憲法記念日に、今、伝えたい事
憲法記念日の今日、午前中のNHK特集ではコメントを、そして午後には2つの集会に参加してきました。憲法の機能不全を実感する憲法記念日に、今、伝えたい事を改めてnoteします。
憲法記念日に憲法の機能不全を実感
コロナ禍が続くなか、憲法の機能不全を実感する憲法記念日となりました。
現在進行形で法の根拠があいまいな人権制約が続く今だからこそ、コロナと憲法の課題を洗い出す作業はとても大切です。その上で、平時といえる程度に落ち着いたら憲法の緊急事態条項の新設について具体的な検討を進めなければなりません。あわせて、人権侵害の是正措置として極めて有効な憲法裁判所の創設。この3点が極めて大切だと思います。
一つ目:コロナ禍の憲法課題の洗い出し
少し詳しくお話します。まず第一に、今起きてるコロナ禍の憲法課題について。私は憲法というのは、国民が権力を「与えて」「歯止める」という二面性を持っていると思いますので、その両面からお話しします。
「歯止める」という観点からは、不十分で不公正な協力金はそもそも財産権の保障(29条)に反しないか。マスク会食の義務化や酒類提供自粛要請など、お店によっては生業を奪うような、最後の息の根を止めてしまうような制約がなされるのは、営業の自由(22条)に反しないか。そうした重たい制約や義務化が、法律ではなく政令でいくらでも追加できることは立法権(41条)に反しないかという課題がみえてきました。
あわせて、今回国民の努力に依存しすぎであって、もっと国家・行政の側にやるべきことがあるのではないか。もし、やりたいのに法的にできないという問題があるなら、そこを変えて必要な権限を「与える」べきではないかという視点も必要です。
具体的には、病床逼迫による医療崩壊を防ぐために必要不可欠な権限が行政に不足している。医療従事者の派遣や患者さんの移送など、民間病院への指示も含めて、国や自治体が必要な権限を行使できるように法の根拠を強化すべきではないか。こうした課題も可視化されてきました。
二つ目:緊急事態条項の新設
そこで第二に、こうした課題を解決するための憲法問題として、緊急事態条項をあげざるをえません。たとえば、国民民主党は特措法に反対しましたが、その理由は、国民から生業を奪うような重たい制約をかけるのに、あまりにも民主的統制に欠け、補償も不十分であるということでした。民主的統制に欠けるというのは、つまり国会承認がないということです。
平成24年の自民党憲法改正草案を思い出してほしいのです。あの草案そのもの、とりわけ緊急事態条項は批判にもさらされましたが、少なくとも、緊急事態に国会承認という手続きの歯止めをしっかりかけていました。
しかも、開始のときは事後承認の余地を認めつつ、延長の際には100日ごとに必ず事前承認を必要としていました。国会には内閣を拘束する宣言解除の議決権すらおいていました。
もちろん問題もあって、いったん宣言が出ると国会から内閣に立法権を移すに等しい効果をもたらすことは緊急時の措置としてもやり過ぎだと思います。
ただ、そこはよりよい知恵を出せばよい。先日憲法審査会でも申し上げましたが、自民党の緊急事態条項を人権侵害条項だと批判しつつ、その緊急事態条項以上に人権侵害への歯止めがない特措法を提起して賛成するという、野党の一部の姿勢はどうにも理が通らない。
一方で、ぜひ自民党にも、以前に示していたような、緊急事態であろうとも憲法に基づいて権力を行使し、かつ民主的に歯止めるという哲学を深めてほしいと思っています。
三つ目:憲法裁判所の創設
そして第三に、憲法裁判所の提起です。フランスの行政裁判所(コンセイユ・デタ)は、2020年にコロナ関連で800件を超える判決を出しているという報告もあります。デモの人数制限や無断の体温測定について違憲とか違法という判断がなされ、速やかにその司法判断に沿って政令が改正されるなど動的な動きがあります。
緊急事態に100点の人権保障は難しい。必要なのは、緊急事態には人権は過度の制約にさらされやすいという前提にきちんとたって、PDCAのサイクルをきちんと回すことです。違憲違法の疑いがあったら司法がチェックし、違憲違法だと判断されたら政府や国会は是正するという動的な体制をつくることです。
日本では、現在コロナ禍の違憲訴訟は極めて少ない。憲法裁判所の設置により、日本の憲法裁判のハードルをもう少し低くして、裁判官の人事の中立性を高める必要があります。
やり過ぎれば裁判になり是正を求められるという緊張感は、緊急事態における過度の人権侵害を抑制する効果があります。
なにより人権国家として、過度の人権侵害で財産や生業や自由を奪われた人がきちんと救済される制度は必要不可欠です。
緊急事態条項と9条問題
最後に、今回痛感している緊急事態条項と9条の共通点をお話したいと思います。それは「現実にあるものを憲法上ないことにしてるために、いざというとき必要な措置がとりにくく、歯止めもきかない」ということです。
今回のコロナ禍は、憲法に緊急事態条項の定めはないけれど、緊急事態は起きるという事実を私たちにつきつけています。緊急事態条項の不在は、国会承認もない特措法を生みました。
必要な議論や十分な説明もないままに、国民はひたすら先の見えない我慢を強いられています。緊急事態において国家はどこまで何ができるのか、そのためにはいかなる手続きが必要なのか、実体・手続き両面における憲法の定めが必要です。コロナ禍の1日1日が、緊急事態条項の必要性、立憲事実を積み重ねていると感じます。
そして9条、自衛権の議論も同様です。海警法改正を象徴とするあからさまな中国の拡張主義は、日本の安全保障にとって直接の脅威となっています。
日本の自衛権は、日本という国家の存続ひいては国民の生命・安全のために必要不可欠な大前提であり、現実に日本を守るため今そこに存在する権限です。
これ以上、憲法で無視し続けるには余りにも重要で、しかも存在だけ書き込むには余りにも強い力です。だからこそ、憲法に自衛権を位置付け、そして少なくとも基本的な枠づけを定める議論をしようと訴えてきました。
緊急事態条項にせよ9条にせよ、危機の国家に必要不可欠な力を、憲法上無視し続けることで抑制しようという考え方は、日本の法の支配にとって有害です。
むしろ、そうした必要だけど強力な権限こそ、事前に国民の意思でルールを定めておく、それが憲法規範にしか果たせない役割ではないでしょうか。
投票法7項目は本来修正の必要なし
私は、日本国民には、議論によって大きな国家の方向性を定める力があると確信しています。だからこそ、国会での憲法審査会をしっかり動かして、国民にその議論の土台を提供する責務が国会議員にはあると信じています。
野党の一部からは、議論して国民を分断してはならないとか、国民は憲法改正を求めていないとかいう声があがりますが、議論しない言い訳を国民に転嫁するのはもうやめましょう。そして与党の側も、議論しない言い訳をこれ以上優しく受け止めていては、もはや国民の利益にならないとも感じています。
5月6日の憲法審査会では、国民投票法7項目の採決をすべきです。突然立憲民主党が提案してきた修正案は、「3年メド」にCM規制やネット規制などの議論をするというものですが、なぜ3年なのかよくわかりません。むしろ「すみやかに」議論すべき課題ではないでしょうか。
しかもこれらの課題を引き続き議論するということは、繰り返し審査会で述べられて議事録にも残っています。私も議事録に残すために複数回質問しています。本来、原案のままで採決すればよいのです。
憲法審査会は国民投票法審査会ではありません。すみやかに、議論の尽きた7項目は採決し、必要な議論は継続し、あわせて投票法の議論と本体の議論を同時並行で行うための運営方法を具体的に幹事会で話し合いましょう。
改めて、このコロナ禍が炙り出した日本の「法の支配」の脆弱性を、国民的議論で乗り越えるような憲法改正が必要です。そのために、これからも自分なりの役割を果たしていく、そのことを心にしっかり刻んで、今日の憲法記念日を過ごしたいと思います。
本日、コロナ禍という困難のなかにもかかわらず、むしろ困難の時だからこそ、労を惜しまず建設的な憲法論議の場を作ってくださった全ての皆さんに心からの敬意をこめて。
山尾志桜里