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網膜光凝固術または「火の7日間」の体験

2008/08/22
目の手術をすることになった。

といっても白内障や緑内障、網膜剥離ではない。糖尿病性網膜症による失明のリスクを回避するための予防的な手術だ。

糖尿病は毛細血管がやられてしまうため、いろいろと恐ろしい合併症を引き起こす。そのひとつが糖尿病性網膜症で、日本では年間3000人が視力を失っている。

毛細血管の血行が悪くなると、それを補助するためにモヤシのような新生血管ができる。これは自然なことなのだが、厄介なことに新生血管はぐるぐると迷走している上に血管壁が弱く、ちょっとした血圧の変化などですぐ出血する。小さな出血は視力の低下を招き、大出血は一発で失明となる。

それを防ぐ手術が網膜光凝固術で、小さな出血痕や新生血管をレーザーで焼き潰し、網膜を健康な状態に戻す。この手術は糖尿病性網膜症に限らず、さまざまな網膜の疾患を治療するために使われる。ただし糖尿病性網膜症の治療の場合は広範囲に適応させるため、片目につき1000箇所の絨毯爆撃が必要で、手術は4~5回に分けて行われることが多い。それを両目ともやるのだ。

レーザーで焼き潰される面積は、1発につき直径0.2ミリ程度。それが1000箇所だから、視力にはあまり影響はない。人によってやや視界が薄暗くなる程度だという。

この手術を受けたのち、造影剤を入れた眼底撮影で爆撃の効果を測定する。必要があれば追加爆撃だ。ただ、造影剤の血管注入には少しリスクがあり、日本の眼科学会では過去2名の死亡例がある。まあ宝くじよりも確率は低いのだが。

第1回目の手術は9月8日。元気でいたら、詳細なリポートをお届けしよう。

2008/09/09
さて、目の手術である。

本日は初日。前もって渡されていた目薬を指定時刻の12:00に差し、12:30に眼科に出かけた。この目薬は眼底検査の時に使うものと同じ、瞳を全開にするもの。したがって到着する頃は世の中が光の洪水になっている。まぶしくて、やりきれない。

目医者に着くと、すぐさま違う目薬を差された。麻酔の一種なのだろうが、眼球の表面にプリズムの化け物を接着するためのものだ。医者は「コンタクトレンズ」と言っているが、あの魚のウロコみたいなものとはまったく別物である。ごろんとしたガラスの固まりで、麻酔の目薬を差さなかったら、痛くて悶絶してしまう。ちなみにこれはレーザー光を網膜のあちこちに届かせるためのもの。これがないと、正面奥しか灼けない。

機械の前に座らされ、まずは右目から灼く。ちなみに手術全体では、両目とも約1000箇所のポイントをレーザーで焼灼するのだが、一度にそれをやると患者が負担に耐えられない。そのために5回ほどに分けて手術をする。つまり、1回に200箇所で火事を起こすのだ。

先生が「正面の光の短冊を見てください」と言うのに素直に従う。次に「左側のやや下を見て」と言われ、眼球を動かす。プリズムのお化けが接着されているので、目が重い。そこに、光の爆発がやってきた。

瞳は薬で全開、瞼はプリズムのお化けで閉じられない。頭は看護師にがっちりと押さえ込まれていて身動きならない。これがあと200回も続くのかと思ったら、気が遠くなってきた。いや、両目やるので400回だ。

正確な意味では、痛みはない。ただそれは、痛みを感じる神経がないか、痛みに相当する信号が伝わらないかであって、実際は激しいダメージを受けている。自分が大地になって、爆撃を受けていると言えば伝わるだろうか。前回の記載で「絨毯爆撃」という表現を使ったが、偶然ながら言い得て妙だった。

どんな感じなのかを言葉で伝えるには限界があるので、拙い技ながらPhotoShopでお絵描きをしてみた。すでに何回もレーザー攻撃を受けたあとの雰囲気だ。

何回かレーザー照射を受けた後の視覚

光の爆発に晒されているので、すでに視力は失われている。視野はマゼンタのどろどろした闇。そこに次のレーザーがやってくる瞬間と思ってもらいたい。

レーザー光が照射された瞬間のイメージ

レーザーが来た。光の爆発だ。眼球全体がきしむ感じがする。目玉を裏から素手で捕まれている感覚。痛くはないが、苦しい。耐えられないほどではないが、喜んで受けたくはない刺激だ。

照射された後はなぜかマゼンタの視界になる

光は一瞬なので、次の瞬間はこんな感じ。とにかくマゼンタ一色だ。なぜこの色なのだろう。血の色とも少し違う。もっと時間が経つと濃い緑と濃紺をまぜた闇になるのだが、慣れないお絵描きで疲れたため省略。

右目を207発、左目を203発灼いた。数えていたのではない。先生が教えてくれたのだ。灼かれている最中、先生がクシャナ殿下に、レーザー装置が巨神兵に思えてきた。「焼き払え!」と。そうなると、我が網膜は腐海か。

手術が終わると、魂を抜かれたようにぐったりした。難しいことが何も考えられない。いつも難しいことを考えているわけではないのだが。抜け殻のように事務所に戻り、目を休めるためにヘッドホンでCDを聞きながら横になった。いつの間にか眠っていた。

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