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パパスのパパス

自分が初めてゲームに触れたのは、近所に住んでいた2~3歳上のお兄さんが「ファミコン見せてあげる」と言って遊びに行った時だった。

当時はおそらく6歳ぐらいだったか、コンピューターなんて知らない、機械という物の存在もどういう認識かわからない。そんな真っ白な状態の人間がファミコンに出会った。

初めてみたゲームは「ドラゴンクエスト」

見た事の無い四角い物体、そう、ファミリコンピューターに近所の兄さんはスイッチを入れるとテレビから音楽が鳴り始めた。

なんかカッコイイ音楽が流れ始めた瞬間、もう子供だった自分は心が惹かれはじめていた。

画面の真ん中にいるのが自分だと教えてもらう。

「ゆうしゃ」

人生で初めて勇者という言葉を覚えた瞬間だった
もちろん漢字ではどう書くか分からない、ただ、ゆうしゃとは悪い者と戦う存在なのだと教えられる。

お城を出て、フィールドに出たら音楽が変わる。
ゲームに慣れた今ではなにも思わないが、テレビの中で世界が展開されているという事に子供ながらワクワクはピークに近づいてた記憶がある。

そして、数歩あるくと画面は音を立てながら暗転し…戦いがはじまった。

子供の頃の記憶では、ドラクエ1の戦闘の曲はひどく不気味で怖かったイメージがあり、スライムでさえ未知の生物をリアルに見ているような気持だった。

お兄さんは「たたかうを押して倒すんだよ」と教えてくれた。
たたかうという言葉は知っていたけど、文字としては知らなかったので、一番上のやつを選んでボタンを押せばいいと支持どおりにすると

バシ!と画面にうつるモンスターに攻撃を加えた。

子供の心ながら自分は戦ってると認識する。
同時に、その時はじめてひらがなで「たたかう」を覚えた。

次は自分がダメージを食らう事を知らされ、自分が死んでしまう場合もある事を知らされる。

実際に死ぬわけではないが、子供にとっては割と実際にやられてしまうんじゃないかというぐらいの気持ちになり必至に倒そうと”たたかう”を押す。

そうこうしているうちに、敵は姿を消しチャララーという音と共に勝利と生還した事を告げられわずか1回の戦闘で凄い経験をしたような気持ちになっていた。

今でも覚えているけど、自分がゲームの虜になったのはこの時だった。

その後はお兄さんがゲームをしているのを後ろからみて、色んなモンスターや魔法というものを使って戦ってる姿をみて

すげぇ…

もはやこの感想しかなかった

その日、家に帰った自分は母親と父親にファミコンというものが凄い事をずっと話してた。

そこからうろ覚えだけど、おそらくファミコンをず~とねだってたと思う。

そしてついに買ってくれたのが

ツインファミコン

なんでツインファミコン?
当時の自分は「すげーファミコンきたー!嬉しい嬉しい!」だったが、今改めて思うと何故わざわざ4万近くするツインファミコンを親父は買ってきたのか疑問だったが、その後の親父の展開を考えると答えは出てた。

親父、ドラクエにめっちゃハマってた。

そう、思いかえせばドラクエ1を私よりはやくクリアし、
ドラクエ2が出た時も、当時はテレビなんて一家に一台が割と普通だったので、ネタバレおかまいなくドラクエ2に明け暮れる親父の姿がそこにはあった。

その後、ドラクエ3からスーパーファミコンでドラクエ5まで親父はクリアしていき、もちろん平行するように私自信もゲームにうずもれた幼少期をすごしていた。

ドラクエやスト2なんかは親父とよく遊んだり話したりするきっかけになってた。

それから、中学に上がったあたりからもゲームを続ける私に対し、親父はゲーム離れしてゆき、あまり会話もなくなっていった。

そもそも、親父はあまりゲームを多種多様にするタイプではなく1つに凄く集中するタイプで、スト2なんかは難易度7、ターボMAXで最終的にノーコンティニューでクリアするような人物だった。

なぜノーコンティニューにこだわったか、それはエンディングが変わるからだそうだ。

きっとその事実はある程度、極みし者しかしらない事実だったんだろうと思おう…。

そんな感じだったけど、自分も青年期から大人になる頃合いに親父とも対立する事も多々あり、一時期は何年もまともに会話もしない状態だった。

数年前、親父は定年を迎え退職した。
家にいる事が多くなった親父から

スーパーファミコンどこにある?

とメッセージが来た。

正直、この人まだスーファミにこだわるんかよ!って思ったけど、実家の俺の使ってた部屋のどこかにあるんじゃないのって返信しておいた。

どうやら見つけられなかったらしく、仕方がないので実家に戻りスーファミを探しにいった。
久し振りに親父と話し、今ならもっと高性能なゲーム機あるし、スーファミのゲームもできる事を教えたが、動くならスーファミでいいらしい。

そして見つけた黄色く色褪せたスーパーファミコン。

動いたよ… 凄いな…

同時に、会話があまりなかった親父と俺のなにかも動いた気がした。

それからウチのパパスは、改めてリメイクされたドラクエシリーズ踏破に出た。

そして、今は私自信も子を持つパパスになっている。

ゲームって悪いイメージも世に出回ってるけど
個人的にはゲームによって良くも悪くも色々学ばせてもらい

これからも”たたかう”選択肢を選ぶきっかけになってくれたと思いました。

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