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言語がはらむ文化の多層性:『ヨーロッパ学入門』摘読(1)IV「ヨーロッパの言語」

文化の読書会、前回、山本浩司先生をお招きしてブローデル『地中海世界』中締めの議論会。ひじょうにおもしろい回だった。今回からは、これを。

初めに申し上げると、私は外国語運用能力がすこぶる低い。ドイツ語の文献や英語の文献は何とか読むことができる(といっても、辞書が要る)。それ以外の言語についてはお手上げ。それに、そもそも会話となると、からっきし。

ただ、だからといって言語に関心がないのではない。むしろ逆で、関心は大いにある。

というのも、言語は生活の基層であり、生活そのものでもあるからだ。こういった考え方は、おそらく学部生時代に文芸学をめぐる論争で名前を知った時枝誠記の言語過程説の影響が少なからずあるのかもしれない。といって、時枝誠記の国語学説を私が理解できているわけではない。いろいろな問題をはらんでいるとも聞く。

にもかかわらず、言語を人間が生きるという過程(≒生活)のなかで捉えようとする姿勢は、すごく興味深いものであることは確かだ。

そう考えると、私自身がすぐに使うかどうかは別にして、自言語とは異なる言語がどういった層のうえになっているのかを考えることは、ひじょうにおもしろい。

ヨーロッパの言語の〈傘〉としてのインド・ヨーロッパ語族

地球上には三千から四千の言語があるという。それらの親縁関係、つまり歴史的な系統発生関係によって、いくつかのグループに分けることができる。これを語族という。

ヨーロッパにおいて話されている言語の大半は、インド・ヨーロッパ語族に属する。ここには、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、ペルシア語、ヒンディー語などがある。この語族に含まれないものとして、フィンランド語やエストニア語、ラップ後、ハンガリー語などがある。これらはウラル語族に含まれる。また、フランスとスペインに挟まれたバスク地方で話されているバスク語は、系統関係がよくわかっていない言語である。

英語、ドイツ語、フランス語。

英語とドイツ語は同じゲルマン語派に属しているが、フランス語はイタリア語やスペイン語などと同じく、イタリック語派に属している。それゆえフランス語は英語やドイツ語の姉妹言語ではないが、インド・ヨーロッパ語族には属しているので、従姉妹にあたる。

その点で、英語とドイツ語はきわめて近い関係にある。それを立証するのが、音声の対応関係である。たとえば、fatherとVater、footとFuß、hundredとHundertなど、すぐに類推できるものが多い。一方、フランス語はラテン語から派生した言語であり、しかもその過程でさらなる変化をしているために、英語やドイツ語との近縁関係がわかりにくくなっている。

また、音声ではなく語彙のレベルで見ると、自然や数、温度、身体、親族関係などをあらわす基礎語彙に関して言えば、より英語とドイツ語の近しさが浮かび上がる。ただ、当然ながら言語はそれぞれに発展のプロセスをたどる。それゆえに、意味や用法がずれてくることがあるのは自然なことである。

こういった言語の異同は、中世のように交通手段が十分でない時代において、地方が比較的孤立していた状況では、より鮮明であった。しかし、近世以降、交通手段が発達し、経済的な往来がさかんになって、市民階級による*近代的な中央集権的国民国家が建設されると、コミュニケーションの手段としての共通語が必要になる。それが16世紀以降のことである。

* ここの説明については、若干の留保が必要であるように思われる。というのも、16世紀ごろはまだ市民階級による近代的な国家というよりも、絶対主義にもとづく中央集権的国家が主流であったからである。ただ、その時期に国家的な言語政策が採られるようになったことは確かだろう。

言語をめぐる相互影響

言語を考えるとき、直線的な歴史経過を考えるのは適切ではない。たとえば、ヨーロッパの先住民族であるケルトの言葉、ケルト語を語源とする地名も多く残っている。また、その後に支配者となったローマ人によって命名されたケルンをはじめとする地名や、ベルリン、ライプツィヒなどのようなスラヴ語起源の地名も残されている。

さらに、中世以降のヨーロッパ諸国は古代ギリシャやローマの文化の後継者をもって任じていた。当然、文化や学術をめぐる語彙には、ギリシャ語やラテン語の影響がきわめて濃厚に映し出されている。また、キリスト教の影響も当然ながら色濃く、とりわけ名前にはキリスト教の聖人の名前をつけることがさかんに行われた。

ギリシャ語やラテン語のような、ある種の規範性を持った言語の影響だけではない。英語はもともと北ドイツに住んでいたゲルマン語派に属するゲルマン部族のうちのサクソン族、アンゲル族であった。それらの民が、ブリテン島に移住し、先住民族のケルト人の影響をうけ、さらに北欧のヴァイキングの侵入から北欧語の影響をうけることになった。加えて、フランスのノルマンディー公ウィリアムが英国の王位継承を主張して1066年に英国に侵入し、ノルマン朝を開くなど、フランスからの言語流入がきわめて顕著にみられる。

こういった関係性は、英語とドイツ語とフランス語のそれぞれの関係性において見出される。このようにみると、言語のありようを捉える際に、時間的な重なりと同時に、同時代的な空間的関係性を考えることの重要性が浮かび上がってくる。

人間は言語なしに生活することができない。そう考えると、言語がどのように用いられているのかを仔細に検討することは、社会事象の人文学的アプローチとしてきわめて有効なのではないか。個人的に、ハーバーマスはどうも好きになれないけれども、書架に入っていたこの文献をあらためて読んでみる意義はあるかもしれない。ちなみに、この本は絶版。


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