんてことない平凡なディテールから彼らの身体の一側面を理解しようとしていく。そしてそれは庭というコントロールの難しい環境下でより色濃く現れるのだろうと考えている。

庭は身体と思考のキャンバスなのかもしれない。この表現はかなり大袈裟なのかもしれないが、庭の在り方でその人たちの一部分を垣間見えるのだとしたら、それらが表現される前の白紙の状態も存在していると言えるだろう。それは絵画で言えば描かれる前のキャンバスであり、彫刻で言えば加工される前の材料である。庭というフィールドには何も手を入れられる前から表現可能性としてのキャンバス性が備わっているのかもしれない。


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