【いそがしいとき日記】その19
僕は基本的に自己肯定感が高い方だけど、芝居をしたり歌を歌ったりすると
「まだまだだ。なんでもっといけないんだ」
ってなるから、自己肯定感と向上心は同居できる。
ちなみに、稽古でめちゃめちゃヘボい芝居をすると、ひと晩丸々おちこむのだけれど、その落ち込みは、食べたり寝たり遊んだりでは解消されない。次の稽古で「こんちくしょう」と思いながら、きちんと芝居することでしか浮上できない。
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このところ疲れが溜まってる。
寝ても寝足りないし、なんだか身体をぼやりとしたヴェールがいつも覆っているような感じだ。
体調管理は舞台表現者の基本的な責務なので、ちゃんとしなきゃいけないなと思いつつ、昨日は22時に就寝した。
ちなみに、僕は身体が疲れると免疫が低下した証しとして、歯に不調が出てくる。いまも、上の奥歯のあたりに炎症が出てきちゃって、物を噛むたびに痛い。これ、小さなことだけどけっこうストレスになるんですよねー。
しっかり食べる。しっかり寝る。適度に身体を動かす。
体調管理の基本に戻ろうと思う。
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昨日の稽古の中で「言葉」についての僕の思うことをみんなの前で伝えた。伝えた、というか、吐露した、というか。
僕自身、ずば抜けて言葉への感覚が鋭いわけではないと思うけれど、世の中の平均と比較したら、言葉についてよくよく考えてきた時間は多いと思う。
僕が小中学時代、友達はそれなりにいたのになんとなく寂しかったのは、「自分と同じ言葉」でしゃべれる仲間を見つけられなかったからだと思う。
高校に入って、クラシック音楽と出会ってからは、音楽を通じて「より厳密で繊細な言葉」を交わせる仲間を見つけることができたし、大学を卒業して芝居と出会ってからは、「その人自身の言葉」を喋る人にもたくさん出会えた。
いまの僕が子どもの頃ほど寂しくないのは、「自分と同じ言葉を話せる人」だったり、「言葉に対する姿勢が自分と似ている人」だったり、「僕とはぜんぜん違う言葉だけど、その人自身の率直な言葉を使っている人」だったりと出会えているからだと思う。
生きてきて、良かったと思う出来事のひとつ。
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毎回自主企画をやったり、企画の言い出しっぺをやったりすると、本番間際になって「なんでこんなにしんどいことはじめたんだろ」と思い始めて、「これが終わったら今後は”出るだけ”にしよう」と誓うのだけど
またしばらくすると「あ、こんなことやりたい」って思いついちゃって、また自主企画をはじめてしまう。
もうこれは、癖(へき)としか言いようがないと思う。
でも、これまでいくつか自主企画をやってきたことで、毎回少しずつやり方が上手くなっていると思う。
次回、僕が何かをやるときの目標は、「ベタ付きしてくれるプロの制作スタッフを雇うこと」です。
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稽古のスケジュールの合間を縫って、必ず選挙に行こうと思っている。
行動しても何も変わらないかもしれないけれど、行動しなければ「絶対に」何も変わらないから。
演劇の舞台の上には、「何もせずに傍観する人」は出てこない。
その人物が何を思って、何を信条としていようと、必ず、「強い欲求」をもっているし、それを果たすために行動しつづけようとする。それが演劇の基本的な約束。
「演劇は、現実ではない」が、「演劇は、現実の鏡」であるとは思う。
まあつまり、その行動の動機はなんだっていいのだ。
僕は僕なりの動機を持って、選挙に行こうと思っている。
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早く、晴れが続く日々がこないかなあ!
本番が終わったら、海を見にいくって決めているのだ。
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