使えば使うほど増えていく「勇気」という不思議なもの
人はどんどん変われる。
高校生くらいまでの僕はマジで偏屈で、「世界の真理を僕は理解している」ぐらいに思ってた。やばいよね。いわば中二病。
もしかしたら、「いまの山野だってじゅうぶん偏屈じゃん」って突っ込み入れてる人もいるかもしれないけれど、ハタチまでぐらいの僕といまの僕を比べたら、格段に柔らかくなっていると思う。
高校生までの僕が偏屈だった理由は、
自分の芯を持つ=変わらないこと
だと思っていたから。
でもいまは
変わり続ける、という不変性もある
って思ってる。
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私が私のままでいる、ってのはどういうことなんだろうと考える。
たとえば川は、どんどん流れ続けて、そこにある水の分子はまたたく間に流れ去るけれど、その川は川として、下手したら何百年もそこに存在し続ける。
常に流転し続ければ、「流転し続けるという不変」になると思うのです。
人間、おいそれと変われるもんじゃない。
40、50にもなれば、人間なんて変われないんだ。
そんなことを言った大人の人を僕は何人か知っているけれど、僕は人間、いくつになったって変化し続けられると思う。
じっさい、世の中を見渡せば、80歳90歳になってもどんどん新しいチャレンジをしている方がたくさんいる。昨日も、85歳から昔やっていた社交ダンスをもう一回始めてみようかしら、って言っているマダムの話を聞いた。
ぜんぜん関係ないけど僕も社交ダンスはじめようと思ってる。レッスン代の工面をどうするかを画策してるところ。
変わるために必要なもの、凝り固まったところから一歩踏み出すために必要なものは、ただひとつだけ。
それは勇気。マジでそれだけ。
アントニオ猪木さんは「元気があればなんでもできる」だけど、僕的には「勇気があればなんでもできる」。それに元気も付いてたら百人力だ。モハメド・アリと猪木がタッグ組んでても勝てるぐらいに無敵。
僕の好きなシンガーソングライターのさだまさしさんがときたま言うんだけど
人生で、使えば使うほど増えていくのは勇気だよ
っていうフレーズ、本当にそうだなと思う。
ちょっとの勇気を出し惜しみせずに、毎日毎日積み重ねていけば、勇気を出すことに身体がなれていって、少しずつ、大きな勇気を使う準備が出来てくる。
はじめのうちは、普段通らない道を歩くとか、普段降りない駅で降りるとか、そういう勇気の使い方からはじめればいいと思う。
自分の安全圏、安定した場所からどうやって一歩外に出るかっていうのが変化し続けるための重要な要素だから。
僕が昨日使った勇気は、
・いつもだったらぜったいに歩かないような距離をお散歩した
・行きたいと思ってたけど行ってなかったパン屋に入った
・僕の大好きな人をこれまた大好きな人たちに紹介した
・あんまり好きじゃなかった写真を撮るという行為にチャレンジした
・「あなたと共演したいのです」という本心を伝えてみた
・ぜんぜん最近会えてない友だちに「会おうよ!」って連絡した
「それぐらいのこと?」って思われるかもしれませぬが、僕にとってはこれらも、勇気を伴う行動なのです。けっこう頑張った。
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変わることだけが唯一の善だ、って言いたいわけじゃないのです。
けれど、「チャレンジしたい」「自分を変えたい」って心のどっかで思っているのに、不安や自信のなさに思考や行動を支配されちゃって身動き取れなくなって、「いえ、私はこのままでいいんですっ!!」ってなっちゃう人に何人も会ったことがあるので
もし、自分の中に少しでも「一歩踏み出したい」って気持ちがある人は、小さな勇気を使ってみることからはじめてみたらいいよ、ってこと。
勇気を出して一歩踏み出す人を、僕は全力で応援したい。
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