“読み、考える”ことの重要性
ゼミ生(ごく数人ではあるけどw)が、「毎週ブログで振り返り」を実践してくれてるので、やはり私も書かねば(笑)
2019年5月30日のゼミは、「佐藤郁哉『フィールドワークの技法』第1章〜第3章をワールドカフェスタイルで読み、議論し、理解を深める」の報告&全体討議。そこで見ていて感じたことなどを書きとめておきます。
だいたいはゼミでは言うてます。が、そこらへん記憶がなくなりつつあるので、当座で言うてないことも書いてるかもです(笑)
“読み、考える”のは“要約する”ことではない。
ここらへんは、なかなか体感的にわかりにくいところです。ついつい、手際よくまとめる方向に進んでしまうのは、自分も含めて「やりがち」なパターン。
けれども、大事なのは「読んで、生じた問いから考える」こと。「え、これどういうこと?」「なんで、こんなこと言うてるの?」「そもそも、これどういう意味?」などなど。
これは、「手際よくまとめる」という行為と実は真逆なのです。むしろ、取っ散らかってもいいくらいで。問題やと思ったことを配置して、マッピングするってのも一つの方法。これは、今回のゼミで伝え忘れてた。
って考えると、昨年の7月にやった面的思考ワークショップは、すごく大きな意義を持ってくるかもです。
ともあれ、「文献を読む」という際に、虚心坦懐に読み、そこから知識を得るという姿勢も大事ではあるけど、もっと大事なのは「読み手自らが抱いている問題に照らしつつ、著者が述べていることを著者の文脈に即して読む」という点になってきます。そうすると、読み手自身と著者との、あるいは文献との〈対話〉が生まれるわけです。
これができるようになるかどうか。私自身としては、学部レベルで必ず身につけてほしいと願っている姿勢の一つです。
ideaを外化することこそが、協同的な学びの第一歩。
ideaというのは、問いも含めて「頭のなかに思い浮かんだこと」のすべてをここではさしています。
「日本の良さ」としてしばしば挙げられる“以心伝心”というのは、たしかに良い面もありますが、私は同時に懐疑的でもあります。なぜなら、以心伝心というのは、ややもすると、まことに得手勝手な自己中心的姿勢でもあるからです。
どういうことか。
それは「言わんでも、わかるやろ。察してや。そして、その意を汲んで、俺の願うとおりにしてや」という意味合いを含んでいるからです。そりゃ、日常の友人関係であれば、それでいいでしょう。全部いちいち説明するとなると、これは大変です。それが成り立つのがGemeinschaftです。
しかし、何かを一緒にやる(議論も含めて)とき、そこにあるのはGesellschaftです。
GesellschaftとGemeinschaftは完全に分離して存在するわけではありません。むしろ、混淆的に併在しているとみるべきでしょう。Gesellschaftの場合は、それぞれの立場や利害の相違が問題となりえます。そうなると、ここでの“以心伝心”は時に暴力的な色彩さえ帯びうるのです。
それを回避するためにも、ideaを外化し、伝えることが大事になります。どうやったら、相手によりよく理解してもらえるか、それを考えながら外化する必要があるわけです。
私はドイツの社会学者、ニクラス・ルーマン(Luhmann, N.)の考え方にかなり依拠しているので、意思疎通におけるダブル・コンティンジェンシーをベースにコミュニケーションを考えています。めちゃくちゃ雑に言えば、コミュニケーションにおいては、相互にズレが生じうるということ、しかしそのまま双方においてコミュニケーションが続くこともありうるという事態です。これを完全に解決することはできません。しかし、それを意識することは重要な意味を持ちます。
たしかに、ideaを外化する際に、さっとできる人、時間がかかる人、アピールに長けている人、そうでない人などがいます。そこを踏まえると、自身で伝わるような外化を心がけるのはもちろんながら、相手の文脈に即して酌み取ろうとする姿勢も必要になります。
ゼミで飲み会やら何やら、イベントがたくさんあるのは、単に遊びたいからだけではありません。自然と上に述べたようなことができるようになる場として、私は捉えています。だから、アルコールが飲めなくてもいいのです。
noteをはじめとして、ブログを書いてねっていうてるのも、まさにそのためです。外化はトレーニングしなければ、絶対にできるようにはなりません。まだnoteを立ち上げたのが23人中の4人てのがアレですが(´・_・`)
再論、あるいは再々論かもやけど、なぜPJをやるのかについて。理論的な視座を身につけることの大事さ。
今回のゼミは、このあと今後やっていくこととかの説明やら、諸々の打ち合わせやらをしました。
6月20日のゼミでは、今回と同様のワールドカフェスタイルでベルガンティの『突破するデザイン』を読み、討議をやることにしました。
今回のプロジェクトでは、UXデザインの考え方や方法と意味のイノベーション(意味デザイン)のアプローチも摂り入れたいと考えてます。
これはアプローチの優劣を問うためではありません。むしろ、相互補完的である状況もありうると思っています。
たとえば、今年もプロジェクトでご一緒させていただく木村石鹸工業の木村祥一郎さん。
このツイートだけでは伝わらないかもですが、木村さんは、心理的安全性やgemeinschaftlichな関係性をうまく方向づけつつ、従業員一人ひとりの自律性、もっと言えばMitunternehmertum / Co-Entrepreneurshipを発揮できるようにすることに全力を注いでおられる、と、私は認識してます。
今月末の学会報告のスライド、まだできてないんですが、Entrepreneurship×Designを考える際、一人ひとりが価値循環の全体像を描けるようになることがポイントになるんじゃないかと考えてます。そして、その基点になるのが、「意味をデザインする」ことであり、全体像のイメージとしての感性的な眺望(ästhetische Perspektive)の提示であろうという見立てです。
これを学部レベルでできるようになるかどうかはわかりませんが、そういう姿勢を身につけてほしいなという願いはあります。
だって、それって楽しいから(笑)
そのための手がかりの一つとなるのが、ベルガンティの〈意味のイノベーション〉かなと考えてます。なので、これをメンバー全員で読んでみよう、と。
ゼミは、メンバーが学ぶだけでなく、私も学ぶ場なのです(笑)
盛りだくさんすぎて、時間が足りない(笑)
7月上旬には2日連続で、常葉大学の安武伸朗先生が主宰されているInput-Output Lab.(前名:未来デザイン研究会)と合同で「夏のLT&WS祭り」をやるほか、まだ公開できませんが、6月末にオープンゼミを兼ねて、ちょっとおもしろい試みをしてみようかと予定してます。
ただ、やるということばかりに気がいきすぎて抽象化やリフレクションがおろそかにならないように、そのための時間も取りたいと思います。
そして、どんだけ忙しくても毎月の飲み会も(笑)
来週は何をしようかな(笑)
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