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星と祈りと四月は君の嘘。


5月7日に日生劇場にて初日を迎えたミュージカル「四月は君の嘘」は、東京公演の折り返しを迎えました。

世界初演の今作、連日満員のお客様が劇場に足を運んでくださり嬉しい限りです。本当にありがとうございます。


さて、今日は僕なりの視点から作品の音楽についての話をしてみようかと。楽しんでいただけるといいな。


演劇をつくるときに僕ら俳優が自分のお芝居の手がかりにするのは、なによりもまず台本です。台本からすべてがはじまり、最後の最後まで台本に立ち返る作業をし続けます。

台本は、作品をつくる際の指南書でありバイブルでもあるのです。

これが、ミュージカルになるともうひとつ重要な書物が増えます。

楽譜です。


ミュージカルはお芝居と音楽が密接に絡み合った表現形態です。だから、台本とおんなじ比率で、楽譜に書かれた情報も大切になってきます。

ミュージカルにおける台本と楽譜はいわば、説得力のある表現を目指していく上での両輪であり、どちらが欠けてもダメだし、どちらかをないがしろにすると作品の輪郭が途端にぼやけていってしまいます。


というわけで、この記事ではミュージカル「四月は君の嘘」の楽譜をちょっとだけ深読みして、その五線譜のなかに織り込まれた「モチーフ」について書いてみます。

若干のネタバレを含むかもしれませんので、前情報を一切遮断したいぞ…!という方はそっと画面を閉じてくださいませ。笑

また、以下に書きます内容はあくまでも、山野がこの作品に向き合う際に読み解いた、山野なりの理解である、という点もご留意ください。





それではいってみよーーーー!




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1、大切なモチーフ


ひとまず、こちらの画像をごらんください!

ミレファミ

4つの音符を書きました。その音名は「ミレファミ」です。特にリズムや音の長さは規定していません。

いきなり結論なのですが、ミュージカル「四月は君の嘘」の音楽においてはこの「ミレファミ」の4つの音のかたまりが非常に重要な意味を持っています。(と、山野は思っています。笑)

なぜなら全編を通してこの「ミレファミ」が何度も何度も、ときにはリズムや長さのカタチを変えて登場するからです。


少し話がそれますが、伝統的な西洋音楽(つまりクラシック音楽のこと)の世界ではこういった「その楽曲を特徴付ける最小のフレーズ」のことを「モチーフ」と呼びます。

たとえば「四月は君の嘘」にも登場するベートーヴェンが作曲した交響曲第5番「運命」という曲では、その冒頭に重要なモチーフが提示されます。

「運命」の冒頭

この「ソソソミー、ファファレー」というやつが運命のモチーフ。もっと正確にいうならば「(ウ)タタタ・ターン」というリズムが運命交響曲の第一楽章にとってはとっても重要なモチーフになります。

ベートーヴェンはモチーフを積み上げて楽曲を作る天才なのですが、この交響曲第5番の第一楽章を聞いていただくと、「マジでやべえ、途中まで全部(ウ)タタタ・ターンじゃん!!!!」ってなると思います。


「四月は君の嘘」はベートーヴェンほど厳格な構造をとっていませんが、とはいえ劇中に何度も何度も繰り返される「ミレファミ」の音には、ワイルドホーンの強い意志を感じざるを得ません。


ただ。

「ミレファミ」が何度も出てくるよー、っていうだけだと、「ああそうなんだ」ぐらいの感想で終わってしまうと思います。

でもじつは、もう一歩踏み込んで考えてみると、もっと面白い「意味」が見えてくるのです。


キーワードは「祈り」と「星」です。


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2、十字架→祈り


もう一度、「ミレファミ」の音型を見てみましょう。

ミレファミ

この音型、注意深く分析してみるとこんな言い方ができます。

・4つの音がひとかたまりになっている
・1つめの音と4つめの音が同じ音程である
・2つ目の音が1つ目の音の下に、3つ目が上にいく
 ジグザクの音形になっている

じつはこの関係性のカタチはワイルドホーンの発明ではなく、古くはバロック音楽の時代、つまり16世紀後半から18世紀前半ぐらいの時期のクラシック音楽で頻繁に使われたものなのです。

この音型、1と4を線で繋ぎ、2と3を同じように線で繋ぐと、ある図形が浮かび上がります。お分かりになりますでしょうか?

 ミレファミを線で繋ぐと。

はい、こんな感じ。交差する2本の線ができましたね。

この図形をクラシック音楽の作曲家達は「十字架」として扱いました。なのでこの音型のことをクラシックの歴史では「十字架音型」と呼ぶことがあります。

もちろんクラシック音楽の楽曲の中に登場する十字架音型はミレファミだけではありません。ジグザクに進む音型であれば十字架が浮かび上がるので、「ドシレド」とか「ソシミソ」なども十字架音型として読み解くことが可能。


話は戻って「四月は君の嘘」に登場する十字架音型ですが、もちろん、かっこいい響きを探してたらたまたま「ミレファミ」になったというだけの可能性も考えられます。

ただ、「四月は君の嘘」はクラシック音楽に打ち込む若者たちを描いているという点と、たまたまにしては劇中で執拗に何回も手を替え品を替え反復されることから、作品にとって重要な要素であるという読み解きは否定されないと思います。

さて。こうして「ミレファミ」が「わお!十字架音型じゃん!」という点に気づいたとして、大切なのはここから先です。では一体この作品にとって十字架音型がどんな意味を持つのかを考えなければいけません。

これについてはさまざまな解釈の余地が残りますので、あくまで山野が考えた仮説を書いてみます。


この十字架音型は、「祈りのモチーフ」なのではないでしょうか。

「四月は君の嘘」は、母親の死に直面したことで自分の音楽を狭い籠の中に閉じ込めた少年と、自らの死に向き合わざるを得なくなったことで自分の命の存在を憧れの音楽家の記憶の中に克明に刻み込もうとする少女の交流を描く物語です。

主人公格のこのふたり以外にも、少年の止まってしまった時間が再び動き出す日を傍らでずっと待ち続ける幼なじみや、少年が逃げ出しそうになるときに厳しくも彼に必要な言葉を投げかけてくれる友人も登場します。

この主要人物4人はその心の内側に、強い祈りと願いを持ち続けています。

公生にもう一度ピアノを弾いてほしい。自分の演奏がひとりでも多くの人の記憶に残ってほしい。かをりの手術が成功してほしい。愛してるという言葉が届いてほしい。

あるいは、彼ら以外にも強い祈りを持った高校生達が登場します。

高校生活最後の夏、部活の試合で勝利したい。高校生活最後の後夜祭、この瞬間にしか味わえない思い出を作りたい。

さまざまな人たちのそれぞれの祈りが交差する場面に、必ずと言っていいほどこの「ミレファミ」が登場します。

ときには「ミーレーファーミー」という長い音型で。ときには「ミミミ、ミレレレ、レファファファ、ファミミミ」というエコーがかかったような音型で。ときには「ドレ、ミーミーミー、ミーレーレーー、ファーファー、ファーミードー」という躍動感あふれる音型で。

さまざまに形を変化させながら、劇中のありとあらゆる場所でこの「ミレファミ」、つまり祈りのモチーフが登場します。


十字架で祈りとなると「キリスト教の話?」という疑問も浮かぶかもしれませんが、作品自体は日本が舞台なのでキリスト教の教義が重要な要素ということではありません。

ただ、クラシック音楽を扱った作品であるという文脈上で「ミレファミ」を考えてみるとそこには十字架音型としての性格を読み取ることが可能ですし、歴代の大作曲家たちが十字架音型に込めたかった表現の本質は、命や愛への「祈り」であるわけなので、本作の十字架音型が劇中に背負っている劇的効果も「祈り」であると解釈することが可能なのではないか、と僕は考えています。


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3、星たちの存在


この記事、ここで終わってもいいんですけど、さらにもう一歩だけ踏み込んで考えてみますね。よろしければお付き合いください。

十字架音型のことを先ほど書きました。もういちど図で確認してみましょう。

ミレファミを線で繋ぐと。

「ミレファミ」を線で繋ぐとあらわれるこの図形。たしかに十字架に見えます。

ただ、ミュージカル「四月は君の嘘」に関していえば、もうひとつの性格があるのではないかとも思うのです。

ずばり、「星の輝き」です。


作品の中には、星という言葉が入った歌詞がいくつも登場します。

「流れ星のように」「星が照らしてくれる」「流れ星をつかまえよう」「これは輝く星のせいだ」「きらきら星」などなど。

星は、暗い夜空に浮かぶ小さな光の粒で。テクノロジーの発達していない時代に旅人や船乗りは、北極星の光を頼りに自分の進むべき方向を知りました。あるいは星は今でも何かを祈るとき願うときの対象でもあります。星に願いを。

神話の世界では、善をなして命を落とした人間が空にのぼって星になる、という表現もあります。

星は、僕たちを導いてくれるものでもあり、祈りの対象でもあり、まぶしく燃え尽きた命の象徴でもあります。

「ミレファミ」を繋いであらわれる4つの突起が、公生たちを空の上から見守り続ける星のきらめきに重なる。そしてその星たちと、「四月は君の嘘」の世界に生きる人々の祈りが共鳴し合う。僕にはそんな気がしてなりません。


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4、読みの可能性


長々と書いてきましたが、僕としては以上のようなことで皆様の観劇の解釈を固定したいとは思っていません。

むしろ、より自由に感じ、考え始めるための補助線を引くイメージでこの記事を書いてみました。

じっさい、僕がこの作品を通して舞台に立つときに、ここまで書いた内容のようなことを考えて自分のお芝居のヒントにしてきました。

あれ?この音型、めっちゃ何回も出てくるじゃん。何回も出すってことは、作曲家的には意図があるよね。どんな意図だろう……。作品のテーマと重ねて考えると、なんかいい解釈がないかな……。

そんな作業を稽古がはじまってから初日まで、誤解を恐れずに言うなら公演が続いている今日まで続けてきました。そしてもちろん明日からも同じ作業が続いていくのだろうと思います。


はじめの方にも書きましたが、僕ら俳優が自分の表現の選択をするときに立ち戻るのは常に台本であり楽譜です。

台本や楽譜には、無限の可能性が眠っています。

そこに書かれている事柄の100%を読み解こうと頭を抱えながら文字や音符を追い、そこには「書かれていない」行間や余白にどんなドラマが潜んでいるのだろうと眼を凝らし頭をフル回転させます。

演劇の基本として「サブテキスト」という概念があります。

これはどういうことかというと、例えば登場人物が「大嫌い」というセリフを発するとしたときに、その言葉の額面通りではない思いや感情がその裏に隠れているかもしれないぞ、ということです。

「大嫌い」の裏には「愛してる」が潜んでいるかもしれない。本当に言いたいことは「大嫌い」ではなく「私をひとりにして」なのかもしれない。

こういった、「文字に書かれていない裏側の思いや行動」のことをサブテキストといいます。このサブテキストを読めるようになることが、お芝居をする上での大切な技能のひとつと言われています。

そう考えると、ミュージカルにおける楽譜についても、「楽譜に書かれていることの向こう側」を読むことがとっても大切な作業なのじゃないかなと、僕は思うのです。


楽譜に書かれた「ミレファミ」。それは、ただ音に出してみるだけでも非常に美しい旋律です。

けれどそこで思考を止めず、その音の向こう側にある意味や意図を探ってみる。サブテキストを読もうとしてみる。音の向こうに隠れているドラマを想像してみる。ただの音に、読みの可能性を与えてみる。

そうすると、そこから「祈り」の気配が立ち上ってきたり、「星」の輝きが生まれてきたりするわけです。

そういった発見に出会ったとき、僕はいつも思うのです。


ああ、音楽やっててよかったな。演劇ができるって幸せだな。



ミュージカル「四月は君の嘘」。東京公演は5月29日まで。6月と7月は全国を回ります。

当日券含め、まだご観劇いただけるチャンスはございますので、ご予定が許すのであればぜひ劇場に足を運んでください。

そして僕らと一緒に、空から降り注ぐ桜の花びら、雪のひとひら、そして星のきらめきの下で、音楽と言葉を通した祈りを共有してくださったのなら、これ以上の喜びはありません。






読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。