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雑誌を作っていたころ089

針のむしろ

ネットブックが取材で大活躍していた時代の話だが、後にも先にもこんな大失態はないだろうと思われる事件を起こしてしまった。
あるPR誌(エイサーでもテルミーでもない)で広島、尾道の客先を取材するために、月曜日東京駅6時発の「のぞみ1号」で出発することとなった。担当の女性社員は同じ列車の別の車両に乗って、広島駅で落ち合うことになっていた。

実はこれが伏線だった。それまで、雑誌や書籍の取材は必ず担当者やカメラマンと同じ車両の隣り合った席に同乗して、打ち合わせや業界のよもやま話に花を咲かせるのが通例だった。だがこの雑誌の取材は別の車両での同行だ。プライバシーを重視しているのかなと思ったが、あまり気にも留めなかった。

当該列車に乗るためには、4時半に起きて5時すぎに事務所を出るスケジュールとなる。前日遅くまで、取材準備に没頭した。その内容は、こんな感じだ。
・ネットブックにインタビュー用のファイルを用意(2社分)
・デジタル一眼レフカメラのバッテリーを予備ともども充電
・デジタル録音機の乾電池を新しいものに交換
・ブリーフケースとカメラバッグの中身を点検
・取材資料をクリアファイルに整理してブリーフケースに入れる
・筆記用具を点検

6時発の「のぞみ1号」には余裕で乗れた。同行する担当者ともメールで連絡が取れた。あとは広島で下車し、呉線に乗り換えればいいだけだった。広島到着は9時47分の予定だった。
…なのに、車内で目が覚めたら10時を過ぎている!
……。
……。

虚脱状態から我に返り、携帯を見る。メールと留守電がどっさり入っている。
その瞬間から「針のむしろ」の1日が始まった。

その前に、少し時計の針を巻き戻そう。
「のぞみ1号」はN700系だった。朝一番の博多行きなので、折り返しではなく車庫から出てきた車両だ。だから東京駅に入線してくると、すぐに乗り込むことができる。発車までかなりの時間があったので、席で朝飯を食うことにした。品川に着く前に、たいらげた。

新横浜に着くころに眠くなった。普通の反応だ。逆らわずに目を閉じた。名古屋と京都は覚えていない。かろうじて新大阪に到着した記憶がある。次に目が覚めたら岡山だった。あと1駅。もう起きていよう。そう思った。
だが、トンネルに入った途端に「魔」が襲ってきた。何も考える間もなく、意識がなくなったのだ。

そして、目が覚めたら10時を回っていた。そういえば、夢の中では新幹線が激しい蛇行動を起こしていた。アクティブサスペンションのN700系にかぎって、そんなことがあるはずはないのだが、今にも脱線しそうに揺れていた。あれは何だったのか。「起きなければならない」という意識のあらわれか。それとも携帯電話のバイブレーションが引き起こした夢魔なのか。
「のぞみ1号」は無情にも次の停車駅である小倉をめざして、ひた走っている。

「のぞみ1号」が小倉駅に到着したのは10時33分。ホームに降り立ち、メール送信や電話連絡を矢継ぎ早に行う。山陽新幹線はトンネルだらけなので、車中では携帯電話が使い物にならなかったのだ。

取材先に向かっている担当者には、小倉から折り返すこと、東広島に向かうことをメールで連絡する。この時点で午前中の取材はあきらめていた。とりあえず午後の取材だけ予定通りにこなし、午前中の取材を夕方か翌日に回すことを考えたのだった。へたに順番通りにこなそうとすると、総崩れになってしまう恐れがあるからだ。

小倉からの折り返しは10時47分発の「のぞみ20号」。飛び乗りだから指定席を取っているひまがない。当然のように1号車から3号車までの自由席に乗り込むが、満席。デッキに立ち、携帯電話を握りしめて先の予定を考える。

「あってはならないこと」を起こしてしまったわけだが、起きたことをくよくよ考えても一文の得にもならない。怒られるのは覚悟の上だし、相応のペナルティーも発生するだろうが、今はただ事態をどう収集するかだけである。クライアントだって仕事をどうまとめるかが最優先事項だろう。間抜けなライターを打ち首にするのは、いつでもできるのだから。
広島到着は11時36分。たった14分間の「九州滞在」だった。

広島駅に到着する直前、クライアントの課長から電話が入った。
「広島に着いたら、すぐ呉線で矢野駅に向かい、そこからタクシーで取材先に直行すること。取材は終わっているので、タクシーを待たせておき、撮影だけ済ませて東広島駅に向かうこと。そうすれば本来のスケジュールに戻せるか、悪くても30分遅れまで追いつくことができる」

まことに的確な指示である。「課長は、ロッキングチェア・ディテクティブなのだな」と不遜な感想を思いついてしまう。
11時37分に広島に着けば、11時39分のの呉線広行きに間に合う。しかし運命はまたしても過酷だった。「のぞみ20号」は博多駅を出る時点ですでに4分遅れ。広島到着は11時40分だったのだ。
仕方がないので次の11時59分発「快速安芸路ライナー」に乗る。懐かしい103系低運転台の4両編成が入ってきた。

矢野駅到着は12時9分。すぐにタクシー乗り場に急ぐ。
取材先は東広島市の山の中。どう説明すれば行ってもらえるかと心配だった。しかし運転手氏に住所を告げると「ああ、さっきお姉さんを乗せていった場所だ」と。なんと先行した担当者が乗ったタクシーだったのだ。
「よし! ツキが戻った」と手のひらをグーにする。手から離れてしまった命綱が、偶然の助けを借りて再び掌中に帰ってきた気がした。

「あんた、新幹線で寝過ごしたんだって?」
タクシーの運転手氏はすでに事情を知っていた。担当者が携帯電話をかけまくっていたのを耳にしていたのだろう。まあしかし、事実だから仕方がない。
「そうなんですよ。岡山で一度目が覚めたんだけど」
「あと少しで寝るのって、気持ちいいよね」
気さくな運転手氏の言葉が、ささくれ立っている気持ちをほぐしてくれる。

山の中を走ること30分。タクシーはめざす取材先に到着した。近くのコンビニで待っていた担当者も合流。すぐにカメラを取り出して撮影体制に入る。
取材先の社長は開口一番、「目が覚めたか?」。きつい一撃である。だが、針のむしろに座らされている身としては、怒りを露わにしてもらった方が気が楽だ。ひたすら謝ればいいのだから。

5分で撮影を済ませ、東広島駅へ。13時20分発の「こだま642号」に間に合えば、元のスケジュールに乗る。つまり、次の取材が予定通りに行えるわけだ。
運転手氏はみごとにわれらの期待に応え、東広島駅に13時10分にすべりこんでくれた。やがて、4両編成の100系こだまが入線し、取材旅行は当初の予定通りにすすめられた。
だが、もちろんこれで一件落着ということにはならない。

午後の取材はほぼ満点の出来。世の中、えてしてそういうものなのである。
だが、午後がうまくいったからといって、午前の不祥事を帳消しにできるものではない。

案の定、発注元からは「東京に帰ったら、すぐ出頭しなさい」との命令が。
そりゃそうだろう。きっとクライアントから大目玉を食らっただろうから。クビなのか、ノーギャラなのか、市中引き回しの上獄門なのか。
とはいえ、心配しても仕方がない。起きてしまったことは事実だし、できることは全部やったのだから、ここは腹をくくるしかない。

そう思って、帰りの「のぞみ38号」ではやけくそで爆睡した。やっとありつけた昼飯の「牛松茸弁当」が効いたのかもしれない。

どのくらい寝たのだろう。「もしもし、お客さん」の声で目が覚めた。見ると車掌が心配そうな顔をしている。検札は乗ったときに済んでいるのに、何の用だろう。
「お客さん、うなされていましたが、大丈夫ですか?」
ありゃー、やけくその爆睡のつもりだったが、潜在意識は騙せなかったようだ。まだまだ小さい自分を恥じながら、東京駅までの残り時間を読書で過ごした。

発注者のところに顔を出し、「本日は申し訳ありませんでした」と謝る。
予想通りクライアントの課長から大目玉を食らったらしい。先日の原稿でも、第1稿で滅茶苦茶に怒られてしまったから、2度続いて「考えられないポカ」をしでかしたことになる。原稿では気を入れて全面的に書き直した第2稿がすんなり通ったのだが、今回のポカはフォローのしようがない。

それにしても、身を挺してかばってくれた発注者には頭が下がる。クライアントの怒りを増幅して伝えてくるような発注者が最近は多くなったが、こういう人の下で働くのは、職人冥利に尽きるといえる。
いくつかペナルティーはついたが、それは当然の流れだろう。まずは今回の取材原稿を迅速に、しかもクライアントの気に入るような出来で仕上げなければならない。針のむしろの後始末は、軽くはないのだ。

教訓1。寝過ごすことが許されない日の前日は、温泉でまったりしないこと。日曜の夜に息子と温泉の銭湯に入ったのが今回の遠因だったと思う。しかも、さっさと寝なかったのがそれを助長した。なかなか寝ない悪いクセを直さねば。

教訓2。「あと少し」と甘えないこと。目的地が近づいたら、支度をしてデッキで待機するようにしよう。30分くらい立っていても、準備運動だと思えば軽いものだ。

教訓3。大ミスをしでかしたときは、なるべくオープンにして恥をさらし、忘れないように努めること。まわりも警戒してくれるだろう。だからこの手記を書いたのだ。

ところで、本当の「針のむしろ」は、ひとことも恨み言を口にしない担当者との気詰まりな時間だった。一番大変な目にあったのはこの人なのに、と思うと言葉がない。
彼女は帰りの新幹線車中で、孤独な取材の内容をすべてメモにしてくれた。発注者のもとから事務所に帰ってみると、そのファイルがメールで送られてきていた。この人に対するフォローが、後始末の最初だなと思った。

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