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愛の先にある言葉をまだみつけれないでいる

偶像としてのアイドルが好きだ。苦しさも辛さも微塵にもださずにステージに立ち、一身に光を受けるアイドルという存在がどうしようもなく好きだ。半径5メートルくらいにある嫌なことを全部吹っ飛ばしてくれる。明日にちょっとだけ希望をみせてくれるし、希望なんて、そんなものなくてもいいんだとも言ってくれる。

7年くらい夢を見せてくれている「うたの☆プリンスさまっ♪」が今日で10周年を迎えて、人はこんなにもおだやかな気持ちになれるのか、と驚いている。日付を超えた瞬間も、朝起きた瞬間も、そして今日を終えようとするいまも、優しい気持ちに満ちているから不思議。もっといつものようにギャーギャーお祭りさわぎになると思ったし、そんなあらゆる感情を通り越して「愛」なんてタイトルをつけてエモさたっぷりに文章を書いている自分に若干のキモさも感じている。

でも、本当にうたプリに出会って「言葉が足りない」と何度泣いたかはわからない。少なくともライブのたびに泣いていると思う。
アイドルとしての彼らが好きだ。でも彼らに「恋」なんて感情抱いてもいないし、それでいて「愛」なんてひどく安っぽく感じてしまう。そもそも「恋」の上位互換が「愛」なのか、それでいいのかと疑問に思ってしまうところもある。

でも確かにそこに愛はある。ステージに、曲に、ひとつひとつに彼らの愛を感じずにはいられない。その全てを「愛」なんてひどく曖昧でちっぽけな言葉だけにとどめるには、あまりにたくさんの感情をもらいすぎている。アイドルとファンを結ぶ、この奇妙な関係から生まれる感情に愛よりももっとふさわしい言葉がないだろうか。
こうなってくると「言葉が足りない」ということに悔しささえ感じてくる。「うたプリの良さ」を人に話そうとするたびに「幸せの限界値をゆうに超えてくる」「地球と宇宙に感謝したくなる」とか宗教勧誘みたいな言葉しか出てこない自分がはがゆい。はたから見たら相当怖い。けど、今、冷静になってる気でいる自分もやっぱり十分に怖い。

もっと普遍的に誰もがストンと腑に落ちるような愛に似た言葉があったらいいのになと思う。でも、だから彼らは何度だって歌ってくれるのも知っている。言葉だけじゃ足りないから、だから、愛を歌ってくれている。愛を言葉にするのと、愛を歌うのは似ているようで全然違う。言葉で済むならそれをのせる曲なんていらないと思う。言葉の限界を越えるのが音楽で、それをまっすぐにファンに届けてくれる。たくさんの想いを音に変えて、愛を歌う彼らがたまらなく好きだ。

愛の先に、愛を越える言葉をみつけることができるだろうか。いつか誰かに伝えるわかりやすい綺麗な言葉がみつかるといい。それでもその度に、彼らは音楽で遥か先へと超えてくるんだろうな。これまでも、これからも変わらない愛を歌い続けるうたプリがずっとずっと続きますように。

「うたの☆プリンスさまっ♪」10周年おめでとうございます。

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