ゼロ・マージナルコスト・エコノミー
暗黒の木曜日1929年10月24日に起こったニューヨーク株式市場大暴落の直前、ジョン・メイナード・ケインズはケンブリッジ大学で「孫たちの経済的可能性」というテーマで講演をしました。
そして世界恐慌真只中の1930年、この孫たちの時代についての経済的予言を小論として発表しています。
「生活水準は100年後には、現在の4倍から8倍も高くなっている」
「経済問題は100年以内に解決する」
技術的効率性が年2%の複利で高まれば、世界の資本は100年で7.5倍に増え、農業・鉱業・製造業などのあらゆる作業は、現在の1/4以下の人間労働でこなせるようになって、これまで人類にとって最も火急の問題だった「経済問題=生存のための闘争」は無くなるというのです。
逆に労働の使用を節約する手段の発見が、その労働の新しい使途を見つけるよりも速く起こるために、「技術失業」という新たな問題が起こるだろうとも予言しました。
人類は、科学と複利計算がもたらす余暇をどう使うか、という永続的な問題に直面することになり、一日3時間週15時間やるべき仕事を見つけ出すことで、この問題を先送りにするだろうといいます。
1930年からの100年間で経済規模が4倍から8倍になるというケインズの1番目の予想は、世界の多くの国々で実現しました。
日本では1950年から1990年までの50年間で、一人当たりGDPが9.7倍にもなっています。
ところが2番目の予想については、2020年代の今になっても、経済問題が無くなるどころか、所得格差は開く一方で、大多数の人々が「生存のための闘争」に明け暮れています。
朝から晩まで仕事に追われている一般庶民にとって、週15時間労働で食べていくなど夢のまた夢です。
はたしてケインズの予言は大外れだったのでしょうか?
ケインズ研究の権威ロバート・スキデルスキーは「そうだ」と言います。
ケインズは人々の「必要」と「欲望」を区別しなかったために間違えたのだ、とスキデルスキーは説明しています。
「ケインズは、資本主義が欲望創出の新たな原動力となり、習慣や良識による伝統的な抑制が働かなくなることを予測できなかった」
のだと著書『じゅうぶん豊かで貧しい社会』の中で言い、
「資本主義は富の創出に関しては途方もない成果を収めたが、その富の賢い活用という点では、私たちは無能なままだ」
と指摘しています。
一方人類学者でアナキスト・アクティヴィストのデヴィッド・グレーバーは「そうではない」と言います。
「20世紀を通じて生産に関わる仕事はすっかり自動化され、テクノロジーの観点からすればケインズの予想は完全に達成された」
とウェブマガジン『ストライキ!』で宣言し、
「しかしテクノロジーはむしろわたしたちをよりいっそう働かせるために活用され、膨大な数の人間が、本当は必要ないと内心考えている業務(ブルシットジョブ)の遂行に、その就業時間のほとんどを費やしている」
と、その著書『ブルシットジョブ』で述べています。
経済社会理論家のジェレミー・リフキンは、情報技術が「無料で、瞬間的に、完璧な」コピーとして財やサービスの生産を可能にする、「マージナルコスト(限界費用)ゼロ」の経済が急速に拡大していくと予測しています。
IoTが地球上のあらゆる機械や企業、住宅、乗り物などをつなげるインテリジェント・ネットワークのプラットフォームとなり、3Dプリンティングによる生産の限界費用は限りなくゼロに近づいて、誰もが資本の所有者としてプロシューマーになると言います。
そして現代資本主義のダイナミズムの源泉は希少性による交換価値あるため、限界費用がゼロに近づき価格が無料になれば、資本主義体制そのものが周落するだろうと予言し、この大きな変革を第3次産業革命と位置付けています。
第1次産業革命では、蒸気機関を推進力とする汎用メガテクノロジー・プラットフォームが生まれ、奴隷労働と農奴労働に終止符を打ちました。
第2次産業革命では、石油を軸とするコミュニケーション/エネルギー/輸送の複合プラットフォームが資本の集中を促進させ、農業と手工業労働を大幅に縮小させました。
そして第3次産業革命では、第1次・第2次プラットフォームが断ち切った地球上の生態学的相互依存関係をIoTが再構築し、製造業やサービス業の大勢の賃金労働者を消滅させようとしています。
希少性でなく潤沢さを中心とした共有型経済では、インテリジェント・テクノロジーが労働の大半を担い、長期的には少数の管理者と専門職だけが経済活動を賄うようになると、リフキンは『限界費用ゼロ社会』で述べています。
しかし短期的には、世界規模のIoTインフラ構築のため、大量の時間労働者と給与労働者の需要が高まりを見せるだろうとも言います。
既存の建築物を、再生可能エネルギーを生み出すための施設に造り変え、水素という形で貯蔵したエネルギーをスマートグリッドで配給して炭素排出ゼロの電気自動車に供給するという、再生可能エネルギーのインフラを整備するだけでも大量の働き手と数十年という時を要するでしょう。
「限界費用ゼロ社会への移行において、日本は最大の不確定要素だ」とリフキンは指摘します。
日本は先進国の中で、再生可能エネルギー源(太陽光・風・地熱)を最も豊富に有し、デジタル・パラダイムシフトにおいて圧倒的優位に立てる潜在能力があるにもかかわらず、一握りの垂直統合型電力企業が途方もない影響力を奮っており、原子力発電の断念を頑として拒み、化石燃料に執着し続けています。
もし日本が今すぐに方向転換したとしたら、新しい世界の牽引役となり得、限界費用ゼロの社会の実現は十数年早まるに違いありません。
ケインズの予言は、あくまでも資本主義経済体制というパラダイム内においての予測であって、パラダイムそのものが転換することは、想定外だったのだと思います。
「複利的な成長が永久に続く」という概念自体が資本主義そのものを表し、その限界こそが新たなパラダイムを必要としているのです。
過去1世紀半に2度も社会的パラダイム転換を成功実現させた日本は、今一度その強みを発揮して、世界に手本を見せるべき時なのではないでしょうか。
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