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たくさんの人の前で話すときに僕が気をつけていること


中学校や高校への出張授業をやったりしていると、「大勢の前で話すときってどんなことに気をつけたらいいんだろう」と自ずと考えるようになります。

人の前で話すからには、自分の言っていることが最大限に伝わってほしいなと思うし、聞く側が「つまんねぇ」ってならないような時間をデザインしたいとも思うからです。

スピーチングの方法論とかはいろんな書籍が出てたりするでしょうから、そういった普遍的な技術についてではなく、僕自身が気をつけていることについて書いてみます。


1、ひとりでも多くの人に好きになってもらおうと思って話す

いきなり感がありますが。笑

さいきんアチコチで聞くようになった心構えとして、「世界中の全員に好かれることはないのだから、アンチを怖がらずに嫌われてもいいやっていう気持ちで自分の思ったことを言ったほうがいい・やったほうがいい」ってのがありますよね。

「嫌われる勇気」という本が出版されてからそのムーブメントが強くなった気がします。僕も本を読みましたが、とてもいい本だし、「嫌われるのを怖がらずに行動したほうがいい」っていう発想には賛成しかありません。

でも、生身の人間100人とかの前で話しをするってなったときには、わざわざ嫌われるようなことをする必要はないはずです。

人間誰しも心の奥底では「人に好かれたい」とか「誰かに受け入れてほしい」って思っているものです。僕だってそうです。

なので、その気持ちには正直でいることにしています。

でも、だからといって、人ウケするようにおべっかを言ったり、わざとおちゃらけて笑わせるようなことはしません。

僕自身が考えていることや、僕自身が経験で得たことを、実直に話すことを心がけています。変に加工せず、変に装飾もせず、正直な言葉を使いたいと思います。

目の前の人に好かれたい、と思えば、言葉の使い方も自然と丁寧になったりするものです。わざと難しく話すよりは、わかりやすい・伝わりやすい表現を選ぼうという気持ちもはたらきます。

入念に原稿を準備して、丁寧な言い回しを首っ引きで書き連ねるよりは、その瞬間に目の前にいる人たちに好かれるような振る舞いをしようと心がけたほうが、なめらかな言葉をしゃべれるような気がしています。

それに、僕の仕事はある種、人気商売みたいなところがあるので、そういう心持ちで話しをした相手のなかの0.1%でも、「山野さんって人、いいな」って思ってくれて、名前を覚えてくれたり、ファンになってくれたりしたら、その後の自分の活動につながります。


2、リアルな言葉で話す

僕は、授業なり講義なりのときに、原稿を用意しません。

何を話すかとか、トピックを事前に考えたりしますが、本当にその瞬間何を話すかは、僕の話を聞いてくれる人たちの顔を見てから決めます。

ビジネスの交渉でも、友だちとの雑談でも、なんでもいいんですけれど、僕らが普段他人と話してるときって、話をすることで得たい「報酬」(契約を取りたい、失恋を慰めてほしいetc)は自分のなかにあるとしても、その会話中の言葉のチョイスって、相手の様子で変化すると思うのです。

僕は、大勢の人の前で話すときにも、そういう「普段の会話」と同じぐらいのリアルな言葉で話したいなと思っています。

用意された言葉は、聞く人の言葉に届きづらいと思っているからです。

稀に、用意された言葉にリアルな熱を込めて演説ができる能力を持っている人がいますが(歴史に名を残すような政治家や革命家、宗教家)、僕はそんな天才には程遠いので、自然にリアルな言葉になるような方法を選ぶのです。

ちなみに、俳優という仕事は、用意された言葉をどれだけその瞬間にリアルに放てるかという技術が商売道具みたいなところがありますが、授業や講義の場面でわざわざ演技を見せる必要はないなと、僕自身は思っています。

演技を見て欲しければ、芝居をすればいいのであって。

そうじゃなくて、役名ではなく自分の名前、山野靖博という人物としてそこに立っているのだから、山野靖博としての生の言葉を、聞いてくださる人のところに届けたいと思っています。


3、「誰も僕には興味を持っていないはず」という前提からスタートする

人間、期待をするからそれが裏切られたときにガッカリするのです。

なので、「みんな僕の話を聞いてくれなかった」という落胆を防ぐためには、はじめから「みんな僕の話を聞いてくれるはずだ」という期待をしなければいいのだと思っています。

そこからスタートすると、僕が大人数の前で話すときのミッションは、これまでの話も踏まえると、誰も僕には興味を持っていない状況からひとりでも多くの人から好きになってもらうことになります。

冷静に考えて、なかなか達成困難なミッションですよね。

だからこそ話しながらいろいろな工夫をします。頭を働かせます。

いちど話した内容がどうにも伝わってなさそうだったら、その母集団が理解するのを助けてくれそうな比喩を使って再度話してみるとか。

会場全体が緊張している雰囲気だったら、笑い話をしたり、自分の失敗談をするとか。

話しはじめても僕のことを見てくれないみたいな人が多いなら、いきなりオペラをひと声歌ってみて、嫌でも注意を引くようにするとか。

僕の場合、いつも、話したいこと/伝えたい内容はしっかりしているので、それを「どうやってひとりでも多くの人に伝えるか」っていうことに試行錯誤することにしています。


4、「誰にも伝わらなくてもいい」と思って話す

これ、1と3に矛盾するかもしれませんが、大事なことだと思っています。

自分の考えたことや思ったことは、できるかぎり多くの人に伝えたいと思います。いつも、「伝えるためにどうしたらいいか」を最大限に考え、工夫し、「話す」というパフォーマンスに反映させようと思っています。

けれども、どれだけ僕が工夫をしても、伝わらない人には伝わらないものです。

世の中には、同じ日本語で話しているのに、違う言語で話しているような気分になる人がいます。同じ日本で育ったのに、価値観が互いにぜんぜん理解できない人がいます。

そういう人に向けて話すとしたら、自分のできるかぎりのことはしますが、それで言葉が届かなかったとしても、仕方がないのだと思うようになりました。

僕としては自分の考えや思いを伝えたいけれど、伝えるための工夫や努力を最大限したのなら、たとえ目の前の100人の誰にも伝わらなかったとしてもいい、と思いながら話します。

そのときはせめて、言っている内容や、伝えたい考え方が伝わらなくとも、僕が一所懸命話しているその熱や、僕の伝えたいという意思のエネルギーだけでも伝わればいいなと思っています。

あいつ、言ってることはチンプンカンプンだしぜんぜん理解できなかったけど、なんかエネルギーが尋常じゃなかったよね

みたいに受け取ってもらえたら勝ちだと思っています。

山野靖博という生身の人間が、目の前にいたなっていう印象や感情だけでも、その人の心の片隅に残ったなら、嬉しいなと思うのです。


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表現者なんだから、自分の表現だけしていればいいじゃないか。そういう考え方もあります。

歌や芝居や、そういう「専門」のことを突き詰めていくべきだ、他のことをやってしまうと集中力が削がれる。みたいな考え方もあります。

でも僕は物を書くのが好きなので、こうやってほぼ毎日文章を書きますし、喋べることも好きなので、出張授業の機会とかをいただくと、喜び勇んで喋りたおします。

自分のライブでも、歌とおなじ分量ぐらい喋ってます。

歌にしても、芝居にしても、やっぱり言葉を扱う表現だ、という思いが僕の中にあります。

そして、言葉を扱うということはつまり、人間を扱うことだ、という思いも僕の中にあるのですね。

僕は歌のなかで人間のことを歌いたいし、芝居のなかで人間のことを表現したいのです。書くことで人間のことを考えたいと思うし、喋べることで人間についての思いを伝えたいんです。

そういう思いがベースになるから、人前で話すときにも、「自分にそぐわない嘘の言葉は使わない」とか、「僕の思いが伝わるように少しでも興味を持ってもらう、好きになってもらう方法を探す」とか、「究極、どんなに頑張ったって理解しあえないことはある」とか、そういう考えに至るんだと思います。


僕はこう考えてます、っていうことを書いたので、他の人の参考になるかはわかりません。

そんなこと言ったって、原稿を用意しないと緊張しちゃって喋れないよ!っていう人もいるだろうと思います。

でも、人前で緊張しちゃう理由はぶっちゃけ人それぞれだと思っているので、「人前での緊張を克服できる5つの方法」みたいな一般化したような記事は僕には書けません。

僕だって人前に立つことはとっても緊張しますが(本当に緊張してます)、それでもなお事前に話すことを準備しなかったり原稿を用意しなかったりするのは、「リアルな言葉で話したい」という思いが強いからです。

あと、「どれだけ恥をかいたところで(次また呼ばれることはないかもしれないけれど)、死ぬことはない」と思っているっていうのもあるかもしれません。

「ひとりでも多くの人に好きになってほしい」と思って話しますが、「うまく話したい」「あの人、話すの上手いなーって感心されたい」と思って話すことはありません。

そうです。感心してほしいわけではないのです。共感してほしいのです。

そんなかんじです。




読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。