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道としての海。F.ブローデル編『地中海世界』摘読(2)「海」を読む。

文化の読書会、『地中海世界』摘読第2回です。この読書会の経緯については、前回のnoteをご覧ください。

今でこそ、北から南まで一時間足らずで飛び越えてしまえる地中海だが、かつて地中海は広大な海であり、それだけで一つの世界、一つの惑星であった。

海というのは、文明にとって重要な存在である。
地中海世界を考えるとき、海は〈交通路〉だという点こそが枢要である。船、海路、整備された港、商業都市、これらは地中海世界の都市、国家、経済に奉仕する富のための道具であった。

とはいえ、海は、まずもって何より障碍物であった。長い間、航海は互いに近い点から点へ、出発地ですでに目的地が望めるところで慎重に行われた。エジプトやシチリア島、スペインのバレアーレス諸島に遠洋航海に乗り出したのは、クレタ人やフェニキア人たちであった。

地中海フェニキア人航海

14世紀あるいは15世紀に北の海から来た鎧張りの船体が用いられるようになったことで、ようやく冬の悪天候に打ち勝てるようになった。ここから規則的な運航と輸送の真の革命が始まった。

地中海には大船団がひしめき合い、いろんな品々が大型運搬船によって西ヨーロッパの大消費地へと運ばれていった。これらの帆船の所有権はつねに資本持ち分(カラット)に分割されていた。船が入港すると、船長は収支決算書を提出し、持ち分の所有者=株主にしかるべき金額を払うよう求められた。いわゆる「会社」の始まりである。

地中海とは、都市と都市が互いに手を取り合っている交易路網である。ここに生じる空間運動が、地中海世界の日常生活の基礎にさらなる寄与をする。それによって、トスカーナ地方はシチリア産の小麦で身を養い、結果として葡萄やオリーヴ栽培に専念できるようになった。この地方が最も美しい田野でありえたのは、それゆえである。そして、こういった交易は商人や銀行家といった存在を歴史の前面に押し出すことになる。

厳密な意味での地中海世界をさらに一回り大きな地中海世界が取り囲み、包み込んで、その共鳴箱のような役割を果たしていた。しかも、その影響は経済生活にとどまらず、文明や文化的運動にも響いていく。ルネサンスがフィレンツェを起点として広がり、バロックはローマやスペインから北のプロテスタント諸国を含むヨーロッパ全体を覆いつくす。

このように大きな地中海世界の縁辺地域には、目に見えるようなかたちで、この海の固有の偉大さと威光が刻み込まれていった。その繁栄は、遠隔地交易がもたらしたものであり、地中海世界がイスラムを仲介にして極東にまで張り巡らせた情報網が不可欠であった。ヴェネツィアの統領がラ・センサの祭の期間の大祝日に教会堂の前で海と結婚するというのは、単なるショーやシンボルを超えて、一つの現実である。なぜなら、地中海は富の永遠の泉であるからだ。そしてまた、地中海世界の衰微は、この情報網の衰えと軌を一にしているのである。


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