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アルファベットとロード・ゴッド

前回表音文字は「古代エジプトのヒエログリフから生み出された表記法」であると書きました。
ヒエログリフ(聖刻文字)は表語的な部分と表音的な部分を合わせ持つ、複雑で完成度の高い文字体系でしたが、神々とつながるための神聖な文字とされ、学習できるのは神官などのエリート層に限定されていました。
そうした中、B.C.18世紀頃のエジプトで労働者として働いていたセム系部族の人々は、ヒエログリフのうちの音素機能だけを抜き出した簡素な子音文字体系(アブジャド)である原カナン文字を使うようになり、これが後にフェニキア文字と呼ばれる文字システムになりました。
わずか22個の字母から構成されるフェニキア文字は、海上交易を通して地中海世界全域に広まり、アラム文字やヘブライ文字、アラビア文字、ギリシャ文字、ラテン文字など、ヨーロッパからアジアにまたがる表音文字体系(アブギダ/アルファベット)を生み出しますが、それが後々のヒトの世に巨大な影響力を及ぼす出来事の誘因になるとは、当時の人々は想像もしていなかったことでしょう。
このセム人の簡易文字は、単に象徴的文字文化を記号的文字文化に変化させただけでなく、人類の精神史上最大の発明を生み出しました。
一神教monotheismとその神Lord Godです。
 
人類最初の一神教は、B.C.14世紀エジプトのファラオ、アメンホテプ4世が、日輪の神アテンと出逢ったことから始まりました。
アテン神の聖なる姿を観、その言葉を聞いた彼は、当時エジプトの筆頭神だったアメン神や他の神々に対する伝統的祭祀を一切停止することとし、アテン神こそが宇宙の唯一無二の神であると宣言しました。
自らの名前をアクエンアテン(アテンに使える者)と改名した上で、王朝発祥の地テーベから300km離れた砂漠の地(アマルナ)に新しい首都を建設し、「日輪の地平」を意味するアケトアテンと名付けました。
この人類初の宗教改革は「アマルナ革命」と呼ばれますが、アクエンアテンの死によって、わずか10年ほどで終焉することとなります。
アクエンアテンの子トゥトゥアンクアテン(アテンの生ける像)は、父のアテン信仰を全て葬り去り、伝統的アメン信仰を復活させて、自らの名前もトゥトゥアンクアメン(アメンの生ける像)へと改名しました。
現代の世において最も名の知られているエジプトのファラオ、ツタンカーメンその人です。
 
アクエンアテンによる唯一神の概念は、エジプトの歴史上なかったものとされ、記録からも抹消されてしまいましたが、この地で働いていたセム人労働者たちのこころの奥底には、密かな灯し火として燃え続けていたようです。
『Exodus 出エジプト記』によれば、自らをイスラエル人と呼ぶ彼らは、B.C.13世紀頃預言者モーセに率いられてエジプトを脱出し、聖なる山(シナイ山?)に顕現したYHWH(ヤハウェ)神と契約を結び、その内容が刻まれた「十戒」を授かったとされています。
壮年男性だけで60万人にも及ぶとされるイスラエル人によるこの集団脱走は、エジプトの史書には記載がなく、ユダヤ教の聖書(タナハ)以外には一切記録や痕跡が見られないのですが、彼らが子音4文字で表される神の名とともに、一神教的信仰をエジプトから持ち出したというこの聖書の物語は、表音文字と唯一神との関係を示唆しているものであると言えるでしょう。
 
エジプトから脱出したイスラエル人たちは、40年間の放浪の末にカナンの地に辿り着き、先住民を制圧して古代イスラエル王国を建国しましたが、すぐ南北2つの国に分裂します。
その後、北のイスラエル王国はB.C.8世紀にアッシリアに滅ぼされて離散し、南のユダ王国もB.C.6世紀には新バビロニアの王ネブカドネザルによって滅ぼされ、国民は国王ともどもバビロンに連行されて捕囚(Exile エグザイル)となり、彼らはユダ国の遺民としてユダヤ人と呼ばれるようになりました。
B.C.539年、新バビロニア王国がアケメネス朝ペルシャのキュロス王によって倒され、ユダヤの民は50年近く続いたバビロン捕囚から解放されました。
彼らはペルシャ人の宗教であったゾロアスター教から教義や祭儀、神話や伝説などを全面的に借用してトーラー(律法=モーセ五書)としてまとめ、モーセが契約を結んだYHWHはユダヤ民族だけでなく全人類唯一の神であるとする、一神教としてのユダヤ教がここに成立します。
 
B.C.10世紀ごろ古代ペルシャで誕生したゾロアスター教は、人類初の世界宗教として広く信仰され、ユダヤ教をはじめその後各地に生まれ出た諸々の宗教の源流や母体となりました。
アーリア人のマギ(祭司)だったザラスシュトラは、目の前に現れた「最初にして最後の神」アフラ・マズダーから啓示を受けてそれを書き留め、歴史上最初の預言者となりゾロアスター教を創設しました。
この宇宙は善神と悪神との戦いの場であり、救世主サオシュヤントの登場と最後の審判によって全人類の善悪が判定されるとするゾロアスター教の世界観は、「一神教的二元論」とも言われ、ユダヤ教にもほぼそのままの形で採用されています。
古代ペルシャ人が使っていた古代ペルシア楔形文字は36文字からなる音素文字(アルファベット)で、見た目はメソポタミアの楔形文字そっくりですが、その構成や機能はユダヤ人のヘブライ文字と共通しており、フェニキア文字をそのルーツとしています。
おそらく当時のユダヤ人たちにとって、ゾロアスター教はとても理解しやすい教えであり、至極馴染みやすい表現体系で書かれていたのでしょう。
 
表音文字では限られた数の文字を使って、ありとあらゆる言葉を表現します。
逆に言えば、口から出た言葉の発音そのままを表現できるのが表音文字です。
漢字のような表語文字は概念そのものを表すのは得意ですが、その発音を表現することができません。
表語文字文化圏では、山の神や海の神、美の神や知恵の神など、多種多様な神々の概念が並立する多神教的世界観が生まれますが、全知全能で完全な存在が発する言葉を文字によって記すことはできず、人智を超えた絶対神はその託宣を書き残されることがありません。
ところが表音文字を使えば、どんなに理解不能な神の言葉でも、聞いたままスラスラと記録できてしまいます。
神の顕現と啓示によって起こる一神教の成立に表音文字の存在が不可欠なのはこのためです。
 
人類初の一神教が生まれたエジプトでは、表音機能を合わせ持つ表語文字体系ヒエログリフがありましたが、神の御言葉そのままを臣民に浸透させるには至らず、唯一神の概念は破棄されました。
一方セム系文字から表音文字体系を取り入れた、インド・ヨーロッパ語族であるペルシャ人は、二元論的一神教のゾロアスター教を中東地域の標準宗教として一般化させました。
さらにこの両者から学んだユダヤ人は、ストリクトな一神教であるユダヤ教を作り上げ、ここからキリスト教とイスラム教という現代の二大一神教が生み出されることになります。
そして見渡してみれば、一神教の神(ロード・ゴッド)が広まった地域はどこも、それ以前に表音文字の使用を受け入れていた国々だったのです。

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