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雑誌を作っていたころ062

黒子が表に出た日

「開業マガジン」の制作で悪戦苦闘していたある日、妙な電話がかかってきた。
「NHKのディレクターをしている吉村といいますが……」

 彼女は教育テレビのディレクターで、「にんげんゆうゆう」という番組を担当していた。この番組はひとつのテーマで1週間のシリーズを構成するものだが、近々「不良中年」をテーマにするのだという。その中心人物として、わが師の嵐山光三郎が選ばれたのだが、その中で「不良中年の独立」という話題で1日分を作りたいというのだ。

 嵐山師は「それなら山崎という舎弟がいるから、そいつに協力させろ」と指示したらしい。持つべきものは有力な師である。

 さっそく吉村女史に、いろいろな材料を提供し、取材候補者のリストも渡した。そして話し合いを進めるうちに、事態は思わぬ展開を見せた。「山崎さんがスタジオに来て、しゃべってください」と。

 ぼくがテレビに出たのは、幼稚園のお遊戯会が取材された時と、「笑っていいとも増刊号」で嵐山編集長の悪口を言った時だけだ。それが45分間スタジオでアナウンサーを相手にしゃべるだなんて、話を聞いただけで気が遠くなりそうだった。

 しかし、ぼくの心のどこかに「出たがり」「出しゃばり」の部分があるのだろう。自信もないのにOKしてしまい、僭越にも吉村女史の書いた台本に手を加えたりしていた。

 収録当日、一張羅のスーツを着て、NHKに出かけた。今まで取材のためにNHKに出入りしたことは何度もあるが、「出演者」として入ったのは当然ながら初めてだ。そして、生まれて初めて「お化粧」までさせられた。

 NHKの番組づくりは面白い。録画なのに、生放送と同じ要領でやるのだ。録画なのだから、編集で時間を合わせればいいじゃないかと思うが、それだと臨場感に欠けるのだそうだ。だから変なアドリブを入れたり、急に早口でしゃべったりするとおかしなことになる。

 リハーサルでは、5秒余計にかかった。そうなると、生来の天の邪鬼が顔を出し、本番ではぴったりにしてやろうと思ってしまう。生まれて初めて番組に出演し、出ずっぱりのメインゲストで心臓バクバクのくせに、大それたことを考えたものだ。だがしかし、こけの一念が通ったのか、蟷螂の斧が有効打になったのか、本番収録は時間ぴったりで終わった。

 お化粧を落としてもらい、受け取ったタクシー券で事務所に帰ると、どっと疲れが出てきた。トイレに入ると、猛烈な下痢ぴー。本人は平常心でいたつもりでも、体は正直だ。ものすごく緊張していたのだ。

 この番組は0.3%という視聴率の割にはよく見られた。いろいろな知り合いから「見たぞ」と電話がかかってくる。うちの親のところにも「あんたの息子がテレビに出ていたよ」と知り合いから連絡があったそうだ。ネット上の知人にも、偶然この番組を見た人がずいぶんいる。

 そして、黒子が表に出た余波は、意外なところに表れた。奈良商工会から講演の依頼が舞い込んだのだ。番組を見ていた人が、「次の講演はこの人で」と指名してくれたらしい。それがそれから数年間に数十回、全国を股にかけての講演行脚につながった。

 さらに、自分に妙な自信がついた。「開業マガジン」で連載の署名原稿を始める気になったのは、この番組出演が契機といえる。あらゆることが、この番組をきっかけに変わっていった。

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