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これまでどんな本を。


僕自身が演劇やクラシック音楽といった、「文脈」をひじょうに気にするタイプの生業を選んでいるせいか、他人の読書経験にとても興味がある。

有り体にいえば

僕のことを「好きだ」と言ってくださるファンの皆さんって
これまでどんな本を読んできたんだろう?

ってことに興味がある。



上でいう「文脈」というのは、ひとつの文章のなかでの語や論のつながりという意味だけじゃない。

ある作品についての歴史的背景とか、それを作り上げた人の人生や性格がどんなものだったのかとか、ほかの芸術作品群のなかでその作品はどんな特徴や機能を持つのかとか、そういうことも含めての「文脈」だ。


モーツァルトの曲ひとつ取るにしても、その作品はモーツァルトが何歳のときに作曲されたものなのか、その当時の社会情勢はどんな風だったか、そのなかでモーツァルトは何を感じていたのか、当時の楽器の性能は、当時の一般的な作曲のスタイルは、誰のために書かれた曲なのかなどなど、演奏するために調べたり考えたりすることは多い。

いま取り組んでいる「お月さまへようこそ」という戯曲についても、そこに書かれている語句のひとつひとつと役の背景や状態との関連性を考察する必要もあるし、パトリック・シャンリィという人物の人生について考える時間もたくさん必要である。

また、そういった「過去に眼差しを向けるタイプの文脈考察」だけではなく、そういった芸術が連綿と社会の中に息づいてきたひとつの結果である「現代・いま」に、その作品をふたたび上演することの意味も考える。

だから、文化芸術の歴史という「縦軸の文脈」はもちろん、私たちが生きている「現代・いま」とはどんな問題をはらんでいるのかという「横軸の文脈」も考える必要がある。

そういう意味で僕は、歴史マニアではないが、「文脈フェチ」であると思う。



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そこで、さいしょに書いた「興味」に話が戻るんだけど。

僕は比較的、変わったタイプの俳優だと思う。note の場で、自分の考えをかなり率直に書いては発信しているからだ。なかにはややこしいことや、専門的な色合いの濃いもの、「読む全員に好意的には受け取られないだろうな・・・」ってことも含まれている。

日本における俳優業の構造の本質は「人気商売」である。そう考えるとじつは、自分の考えを頻繁に、明確に、外に発信することは、あまり万能に有効なブランディングではない。

と思いつつも、僕は自分で自分の考えを書く。そしてそれを発信する。

そこで当然、こういう疑問が湧く。

そういう「僕」についてきてくださるファンの方って、いったいどんな人たちなんだろう。

その人はどんな「文脈」のなかで、いまの生にたどり着いたのだろう。


お手紙とか、直接会ったときとか、かなりの頻度で「note 読んでます!」とお声かけいただく。

僕が書く note は、「今日はここに行ってこんなものを食べたよ!」的ブログとは違って、なかなかヴォリュームのある文章の場合がある。それを「読んでます!」とおっしゃってくれるってことは、「かなりの活字好きだな」と推測するわけです、僕としては。


そんな方たちが、いったいこれまで、どんな本を読んできたのかが、とっても気になる。

あるいは、本はあまり読まないんだけど、山野のことは好きです、という方もいらっしゃるかもしれない。

そういう人に対しても、「どんな映画を観てきたんだろう」「どんな音楽を聞いてきたんだろう」「どんな芝居を観てきたんだろう」「どんな漫画やウェブ記事を読んできたんだろう」という興味が湧く。

人の考えや人格に対して、そういった創作物が与える影響を、僕は信じているからだ。


そういう僕は

幼い頃は母や保育園の保母さんによる絵本の読み聞かせを大好物とし

自分で字が読めるようになってからはローラ・インガルス・ワイルダー一家の物語や、佐藤さとるさんの「コロボックル物語」、新山たかしさんの「ズッコケ三人組」を読み耽り

小学校の図書館にあった「偉人伝」はぜんぶ読み、小学校6年生のときに池田晶子さんの「14歳からの哲学」に出会った。

中学時代は市立図書館の哲学の棚の住人と化し、特にクリストファー・フィリップスの「ソクラテスカフェへようこそ」は何度も読み返した大好きな本だった。「ソフィーの世界」も読んだし、池田晶子さんの他の著書も読んだ。

並行して、槇村さとるさん、大和和紀さん、吉野朔実さんの漫画を母の影響で読んでいた。なんといっても榛野なな恵さんの「Papa told me」は、ある時代までの僕にとってはバイブルといっても過言ではなかった。

高校生になって小林秀雄を読むようになって、同時に石田衣良さんの「IWGP」以外の本も読んだ。愛や性についての短編が好きだった。大和和紀さんの「あさきゆめみし」も読んだ。

高校3年で村上春樹に出会った。そこから大学2年までは、貪るように村上春樹を読んだ。派生して、ポール・オースターが好きになった。

もちろん、ここに挙げた以外の本も読んでいるし、映画もたくさん観ている。

でも、振り返ったときに自覚的に「これは僕の骨となっているな」と思う本は、こういったものたちだ。


こんな僕を「好きだ」といってくれる人たちは、いったいどんな本を読んで生きてきたんだろう。どんな創作物に触れて生きてきたんだろう。

「私は、この本が好きなのです」

みたいなことをこっそり教えてくれたら、それはまた、僕にとっても嬉しい交流になるのかもしれない、と、うっすら思ってみたりして。







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