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【いそがしいとき日記】その20


いうて、スケジュール的にはそれほど忙しいわけではないのだけれど、どうにも「心が忙しい」ので久々のいそがしいとき日記。

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心が乱されることがたくさんある。

あいちトリエンナーレ2019に対する文化庁の補助金交付取り消しについてのあれこれ。

グレタ・トゥーンベリによる国連でのスピーチに対してのさまざまな反応。

国連気候行動サミットに出席した日本の大臣の言動に対してのいろんな反応。

お笑い芸人による人種差別・HIV差別的な発言。

今朝は今朝で、ジュンク堂書店プレスセンター店のTwitterアカウントによる、ミソジニーが透けてみえるツイート。


ミソジニーやミサンドリーといった性差別的な言動にどこまでも無自覚に思えるような報道や言論がいくつも見えてくるこの社会。

同時に、子どもや学生という立場にいる人の言動への年齢差別や階級差別、これまで社会構造的に「弱い立場」に押し込められていた人たちがあげる声に対する職業差別。


ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランドによる「FACTFULNESS」では、さまざまなデータに照らし合わせて「世界は確実により良くなっている」という事実が書かれているが、

いまの日本の世の中のあれこれを眺めてみると、「どうにも社会は混沌としてる」と呟きたくなるような気持ちになる。


僕は歌うことと演じることを生業としている。

おそらくだけど、もし歌うことや演じることの仕事で慌ただしい日々を送っているのだとしたら、頭も身体もそのことに目一杯で、ここまで世の中のあれこれに心乱されることはなかったんじゃないかなって思う。

でも、それってどうなん?とも思う

「目の前の仕事で忙しかったら、世間に横たわるさまざまな課題から目を背けてて平気、ってことでいいの?」って。

とはいえ、演劇界だって音楽界だって、世の中にどーんと横たわっている課題の数々と無縁なわけではない。決してない。

たとえばだけど、人種差別について言えば、輸入作品を数多く上演する日本の演劇界では「ブラックフェイス」についての議論を避けては通れないはずだ。

令和になった2019年の今年も、顔を黒く塗って黒人の役を日本人俳優に演じさせる舞台があった。

ミュージカル作品でも、「黒塗り」ではないが、濃い色のドーランで褐色の肌の色を表現するメイクを施した日本人俳優が出演した舞台が先日あったし、来月もある。

本当に、どうしたものだろう、と思う。

「黒く塗ってないです。褐色だから大丈夫です。」という、いかにも真正面からの議論を避けてグレーゾーンで着地させるような発想だったりするのだろうか。それとも、きちんとしたディスカッションの上で、そういったメイクが選択されているのだろうか。



わかってる。

僕にしたって、目の前の出来事で手一杯だ。

生活はしなくちゃいけない。お金も稼がなきゃいけない。仕事は責任をもって完遂しなけりゃならない。いろんなことを同時に考えている余裕なんてない。

消費税だって上がった。軽減税率はややこしい。年金はもらえるのか。2019年の出生数は90万人を割る可能性が出てきた。

なんとも、生きるって、大変なことだ。


正直いって、いまの世の中を生きることは、Crazy だと思う。

たとえば、山梨に帰って、古民家と土地をどうにか買って、百姓でもやりながら生きていったほうがどれだけシンプルだろうななんて考えることもたまにある。

でも僕は都会が好きだし、芸術が溢れている東京という街が好きだし、都会というシステムの中で成立する類いの演劇や音楽の枠組みでまだまだチャレンジしたいという気持ちもある。

文化や芸術の綺麗な上澄みや、人間関係の心地よく柔らかいところだけを啜って生きていくこともできるのかもしれない。

でも、芸術は、人間が生きるというそのことによって生まれる問題や課題にスポットを当て、その姿を浮き彫りにさせたり、直接的・間接的にそれを解決したりしようとする営みだと僕は信じているので

「都会、生きにくいぜ」「現代、生きにくいぜ」と思いながら、心かき乱されながらも、なんとか正気を保って生き延びつつ、学び、考え、言葉を紡ぎ、行動をしながら、演劇と音楽をやり続けようと思います。


ひとまず今は、こういう本を読んでいます。

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みんながしあわせになれたらいいのになあ。





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