【いそがしいとき日記】その14
新年度がはじまりました。
僕の生活は、あまり年度関係なく進んでいくので相応の実感はないですが、公共ホールさんなんかと仕事をしていると、担当者さんの配置換えなどなどありますので、それなりに「ああ、新年度か」と思ったりしながら過ごしています。
きっと、みなさんのなかにも、4月から生活がガラッと変わったよ〜って方、いるんだと思います。
それがどんな環境であれ、どんな選択であれ、ひとまずは両手いっぱいの幸せとワクワクが続くことを願っています。勇気と元気は使えば増える。生きてたら「楽しいばっかり!」とはいかないかもしれないけれども、周りを見渡せば案外、小さな幸せの種はころがってるようです。
あと、疲れたらちゃんと休むこと。これも大事。
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さて。
目の前にやるべきことが山積していたり、解決しなければいけない課題が四方八方から押し寄せてきたりするのは、なかなかしんどい状況ですよね。
やらなきゃいけないことがいっぱいあるときって、どうしても、それを処理することが優先されて、右から左への「作業」的な仕事の仕方になっちゃう傾向があるんですけど。
そんな状態に陥りそうになったときに、自分で自分の心に「待てよ」と問いかける瞬間があります。なぜならば、僕の選んだ仕事は「創造性」や「芸術性」を含む領域に分布しているから。
生きていれば、そして働いていれば、ひとまずは目の前の課題をなんとかクリアして、この場面をやり過ごさなければいけない、という瞬間はたしかにあります。そのためには、淡々と事務的に、ライン作業のロボットのように手を動かし続けるということが必要なことも理解しています。
でも、それを理解した上で、やっぱり考えたいことがあって。
いま自分のやっていることの先には、いったい何があるのか。
どんなものを生み出したくて、自分はこの仕事に向き合っているのか。
この大変さの向こう側で、誰に何を届けたいと思っているのか。
そういうことを失ったまま、単なる作業としての仕事を繰り返したくはないなと。そう思うのです。
もしかしたら目の前にあるのは、大小さまざまな課題を期日までに処理するような、地道な仕事かもしれない。
でもそれに向かい合うときの自分の心のなかに、「より大きなヴィジョン」という旗が掲げられているのか、それともこなすだけなのかの違いが、とても大切な気がするのです。
それは、「最終的な仕事のクオリティを上げるため」みたいな、そういう意味合いもあるだろうけれど、それよりも、「自分は何者として生きるのか」ということに深い影響を与えるんだと思う。
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