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忘れた頃に、本領となるのがゼミでの経験だ:山縣ゼミ第13期修了に寄せて

例年、卒業とゼミの修了に寄せて、蕪雑ながら一文を送っています。いくらか編集したうえで、noteでご披露いたします。

※ 秘伝のタレみたいなものなので、過去のメッセージと重なる文章がありますが、これは意図的なものです。


山縣ゼミ第13期の25名へ

卒業式から丸一日経った。あらためて卒業おめでとう。みんながアルバムに寄せてくれた言葉たちをしみじみと読んでいる。

ゼミ選考そのものが、コロナ禍のなかで何とか対面でできた13th。「そろそろ、もとに戻るかな」と期待を抱いては、それが消えていくということは何度もあった。それでも、飲み会やBBQは何とかできたし、ゼミの活動そのものは、ほぼ対面でできた。けれども、やっぱりゼミ合宿ができなかったのは痛かった。

ただ、ではこの第13期が充実してなかったのかというと、全くもってそうではない。

3回生のときの価値創造デザインプロジェクト。新しいプロジェクトが2つ入ったし、もともとのプロジェクトも今までと異なるテーマで動き出したのもいくつかあった。しかも、zoomとかオンラインでやっていくなかで、意思疎通が難しい場面も少なくなかったはずだ。そのようななかで、どのプロジェクトもそれぞれに成果としてカタチを残せていた。合同ゼミでも、表彰されたかどうかは関係なく(慰めではない。本心で言うている)、研究としてそれぞれにいい知見を導き出せていた。

もうここで一つひとつのプロジェクトについて言及することはしないけれども、今こうしてこれを書きながら、それぞれを思い起こして、「あー、これがこのあとのこれにつながってるなぁ」と感じている。その意味で、この第13期の価値創造デザインプロジェクトは、企てるという意味においてentrepreneurialであり、まさに先へ向かって投影するというprojectの本義に適っていた。アントレプレナーと聞くと「起業」をイメージするかもしれないが、それだけではない。「将来、こうなったらおもしろい/楽しい/心地いいかも」というところから始まって、それを具現化していこうとするとき、それはアントレプレナーなのだ。年がら年中アントレプレナーでなくていい。ときどき、アントレプレナーになる。その姿勢は忘れずに持っていてほしい。

2022年度の卒業論文。
近畿大学経営学部のなかで、卒論が厳しいゼミであることを知ってウチのゼミに入ってきたメンバーもいれば、知らなかったメンバーもいるだろう。もしかしたら、後悔したメンバーもいるかもしれない。いや、きっといるはず。けれども、ちょっとでも自分が興味を持ったテーマについて、とことんまで探求すること、それを言語によって表現し、他者に伝えることの難しさとともに、楽しさも感じてもらえたら何より嬉しい。

厳しいことを言い続けたが、いい仕上がりになった論文、今年はけっこう多かった。論文で書いたことそのものが役に立つことは、おそらく少ない。けれども、自分なりに生じている現実を捉え、そこから問いを立て、先行する研究などを読み込み、調査分析などをして、考察し、自分なりの見解を提示するという卒論でやってきたプロセスは、みんなの意識しないところでベースになる。それだけの基礎は叩き込んだつもりだ。自信を持っていい。

はっきり言って、卒論指導は手を抜いて楽にやろうと思えば、いくらでもできる。というか、世の中のことのほぼ全ては手抜き可能である。何に力を入れるか、それも人によって異なる。それでいい。ただ、山縣ゼミを志望してくれた段階で、ほぼ全員が「学びも遊びもガチで」に魅かれた、そう面接で言うてくれる以上、いい加減なことはしたくない。その、大学でのガチ学びの一つの到達点が、個人プロジェクトである卒業論文なのだ。ゆるくやることを悪いとは言わない。しかし、そんなのはみんなにとって何の意味もないのだ。ちなみに、「こういうふうに論じていたら、もっとよりよくできたかもしれない」という思いは、何らネガティブなものではない。むしろ、完結してしまう学びのほうがダメなのだ。「学び続ける」とは、そういうことなのだ。小さな歩みでもいい。新しい世界が切り拓かれていくことを願っている。

みんなにとって「学び」とは、大学の4年間を通じて、どういうものになっただろうか。これからおそらく、望むと望まざるとにかかわらず、「学び続ける」ことが求められるようになる。これからの社会は、われわれが思っている以上に動揺するかもしれない。動揺する社会のなかで、自由であるために、そして平和に過ごすためには、さまざまな状況をよく見て、よく考えて、そして自分自身の「構え」をしなやかに整えていくより他にはない。それこそが、「学び続ける」ということなのだ。だから、学び続けるとは、単に知識を増やすことではない。もちろん、知識も結果として増えるが、大事なことは自分の視座が拡がっていくこと、深まっていくこと、これが大事。そして、そこでは他者への想像力がクリティカルに重要になる。これは、ビジネス的な成功にだけ必要なことではない。日々の生活においても、欠かせない。このことの大事さがわかっていたら、大学で4年間学んだ意義は十分にある。

たまたま聴いて以来、ちょくちょく聴くchilldspotの“your trip”という曲にこんなフレーズがあった。

「君が僕から離れても大丈夫/いつか旅に必要になった時/引っ張り出してくれればいいからさ」
「君が僕を忘れても大丈夫/この曲がまた君を見つけるから/トランクの隅にでもしまってくれよ」

chilldspot/比喩根[2022]「your trip」『around dusk』

ゼミで学んだこと、遊んできたこと。もちろん、その縁がずっと続いてくれるなら、それほど嬉しいことはない。ただ、いつの間にか距離ができてしまったとしても、それは消えない。ふとしたときに、この2年半ほどの時間のあいだに経験してきたことは、光を放つ。それは、きっとみんなが何かに迷ったときに、進むべき方向を示してくれるはずだ。その光の方向に自信が持てなくなったら、また来ればいい。磨き直してやるから(笑)

人生におけるさまざまなことたちは、光の当て方で映じる姿もかわる。自分自身という存在がわからなくなることだって、たくさんある。けれども、一人ひとりの人間という存在は、かかわりあった人たち、そして周りにあるモノたち、そういった諸々との関係性のなかで、つねに生まれ続けていくものだ。この2年半余りの山縣ゼミ第13期として生まれた、たくさんの関係性もまた、みんなそれぞれの「自分自身」を構成している。もちろん、私についても同じだ。それは、いつ、どこで、かはわからないけれども、必ずみんなそれぞれのこれからの人生を支えてくれる。

最後に、私の好きな言葉を贈る。

幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばならない。負けることだってある。乗り越えることのできない出来事(中略)が絶対にある。しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対に幸福になれない。

アラン『幸福論』岩波文庫、312頁

そして、アランはこうも言う。

他人に対して、また自分に対しても親切であること。他人が生きるのを支えてあげること、自分が生きていくのも支えてあげること。これこそ、ほんとうの愛徳である。親切とはよろこびにほかならない。愛とはよろこびにほかならない。

アラン『幸福論』岩波文庫、246頁

私がみんなに伴走するのは、これでいったん一区切りだ。もちろん、リズムを取り戻したいときには、いつでも戻ってくればいい。大学のカリキュラムとしてのゼミは終わるとしても、関係性としてのゼミはこれからも続く。だからこそ、ここはみんなに開かれている。

これからの長い人生、どうか心も身体も健やかであるように。ただただ、それを願う。また会おう。

2023年3月19日
山 縣 正 幸


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