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正解、は、ない……?

こんにちは!山野です!

いま僕は日本初演のミュージカルの稽古に参加しています。初演なので舞台上でどのように動くのか、どんな踊りなのかといったことはみんなでゼロから作っていくんですね。

この作業が僕は大好きで、本当に毎日楽しみながら一瞬一瞬を過ごしています。


ところで、ミュージカルに限らず芸術の分野ではさいきん「正解はないんだから!」というようなフレーズがずいぶんと市民権を得てきたなと感じます。

アート思考とかの流行にも影響されていると思うんですけど、たとえば美術館で絵画を鑑賞したときに、どんな感想を抱くかとかその作品についてどんなコメントをするかという段階で「正解はないんだから感じたことを話せばいいんだよ!」的な促しがあったりとか。

あとたとえば、映画やアニメ、漫画の感想なんかもそうかもしれません。正解はないのだから、自分の感じたことは否定しなくてもいいのだよ〜、みたいな。


僕の考えは、ということですけど、この「正解はないのだから」という考え方は当てはまる場面がほとんどだけれど、細かく考えてみるとこのスタンスが当てはまらないような場面もあるな、と思ってます。

それはもしかしたら僕が、舞台を「作る側」にいるからかもしれません。

舞台の現場でもたまに聞くことがあるんです。「正解はないんだし」というフレーズ。まあ、そうだよなーと思いながらも、冷静に考えてみると仕事として作品のクリエイションをしている場面では「正解はない(からなんでも肯定されるよね)」という姿勢はじつは間違いである場合、あるなと思います。

「正解はない」という言葉を厳密に書き直してみると「それのみが唯一解とされるような絶対的な正解はない」ということだと思うんです。ここまで厳密に書いたら、僕としても「そうだよねー!唯一の正解ってのはないよね!」となるんです。

でも「唯一の絶対解」はない、けれども「いくつかの正解の可能性」はあるわけです。ある種の「正解」といっていいような着地点は確かにあるのです。

なので「正解はないから〜」という言葉はつまり「正解(という存在がそもそも)ない」ということではなく「(学校のテストのような、事前に準備された、たったひとつの)正解はないから〜」という意味なんですよね。

とりわけ、舞台を作る仕事のような場では間違いなく「学校のテストのような、事前に準備された、たったひとつの正解はないから〜」という意味でこの言葉を使うのがよいのだと感じます。


もしかしたら、他の様々な業種の仕事でも同じ部分があるかもしれないんですけど、ある問題を解決しようとしたときに「唯一の絶対解」はないかもしれないけれど、「圧倒的な不正解」っていうのは確実に存在するんです。

やってみて「あ!これは絶対に違うわ!」というアウトプットって、ある。

静かな会話が行われている後ろで、セリフのない人物たちがなにをしているとそのシーンの演劇的強度が上がるか、みたいなことを考えたときに、ストップモーションはアリ、スローモーションもアリ、それぞれ思い思いに空を見上げるのもアリかもだし、前で会話をしているふたりをそっと見つめてるのもアリかもしれないけれど、大声を出しながら会話をしている二人の周りを走り回るのは絶対にナシ!!!!みたいな。

正解の可能性は広く開かれているけど、圧倒的な不正解は確実に存在するという創作の性質。

僕は表現の場にいるときに浮き彫りになる、この性質にとっても魅力を感じるんです。

今回のミュージカルのような日本初演の作品だと特に、どのラインを踏み越えたら「圧倒的な不正解になるのか」というのを見極めたくて稽古に参加しているようなところが僕にはあります。

常識的に考えたら「それはナシだろ」と思われるようなことでもとりあえず稽古場でやってみると「案外アリだね」ってなったりすることもありますし、当然のように「それはナシですね」となっても、不正解のラインが明確になるってことなんでこれもひとつの収穫なわけです。

次からはさっき明確になった不正解のラインの内側を攻めてみればいいいという方針が手に入りますから。

「唯一の絶対解はない」ということは、「めちゃくちゃいい衝撃的な正解!」もあるけれど、「まあ、無難だけど間違ってはいないから正解」みたいなのもあるわけですよ。日常の絵画鑑賞の範囲なら、「無難な正解」みたいなのも価値のある心の動きだと思うんですけど、仕事として携わる表現の現場ではやっぱり観にきてくださった人に「なんだこれ!すごい!」と感じてほしいと思って創作しているわけで。

そういう場面ではやっぱり「無難だけど間違ってはいないから正解」という方よりは「めちゃくちゃすごい、誰も思いついたことのないような、圧倒的な正解!」に辿り着きたいと思ってしまうんですよね、俳優として。演劇を作る人間として。


あと、演劇をつくる現場というのは全く違うバックボーンを持った人間たちがひとつの作品を共作する場所なので、健全なディスカッションがあった方がいいのです。

でも「正解はないから」という言葉は恐ろしいマジックワードで、意見が食い違ったときにこの言葉を使うと、ディスカッションを避けてそれぞれの発想をそのまま活かすという方向に創作が進みやくなってしまうのです。

一見「正解はないから」という言葉がけは相手に優しいように見えて、じつは自分たちの首をキリキリと締め上げるような言葉なんじゃないかなあとさいきんは考えています。


いずれにせよ、いま一緒に作品を作っているカンパニーは本当に素晴らしくって、それぞれの考えと技能を持ち寄って、無限の可能性のなかから「すげえ正解!」を選び続けるべく日々邁進しております。がんばるぞー。



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