関係性において自己を定義するということ:ゼミ第11期での一コマから
見出し画像

関係性において自己を定義するということ:ゼミ第11期での一コマから

やまがたまさゆき

いちおうゼミブログもあるので、そっちに書くべきかなとも思ったんですが、個人的見解に近いんで、こっちに書きます。

昨日のゼミは、立教大学経営学部の中原淳先生の一昨日(2019年5月15日)のブログで掲げられてる2つの問いを投げかけてみました。

詳細については、ぜひブログ記事にあたってお読みいただきたく存じますが、かいつまんでいうと、以下のような内容です。

2つの問いとは、
(1)あなたは、なぜここにいるのか?
(2)わたしたちは、なぜここにいるのか?
で、それぞれさらに、以下のように細分化されます。

(1a)あなたは、なにをしたいのか?
(1b)あなたには、どんな貢献ができるのか?
(1c)このチームワークを通じて、あなたは、どのように変わりたいのか?
  
(2a)わたしたちは、何をしたいのか?
(2b)私たちが取り組む課題とは何か?
(2c)このチームワークの果てに、わたしたちは、どのようなチームでありたいのか?

ここでの「チームワーク」というのを「ゼミ活動」「プロジェクト」と置き換えて、随意のチーム(ただし、今まで一緒になってないメンバーで、っていう注文はつけました)を組んでアンカンファレンス形式でやってみました。

1つめは、自分自身のこととして考えることになるので、けっこうすぐにいろいろ出てきます。しかし、2つめはゼミと社会(PJ先など)との関係性にかかわるので、なかなか議論がうまく進んでませんでした。このあたり、ちょっとだけ方向づけしました。

やってみてわかったのですが、思った以上に「他者(プロジェクト先をはじめとする“社会”)との関係性において、自分(たち)の存在を描出 / 定義づけする」というのが、彼女ら&彼らにとって難しいんやな、と。難しいというより、イメージがわかないのかも。

メンバーのみんなが書き出した付箋や、議論で聞こえてくる内容を見聞きしてると、自分目線を超えれていないことがけっこうあって、「あー、そうなのかぁ」と感じてました。

なので、最終的に上の写真の問いに答えるイメージで考えてみてって伝えてみました。もちろんですが、「俺(←山縣)の欲しがりそうな“正解”とかじゃないから」とは念押ししてます(笑)

でもまぁ、今までそんなこと意識したこともなかったやろから、それはそれで当然かもですよね。その意味でも、やってよかったのかも。メンバーたちも盛り上がりながらやってましたし、何となく顔つきが変わっていったような気もしました(←超絶的に私の主観ですw てか、写真撮ってなかった)。

今回は報告までできなかったので、次回はワールドカフェ形式か何かを使って、共有的な議論をやってもいいかもって思ったりしてます。

中原先生がブログのなかで〈意味〉を問うことの重要性を指摘しておられますが、まさにそんな感じになりました。メンバーもけっこう深く掘り下げてたようなので、来週も楽しみです。

てなことを書いてたら、こんな記事を先ほど発見。

このなかで、大学院大学至善館の野田智義さんがポイントとしてあげておられる「問いを立てる能力の重要性」という点は、もう諸手をあげて同意です。

詳細はこれまたぜひ記事をお読みいただきたいのですが、以下などは特に。

「何のため、誰のため」を問わないビジネスや教育が、人々を疲弊させていることは、いま世の中全体的に言えることです。

偶然ではありますが、昨日のゼミで問うたのはまさにここだったので、やってみた甲斐はあったなって安堵してます。

来週の議論、書くほどの内容であれば、また書きたいと思います。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
読んでくださって感謝いっぱいです!
やまがたまさゆき
経営学(経営学史)の研究と教育にたずさわってます。能やら和歌やら、日本の古典文芸がすごく好きです。最近はサービスデザインやら、意味のデザイン / 意味のイノベーションやら、美意識をめぐる議論やら、そういうあたりに強く関心を持ってます。 抽象と具象をいったりきたりするの好きです。