(雑感)バズワードになった時こそ、再度コトバの定義を考えてみる

コミュニティというキーワードについて。

現在様々なところで、施策の一環としてのコミュニティ化していきたいという要望を受ける。もちろん自分自身も安易に使っているのだと思う。

コミュニティっていろいろな分野で使われている。言葉としてバズワードになっており、定義が広い。
最悪のケースは、キャンペーン的にコミュニティ作りたい依頼とかもあった。そもそもあなたの言ってるコミュニティって何論である。

以下、検索するとコミュニティは現在2種類に分類される<ネット><リアル>の
2種類で少し違う。正確にはネットが登場してから定義が少し変わっているのほうが
正しいかもしれません(この分類は私の個人的な考えです)。

<①コミュニティ(ネット/ネット登場以後)>
ネットワーク上における情報交換を目的とした団体、または情報交換を目的としたネットワークそのもののこと。

<②コミュニティ(リアル/ネット登場前)>
共同体または地域社会と訳される。結合の形態に力点をおき,コミュニティが一定の地域性と,そこでの生活から派生してくる共同体感情との両者を基礎として成立していると考えられる場合には地域社会と呼ばれる。また結合の性質に力点をおき,コミュニティを共同の社会的特質を示すものとみて,成員間における慣習・伝統などに共通性があるとともに強い共属意識が形成されている場合は共同体と呼ばれる。

→①は地域性を伴ってないものも入る。それはネットができて、②でいう成員間における強い共属意識というものが<エリア性>なくても形成されるようになったからだろう。

なので、「コミュニティ」とは、共属意識を持った団体(複数人の集まり)が情報交換を行うことネットワークそのもの。

今接点のある会社(仕事)でいえば、コミュニティにしていきたい(お互い言っている)とあるが、会社としての共属意識、新規事業に想いがある方の共属意識など、幾つかのレイヤーのコミュニティを設計することが必要かもしれません。

とか考えてしまいますね。

昨日のお酒の席の話だと、「ファンクラブ」と「コニュニティ」の違いとは何なのか。永続性はどちらが高いのか。

コミュニティの形成において、「ファン」になり、「ファンが集まりコミュニティ」になっていくのか。
「ファン」と「コミュニティ」は違う文脈なのか。

コミュニティは「過程」であり、「結果」ではないので、コミュニティの先の目的の設定をどうつくるのか(ただ、上記の自発的なものについては、目的する必要ないかも)。

そうです。ただの雑感でした。


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